魔女の丘、そして悪魔の館へようこそ

 どちらかといえばマンガやアニメに熱中した少年ではなかった。それでもサブカル大国ニッポンで生まれ育ったおかげで、ある程度はマンガやアニメに親しんできた。お気に入りだったアニメの1つに水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』がある。実家の本棚には、読み込み過ぎてボロボロになった「妖怪大図鑑」が今でもある。水木しげるの故郷、鳥取県境港市には『ゲゲゲの鬼太郎』に登場する妖怪たちの銅像が並ぶ水木しげるロードがあり、小さい頃何度か家族で日帰りドライブに行ったものだ。
 リトアニアの日本通のなかにも、『ゲゲゲの鬼太郎』ファンや妖怪ファンがいる。あるリトアニアの妖怪ファンに水木しげるロードを紹介したところ、「ぜひ行ってみたい」と目を輝かせながら、話を聞いていた。そして、私がリトアニアの妖怪やオバケについて話題を振った時、興味深い事を教えてくれた。それはリトアニアには残念ながら「妖怪ストリート」なるものは存在しないが、「魔女の丘」なるものが存在するということだった。
 リトアニアが珍しく東京の平均気温に迫ろうとしていた8月3日。私はリトアニアのバルト海沿岸方面に向かうバスの中にいた。このバストリップはヴィタウタス・マグナス大学が主催するサマースクールのプログラムの一部。このサマースクールでは7月23日から8月16日の約一ヶ月間、世界各国から集まった学生がリトアニア語とリトアニア文化を学ぶ。一般的な座学だけでなく、週末にはリトアニアの地方都市に小旅行が企画されているというわけだ。この日の行き先はニダ。リトアニアの世界遺産の1つであるクルシュ砂州の中心に位置する小さな町である。この砂州はリトアニアの港町・クライペダの対岸からロシアの飛び地、カリーニングラドまで約100キロメートルにわたってのびている。ちなみに砂州とは河口に砂が堆積してできた地形のこと。そして『ヴェニスに死す』のドイツの作家、トーマス・マンをして「北のサハラ」と言わしめた白い砂の砂丘が広がっている。乱暴に例えれば、鳥取砂丘の乗っかった天橋立という感じか。むろん、規模で言えば、この日本の2つの景勝地が束になったところで敵う大きさではないのだが。
 「魔女の丘」はクルシュ砂州の小さな村、ユオドクランテの近くに位置している。不気味な森の丘の小道を進むと、道沿いには80体にも及ぶ巨大な木造彫刻が延々と並んでいる。奇怪な表情を浮かべる魔女や通行者をまじまじと見つめる怪物、ドラゴンやニワトリといった動物の彫刻など、面妖でいてどこかほのかにチャーミングさも持ち合わせているキャラクターと出会える。水木ワールドの妖怪たちとどことなく雰囲気が似ているのだ。まさにリトアニアの妖怪ロードといっても過言ではない。しかも街中にある水木ロードとは違って、こちらは完全に自然の森の中。夕暮れ時に一人で迷い込もうものなら、果たして無事戻って来れるかどうか。神隠しにでも会いそうなそんな摩訶不思議な場所だ。
 リトアニアには魔女だけでなくさまざま民間伝承が存在する。その中でもリトアニアの天地創造のお話は興味深い。天地創造といえば世界各地に似たような伝承がある。例えば、キリスト教世界では神が1週間かけて暗闇から光や天空、大地、生物などを生み出した。日本神話の中ではイザナギとイザナミという2人の兄妹神が淡路島に始まる日本の島々を生み出していく。どの話にも共通する点として多いのが、神様が天地を創造したということ。しかしリトアニアの民間伝承では神の天地創造を悪魔が手伝ったというのだ。なぜ悪魔なのかという疑問の答えは残念ながら持ち合わせていない。ただ悪魔との強い結びつきを示す、興味深い場所がカウナスにある。
 その名は「悪魔の博物館」。この博物館にはリトアニアの著名な画家、ジムイジナヴィチウスのコレクションが展示されている。悪魔に関する絵画や彫刻、布絵、仮面などありとあらゆるものが所蔵されている。現在もコレクションは増え続け、所蔵点数は2000を超えるという。ここでは、リトアニア語で悪魔を意味するヴェルニアスについての様々なエピソードを知ることができる。
 リトアニアの民間伝承ではヴェルニアスが酒や煙草、動物、音楽、水車などありとあらゆる万物に関わっている。例えば、酒はヴェルニアスがヤギの小便から作ったという、なんとも汚らしい話がある。伝承曰く、「神は人間に2杯の酒を与えた。1杯目は神のため、2杯目は人間自身のために。そして3杯目はヴェルニアスのために。よって3杯目を飲んだ者は、喉が燃えるように焼けつくだろう」と。過度の飲酒によって理性を失った人間は、ヴェルニアスとってコントロールしやすくなるとのこと。酒がやめられないのはヴェルニアスの罠にかかっているということか。他にも母の墓に生える草から煙草を作ったり、人間に金を与えて魂を買ったり、魔女に魔法を教えたりとヴェルニアスの所業、恐るべしである。
 なぜリトアニアは、こんなに民間伝承が豊かなのだろうか。それはリトアニアが「The last pagan nation in Europe(ヨーロッパ最後の異教徒国家)」、つまりヨーロッパで一番遅くにキリスト教を受容した国であるということと無関係ではないだろう。この歴史はカトリックを受け入れる1386年頃まで、リトアニアで自然崇拝や多神教、土着の宗教が広く浸透していたことを物語っているように思える。
 ちなみに「悪魔の博物館」には世界各国から悪魔が収集されており、アジアのコーナーには、日本から唯一、『ゲゲゲの鬼太郎』でもおなじみのあの妖怪の姿が。赤ら顔に髭を蓄え、突き出た鼻を持った天狗のお面。鞍馬山で居丈高な天狗は、異国の地では見知らぬ悪魔たちに囲まれ肩身が何とも狭そうだった。まさにこれこそ「天狗の鼻折れ」。















ユネスコの世界遺産に登録されているクルシュ砂州














「魔女の丘」にある魔女の木造彫刻














「悪魔の博物館」の展示品。悪魔が無理矢理人間に酒を飲ませている














ヤギに乗った悪魔。ヤギは悪魔のシンボルとして特別な意味を持っているとされる















backnumber
●No.1 リトアニアの3.11
●No.2 世界を知らない私と私を知ってくれている世界
●No.3 キョーゲン・イン・リトアニア
●No.4 カウナスという街
●No.5 愛しのツェペリナイ
●No.6 その人の名はスギハラ
●No.7 エラスムスの日常
●No.8 検証:リトアニアの噂 前編
●No.9 検証:リトアニアの噂 後編
●No.10 プラハで出会った哲学男

Topへ