インカコーラの罠

 チリ北端のアリカからペルー南端のタクナへ、バスで国境を越えたのは1月26日の夕方。無事、ペルーに入国した。18時頃、タクナのバスターミナルに到着。クスコ行きのバスチケットを予約する。タクナのホテルへ向かおうとすると、チケット売り場のスタッフの1人が「仕事終わりまで待ってくれたら、ホテルまで案内してあげる」と提案してくれた。南米の人々の優しさには助けられるばかりだ。彼の本職は社会科の教員で、南米では珍しく英語を話せる。
 夜のタクナの町を歩き、ホテルへ到着。夕食は併設の食堂で済ます。ペルーらしいものを探すと、冷蔵庫の中に黄色いコーラを発見。ペルーを代表する炭酸飲料の「インカコーラ」だ。シロップを飲んでいるような甘さがあるが、本家のコカコーラと似て、中毒性のありそうな味だ。
 翌27日はタクナの町を散策する。タクナはチリと国境を接している町だけあって、国境紛争の歴史を持つ。タクナの「歴史博物館」ではペルーとボリビアがチリと戦った太平洋戦争の歴史について学べる。ペルー海軍の甲陽艦、ワスカルのレプリカなどの展示物も充実している。
 日本人が太平洋戦争と聞くと1941年の真珠湾攻撃にはじまる戦争を思い出すだろう。しかし、ペルー人は違う。彼らにとっての太平洋戦争は1879年にはじまる「ラ・ゲーラ・デル・パシフィコ(La Guerra del Pacifico)」だ。
 『ペルーを知るための66章(第2版)』(編著・細谷広美)によれば、チリ硝石の採掘利権をめぐりチリとボリビアが対立。そこにボリビアと秘密攻守同盟を結んでいたペルーが参戦して3国間の戦争となった。ペルー海軍はミゲル・グラウ提督の奮闘空しく、チリに制海権をうばわれてしまう。その後、ペルー陸軍のボログネシ将軍も徹底的に抗戦したが、最終的にリマを占領される。1883年に和平条約が締結。1929年にアメリカの介入により、アリカがチリ領、タクナがペルー領と決定する。ちなみに、この戦争以来ボリビアは太平洋への出口を喪失し、内陸国となってしまう。
 タクナの中央の広場にあるモニュメント「アルコ・パラボリコ」は太平洋戦争における英雄、ミゲル・グラウ提督とボログネシ将軍を顕彰するためにつくられたアーチ。根元には2人の英雄の像が立っている。
 タクナの歴史を学んだあとはペルー料理のレストラン「Mochica」で昼食。ペルーの国民食と呼ばれる「ロモ・サルタード」をいただく。牛肉やタマネギ、パプリカをフライドポテトと一緒に炒めた料理。あまりの美味しさにすべて平らげてしまった。満腹のお腹を抱えながらホテルへ戻る道すがら、スーパーマーケットの冷蔵庫の中の冷えたインカコーラが目に留まる。思わず衝動買い。一気に飲み干してしまった。
 あとになって気づいたのだが、明日は高地のクスコ。高山病予防の鉄則である「食べ過ぎない」と「炭酸飲料を飲まない」に反してしまっている。後悔先に立たず。不覚にもインカコーラの甘い罠にはまってしまった。高山病にかからないことを願いながら、夕方18時半頃クスコに向けて夜行バスが出発した。



タクナの歴史博物館

















アルコ・パラボリコ

















左がインカコーラ。右はクスコのビール「クスケーニャ」

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