イグナリナ原発に行ってみたら 後編

 旅行者の一番の味方、インフォメーション・センターに振り回されるという何とも皮肉な町歩きで幕を開けたヴィサギナス訪問。しかし同時に収穫もあった。ヴィサギナスの町の中心はそこまで大きくないので、たらい回しにされる中でヴィサギナスのイメージをつかむことができた。
 まず感じたのはロシア語の使用率の高さ。ホテルの受付担当者が英語を話せないのには驚いたが、スーパーマーケットに入ると4、5人の子供の集団がリトアニア語ではなくロシア語で会話していた。また、道路橋下の通路壁にみっちりと描かれていた落書きはリトアニア語ではなくロシア語。バルト3国の中では最もロシア語系住民が少ないリトアニアに1年弱暮らしていたので、「リトアニアにもこんな町があるのか」と逆に新鮮だった。
 そして町はソ連時代に計画的につくられただけあって、建造物は鉄とコンクリートでできた、装飾の一切ないモダニズム様式ばかり。特に目を見張るのはレンガの赤とコンクリートのグレーのたった2色に覆われた住宅地。似たり寄ったりのアパートメントが画一的に立ち並ぶ様はソ連の目指した平等な社会の建設という理想を象徴的に示しているように感じられる。振り返ればインフォメーション・センターを探していた自分が馬鹿らしく思えてくる。ここは観光客が来るような町ではなく原発労働者のために人工的につくられた町なのだ。

