激動のチリ近現代史

 「ピノチェトは悪人だったというのがチリの若者の間での一般的な評価です。しかし、お年寄りの中には経済成長を達成し、『テロリスト』を殺してくれた人物としてピノチェトを正当化する人もいます」。サンティアゴ在住のガイド、Fさん(31)はモネダ宮殿前でそう語った。アウグスト・ピノチェトは1973年から16年半にわたって軍事独裁政権を率いた軍人。彼の評価は今なお国論を二分しているという。
 1月22日昼過ぎ、いよいよアルゼンチに別れを告げ、チリに入国する。バスはメンドーサからサンティアゴまでアンデス山脈を越えるルート。途中、アコンカグア山を車窓から見えると聞いて、昼の便を予約した。しかし、肝心の山容を確認していなかったため、どの山がアコンカグア山なのかサッパリ分からず。しかし、チリに入国してすぐのつづら折りの急峻な坂道は圧巻だった。
 余談だが、1817年に同じくメンドーサからアンデス山脈を越えてチリに向かった人物がいる。彼の名は南米独立戦争の英雄であるサン・マルティン将軍。当時、独立を果たしたアルゼンチン自立政府は、ペルーやボリビアを本拠地とするスペイン軍の抵抗に手を焼いていた。自立政府としては自らの独立の確保をするために、周辺諸国の解放も重要だった。そこで、サン・マルティン将軍はアンデス山脈を越えて、チリを制圧して海から攻撃する作戦を敢行。見事、スペイン軍からチリやペルーを解放することに成功する。「鵯越の逆落とし」で有名な源義経も驚きの作戦に違いない。
 翌23日はサンティアゴの無料ガイドツアーに参加した。サンティアゴの旧市街の中心であるアルマス広場を起点として、白亜のマリア像が立つサン・クリストバルの丘近くまでの約3時間の町歩き。印象に残ったのは、チリの大統領官邸であるモネダ宮殿。ここはチリの現代史において重要な場所だ。
 1970年、左翼統一候補のサルバドール・アジェンデが世界ではじめて民主的な選挙によって社会主義政権を樹立。「社会主義革命は暴力革命でしか生まれない」と公言していたアメリカをはじめ世界に衝撃を与えた。それに対し、1973年9月11日、軍部がクーデターを起こし、アジェンデの立て籠るモネダ宮殿を爆撃。抵抗空しく、アジェンデは親交のあったフィデル・カストロからもらったカラシニコフ自動小銃で自殺を遂げる。その後、ピノチェトが大統領に就任し、軍事独裁政権がはじまる。経済成長を達成する一方、軍政の批判者や共産主義者などが行方不明となった。
 「ピノチェト政権下で経済成長を達成したことは評価するが、異なる考え方を持っただけで、多くの人が拘留、虐殺され、アンデスの山々や太平洋の海原に捨てられたという人権侵害は許されるべきではない」とガイドのFさん。軍事政権崩壊後、ピノチェトはロンドンで逮捕されるが、裁判を終える前に2006年に死去した。「ピノチェトが死んだとき、涙を流したチリ人もいれば、シャンパンで祝ったチリ人もいたのを覚えています」。それだけ国民の評価が分かれている人物であるということだろう。
 モネダ宮殿前の広場にはアジェンデの銅像が立っている。銅像の土台には「TENGO FE EN CHILE Y SU DESTINO」、つまり「わたしはチリとチリの運命を信じる」という言葉が刻まれている。これはアジェンデが国民に対してラジオを通じて発言した最期の言葉。「人権と記憶の博物館(Museo de Memoria y los Derechos Humanos)」で、当時の肉声を聴くことができる。博物館はサンティアゴの中心部(セントロ)の西側にあるキンタ・ノルマル公園の隣にある。
 翌23日はアジェンデの出身地であるバルパライソをサンティアゴから日帰りで観光。バルパライソは斜面に家々が密集して並ぶ港町。2003年に「バルパライソの海港都市とその歴史的な町並み」としてユネスコの世界遺産に登録されている。
 サンティアゴでは激動のチリ近現代史を学んだ。これから30時間を超える夜行バスに乗って、チリ最北端の町、アリカへ。そして、いよいよペルーに入国だ。

参考文献:『アルゼンチンを知るための54章』(アルベルト松本)、『ペルーを知るための66章(第2版)』(編集・細谷広美)、『地球の歩き方』など



モネダ宮殿






















アジェンデの像






















サン・クリストバルの丘から見下ろすサンティアゴの街並み

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