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石油の町 |
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コモドロ・リバダビアの町を散策中、ある壁画を発見した。工場や労働者の姿ともにYPFという3文字が大きく書かれている。YPF(ヤシミエントス・ペトロリフェロス・フィスカレス)とはアルゼンチン最大の石油企業。そういえば、コモドロ・リバダビアの町に入ってから、YPFのオイルタンクやタンクローリーを目にした。観光客で賑わうプエルト・マドリンから石油産業の町にやってきた。 コモドロ・リバダビアのバスターミナルに到着したのは1月10日の15時頃。すぐに「手の洞窟」として有名なクエバ・デ・ラス・マノス観光の拠点の町、ペリト・モレノ行きのバスを予約しようとする。しかし、バスは満席。ネットで調べた限りでは、ホステルの予約も満席だった。宿無し覚悟でペリト・モレノに行っても、「手の洞窟」ツアーの予約が空いている保証はどこにもない。仕方なく「手の洞窟」を諦めることにした。 「手の洞窟」を断念したとなると、コモドロ・リバダビアに用はない。ペリト・モレノへ行くための中継地点として下車しただけだからだ。次の目的地のウシュアイア行きのバスは翌11日の19時発。コモドロ・リバダビアは観光の町ではない。今日と明日は休息日とすることにした。 休息日と決まれば、夕食はこの旅で初となるアルコールを解禁だ。アルゼンチン料理のレストラン「La Rastra」。20時30分頃に入店したが、客は私たちだけ。アルゼンチン人の夕食は遅い。どのレストランも22時頃がピークだ。牛肉とパプリカとタマネギの串焼き「ブロシェット(Brochette)」をメンドーサ産の赤ワインでいただく。疲れた体と空腹の胃にはやや重たかったが、旅のエネルギー補給となった。明日から「世界最南端の都市」と呼ばれるウシュアイアへ一気に向かう。 余談になるが、アルゼンチンの石油の歴史はコモドロ・リバダビアからはじまった。1907年に石油を産出。1922年にYPFが国営企業として発足する。1993年にカルロス・メネム政権下で民営化されるが、2012年5月にクリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル大統領により再国有化された。夫であるネストル・キルチネル前大統領の政策を引き継いでいるとされる。ちなみに、2004年の「経済の自由度」調査(ヘリテージ財団とウォール・ストリート・ジャーナル紙の共同実施)によると、アルゼンチンは中南米で不名誉の最下位。ネストル・キルチネル政権の民営化見直し政策などが指摘されているという(論文『政府介入を強化するアルゼンチンの石油政策』(内多允、国際貿易投資研究所)、『アルゼンチンを知るための54章』(アルベルト松本)、『地球の歩き方』を参考にした)。 |
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ホテル「Austral Express」近くにある壁画 コモドロ・リバダビアの町並みとYPFのガソリンスタンド
夕食の「ブロシェット」と赤ワイン |
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