無煙のフィッツ・ロイ

 恥ずかしながら、フィッツ・ロイという山の名前を知ったのはブエノスアイレスに向かう航空機の中だった。偶然、隣の席に座っていた日本人のTさんが教えてくれた。彼は都内の登山用品店に勤めながら国内外の名峰に登る18歳。今回、南米大陸最高峰、アコンカグア山(6960m)の単独登頂を目指す。過去にアルプス山脈最高峰のモンブラン山やアフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ山の登頂に成功しているという。「フィッツ・ロイはアウトドア用品ブランド『パタゴニア』のロゴにも採用されている美しい山だよ」。そう教えてくれた。それから13日後、眼前に威風堂々としたフィッツ・ロイの姿をいただくことができるとは夢にも思っていなかった。
 4日間滞在したエル・カラファテの町をあとにし、エル・チャルテンという小さな村に到着したのは1月18日の午前11時頃だった。ビエドマ湖の北側の道を進むバスのなかで、雲に隠れたフィッツ・ロイを遠くに望んだ。
 エル・チャルテンのバスターミナル内のバス会社の窓口でバックパックを預ける。フィッツ・ロイ山域をセルフトレッキングするためだ。エル・チャルテンに滞在できるのは夜行バスが出発するまでの約12時。標高3405mのフィッツ・ロイ直下のロス・トレス湖に向かうトレッキングコースを登りはじめた。
 エル・カラファテのホステルでフィッツ・ロイを訪れた日本人バックパッカーからは平坦な道が続くと聞いていた。しかし、予想以上に登りが多い。タンポポが咲き乱れる道を1時間半ほど登ると、カプリ湖に到着した。「煙の山」と呼ばれるフィッツ・ロイに雲はかかっていない。フィッツ・ロイの山容がカプリ湖の水面にはっきりと映る。
 ロス・トレス湖に向けて山道をさらに進む。目の前に団体の登山客があらわれる。突然、団体の最後尾の男性が「2人通ります。道を開けて下さい」と日本語で声を張り上げた。日本人の中高年トレッキンググループと遭遇した。抜かせてもらうとき「ありがとうございます」と声をかけると、あちらも驚いた様子だった。
 その後、ポインセノットのキャンプ場で休憩。そしてラス・ブエルタス川に注ぐ小川を渡ってリオ・ブランコのキャンプ場を通り過ぎる。ここから本格的な登りがはじまった。大パノラマが広がる、浮き石の多い急斜面を登って行く。ふと富山県の立山・雄山を思い出した。登りと下りが同じ道であることも含め、雄山の登りにそっくりなのだ。「こんにちは」の代わりに「Hola(オラ)」(スペイン語で「やあ」)というかけ声、そして外国人が多いという点が異なるくらい。 
 まだ日差しの強い15時45分頃、岩山を登り切ったところにあるロス・トレス湖にようやく辿り着いた。いつのまにか雲は消え失せ、燦々と輝く太陽に照らされたフィッツ・ロイが迫る。雪をかぶった岩肌が凛々しい。純白の氷河と紺碧のロス・トレス湖がその雄姿をさらに際立たせる。これを絶景と言わずして何と言おうか。
 下山後は南米のカツレツ、「ミラネサ(Milanesa)」をパタゴニアのビール「Gulmen」とともにいただく。明日はチョコレートの町、バリローチェ。夜行バスの中、程よい筋肉痛を感じながら、まぶたがゆっくりと落ちていった。



カプリ湖の水面に映るフィッツ・ロイの姿















ロス・トレス湖から望むフィッツ・ロイ















南米風カツレツのミラネサ

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