 本日の目的地イグナリナ原発へはタクシーで向かう。むろん、運転手はロシア語とリトアニア語しか話せない。普段タクシーを使わないので、呈示された片道25リタスというのが「日本人料金」なのか通常料金なのか分からず、疑問を感じているうちにタクシーは出発。やはり日本人と名乗ったのは失敗だったかなとちょっと後悔。そんなことを考えているうちに15分ほどでイグナリナ原発のインフォメーション・センターに到着した。
 センターでは責任者のイナ・ダウクシエネさんの解説で内部を見学させてもらった。もちろん原発関連施設の中には特別な許可がなければ入れないので、今回見学できたのはインフォメーション・センターだけ。あいにく解説パネルはすべてリトアニア語だったが、英語版のパンフレットが用意されていた。何よりダウクシエネさんの説明が非常に分かりやすかった。イグナリナ原発の原子炉や低レベル放射性廃棄物埋蔵地などのミニチュア、燃料棒の原寸のレプリカ、防護服の見本など視覚的な展示物も充実しており理解が深まった。
 原発は停止しているといっても、デコミッショニング(廃炉)の過程は長期に渡る。2号機は今でも燃料棒が残っており、コントロール室で厳重に作業員が管理している。内部の様子は取り付けられている移動式のカメラを動かしながらダウクシエネさんが解説してくれる。「灰色が燃料棒で、青や緑の色がついているのが制御棒です。特に赤色は緊急用の制御棒になります」。カメラを通してであっても、すぐ近くに原子炉が実際にあると考えると緊張するものである。また他にも今では不必要になったタービンやジェネレーターの様子も観察できた。
 そして日本と同じくイグナリナ原発も放射性廃棄物、つまり「核のゴミ」に頭を悩ませている。低レベル放射性廃棄物の埋蔵処理作業や中間貯蔵施設の建設が進む一方で、「トイレのないマンション」と形容される根本的問題、つまり使用済み核燃料などの高レベル放射性廃棄物の最終処分場が決まっていない。「最終処分場の建設計画はどうなっていますか」と尋ねると、ダウクシエネさんに逆に質問された。「リトアニアでは最終処分場の問題は全く進展していませんが、日本ではどうですか」。日本もリトアニアと同様、政府が選定作業を進めているものの、最終処分場の解決策は不透明。そう伝えると彼女は肩をすくめながらこう言った。「50基もの原発がある日本で決められないのだから、リトアニアが立ち止まっているのも当然よ」。
 彼女は隣国フィンランドがオンカロ処分場という最終処分場建設を着実に進めている事例を紹介してくれた。余談になるが、小泉純一郎元総理が脱原発を表明することとなったきっかけがこのオンカロ処分場への視察といわれている。高レベル放射性廃棄物が安全な状態になるまで10万年といわれている。時を遡ればネアンデルタール人の時代まで逆戻りしてしまうほどの想像を絶する期間。こう考えると人間は原子力発電というパンドラの箱を開けてしまったような気もする。しかし、たとえそれが人間が決して触れてはいけない劇毒であったとしても、未来の希望のエネルギーだとしても、我々はもう後戻りできない。50基もの原発を持つ我々は原発推進か反対かという「トイレのないマンションで今後どう暮らして行くか」を話していくのも重要かもしれないが、まず「トイレをいつ、どこに、どのように作るか」を本気で話さなければならない時が来たのではないだろうか。これは従来の数量的な民主主義システムや国家権力による金銭的妥協策が解決してくれるような容易い話ではない。「豊かさ」ではなく「痛み」を分け合う時代に生きる日本人すべてがどこまでの覚悟ができるかという問題なのだ。
 ダウクシエネさんに原発停止後の作業員についてもお話を伺った。イグナリナ原発は廃炉決定後最盛期には5000人いた従業員が2000人に激減し、残った従業員は廃炉作業に従事しているということだった。解雇された3000人について聞いてみると、退職する者やタクシードライバーなどに転職する者、あるいはリトアニア政府が制定した社会保障法による給付金で生活する者もいるという。
 そして日立が優先交渉権を得た新設原発の「ヴィサギナス原発」プロジェクトについてお話を伺うと、建設予定地を紹介してくれた。それはイグナリナ原発すぐ隣の空き地であった。昨年2012年10月に行われた国民投票(法的拘束力のない諮問型)で新原発建設に反対する人々が6割を超え、その後発足した新政権によって原発計画の進展が停滞することとなった。ダウクシエネさんはこの投票結果について「2011年に起こったフクシマの事故が多いに影響を与えた」と語った。
 11月末に駐リトアニア日本大使へ取材をした際、大使は「リトアニア政府としてはすでに10月の段階でプロジェクトを進める決定をしている」と語っていた。現在リトアニアは新原発についてエストニアとラトビアとの間で協議が進んでいる状況である。
 イグナリナ原発廃止後に職を失ったヴィサギナスの労働者たちはリトアニアのどの地域の人たちよりも新原発建設を望んでいるかもしれない。これまでヴィサギナスがかかえてきたのは、イグナリナ原発という社会主義の遺産と一蓮托生で歩んで来た「過去」だった。今後、新原発が建設されたとき、ヴィサギナスの「未来」のアイデンティティは良くも悪くもその原発とともに形成されていくことは必至なのである。だからこそ、日本の企業がそのプロケジェクトに関わっているということを我々日本人はしっかりと受け止める必要があるのでないだろうか。























模型を使って解説するダウクシエネさん




















燃料棒の原寸レプリカ。本物であれば中にウランペレットが入っている




















モニターに映る黒鉛減速型原子炉。内部のカメラによりリアルタイムで様子をチェックすることができる




















イグナリナ原発。一般人の内部への立ち入りは原則不可能

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●No.1 リトアニアの3.11
●No.2 世界を知らない私と私を知ってくれている世界
●No.3 キョーゲン・イン・リトアニア
●No.4 カウナスという街
●No.5 愛しのツェペリナイ
●No.6 その人の名はスギハラ
●No.7 エラスムスの日常
●No.8 検証:リトアニアの噂 前編
●No.9 検証:リトアニアの噂 後編
●No.10 プラハで出会った哲学男
●No.11 魔女の丘、そして悪魔の館へようこそ
●No.12 お後がよろしくないようで
●No.13 ブラジルへの切符を求めてやってきたボスニアのムスリムの話 前編
●No.14 ブラジルへの切符を求めてやってきたボスニアのムスリムの話 後編
●No.15 時は今?雨が滴しるカウナス動物園
●No.16 リトアニアの第二の宗教
●No.17 ベン・シャーンとチュルリョーニス
●No.18 イグナリナ原発に行ってみたら 前編

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