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ブラジルへの切符を求めてやってきたボスニアのムスリムの話 前編 |
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夏にみずみずしい緑の葉を茂らせていた木立は、もうすっかり秋の色に衣更えしてしまった。寮の目と鼻の先にある森林公園には、いつの間にか黄色に染まった葉っぱの絨毯が敷かれている。ヴィタウト通りに面するこの公園はカウナスの住民が心を安らげられる空間となっている。ジョギングをするおじさんや犬の散歩をするおばさん、子連れのお母さんやバスケットボールに興じる若者たち。日本の公園の風景とさしたる変化もない。そして必ずと言っていいほど若いカップルが中央あたりにある木製ベンチに腰掛けている。国を問わず男女のいちゃいちゃは公園のベンチと相場が決まっているらしい。 そんな穏やかな公園の北東の端にひっそりとたたずむ白亜の建造物がある。長方形の箱のような建物の上に白く輝くドームと塔。そして、それらのてっぺんに月を象った飾りがちょこんと乗っかっている。イスラム教の礼拝堂、モスクである。リトアニアに存在する4つのモスクのうちの1つらしい。このモスクは私がヨーロッパで初めて見たモスクであり、初めて内部にお邪魔させてもらったモスクでもある。 まだ公園の樹木がわずかな新緑の葉をまとっていた先学期の5月。トルコ人の留学生の友人、ヤコプがあるイベントを企画していることを耳にした。それは彼がムスリムではない留学生にイスラム教への理解を深めてもらおうと、カウナス・モスクへのガイドツアーを計画したのだ。もともと興味がありながらも、どこかで近づき難いと感じていたので、これを絶好の機会とモスクの門をくぐってみた。 モスク内部は思ったより広く、明るく、何より柱廊柄の鮮やかな朱色の絨毯が印象的。礼拝している信者の邪魔にならないところで、ヤコプの通訳を通して、モスクの責任者からお話を伺う。仏教寺院やキリスト教教会にあるような華美な偶像や装飾は一切なく極めてシンプルなのだが、それが逆に新鮮で、神秘的でもあった。 それから数ヶ月が過ぎてモスクのことも忘れかかっていた秋の10月15日早朝。Eメールボックスに2件の新規メールが届いていた。1つは在リトアニア日本大使館から在留邦人へ向けてのある注意喚起のメール。それは「本日午後8時にカウナス市において2014年ブラジルFIFAワールドカップ予選(リトアニア対ボスニア・ヘルツェゴビナ戦)が行われます。これに伴い4000人以上のボスニア・ヘルツェゴビナ側の応援者がリトアニアに訪れるため、カウナス警察は、市内及びスタジアム周辺の警戒や交通規制を強化すると報道がなされています。」というものだった。 そしてもう1つは海外留学生安全対策協議会JCSOSから定期的に届く海外要注意日情報に関するメール。10月15日から18日の欄に「イスラム教圏・犠牲祭(Eid-al-Adha)」とあり、「イスラム教で定められた宗教的祝日で、イスラム世界の中で最も大きな祭りの1つである」と記されている。偶然にもワールドカップ予選のボスニア・ヘルツェゴビナ戦と今年のイスラム教の犠牲祭の初日が同日であった。 ちなみにボスニア・ヘルツェゴビナはサラエヴォを首都とするバルカン半島の多民族国家。ざっくり言えば、3つの主要民族、ボシュニャク人(多くがボスニア語を話すイスラム教徒)、セルビア人(多くがセルビア語を話すセルビア正教徒)クロアチア人(多くがクロアチア語を話すローマカトリック教徒)で構成されている。2000年のCIAワールドファクトブックによれば、人口比にしてボシュニャク人48パーセント、セルビア人37.1パーセント、クロアチア人14.3パーセントとなっている。 旧ユーゴスラビア連邦の解体に伴う民族間の悲惨極まりない紛争を経て、現在はボスニア・ヘルツェゴビナ連邦(ボシュニャク人とクロアチア人)とスルプスカ共和国(セルビア人)の2つの構成体からなる連邦国家の形態をとっている。また紛争で120万人もの人々が隣国セルビア・モンテネグロやクロアチア、あるいはドイツやオーストリア、スウェーデン、アメリカなどに逃れて行った。複雑な民族事情から今なお、現地でその種の話題は暗黙の了解としてタブーとなっているらしく、夏に旧ユーゴスラビアを旅したときはいつもにもまして緊張感を持った覚えがある。 この日開催される予選はボスニア・ヘルツェゴビナにとってはワールドカップ初出場を決定づける絶対に負けられない戦い。またこの戦いは日本人にもお馴染みのあの監督の悲願が叶うか否かの決戦でもある。ここ最近サラエヴォ出身のイビチャ・オシムは民族間対立に端を発する同国のサッカー連盟の問題解決に尽力してきた。12日付けのオンライン版ロンドン・タイムスはこう評している。「ここ数年間、故国を救えるかどうか気が気で夜も寝られなかったオシム。15日の戦いですべての悪夢が振り払われれば、ようやく彼は落ち着いて安眠できるだろう」と。 ちなみにボスニア・ヘルツェゴビナのナショナル・チームの選手は大半がイスラム教徒である。そのことからセルビア人やクロアチア人の一部からは「ムスリムのチーム」だとみなされることもあり、未だ複雑な事情を抱えていることも事実である。 |
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カウナスのモスク モスク内部の様子 礼拝のやり方を説明しているところ クロアチア・ザグレブのバスターミナル。毎日ボスニア・ヘルツェゴビナ便の国際線バスが発着している
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●No.1 リトアニアの3.11 |
●No.2 世界を知らない私と私を知ってくれている世界 |
●No.3 キョーゲン・イン・リトアニア |
●No.4 カウナスという街 |
●No.5 愛しのツェペリナイ |
●No.6 その人の名はスギハラ |
●No.7 エラスムスの日常 |
●No.8 検証:リトアニアの噂 前編 |
●No.9 検証:リトアニアの噂 後編 |
●No.10 プラハで出会った哲学男 |
●No.11 魔女の丘、そして悪魔の館へようこそ |
●No.12 お後がよろしくないようで |