ベン・シャーンとチュルリョーニス

 リトアニアへの留学が決まったときのこと。電話で地元の家族や知人に留学地の報告した際の反応は揃いに揃ってほとんど同じ。一度国名を聞き返した後に共通の質問。「リトアニアってどこ?」。しかし唯一異なった反応を見せてくれたのは私の恩師だった。彼は留学が決まったことの祝福に続けて、「リトアニアといえば、たしかベン・シャーンとチュルリョーニスの国だよね?」と一言。彼が挙げた2人の人物は共にリトアニア生まれの芸術家だった。恥ずかしながら芸術への造詣が皆無の私はベン・シャーンのべの字も、チュルリョーニスのチの字も頭になかった。しかし実はこの2人、日本に縁のある人物で、知る人ぞ知るリトアニアを代表する芸術家だったのだ。

 ここ最近日本とリトアニアの関係で話題になるのがリトアニアにおける原子力発電所の新設。福島原発の事故のあと、日本企業の日立製作所が受注の優先交渉権を得たことが注目された。しかし原子力というテーマで日本とリトアニアの関係を見つめた時、この原発新設プロジェクトよりもずっと前に、あるリトアニア(当時は帝政ロシア)生まれのユダヤ人の姿が浮かび上がってくる。それがベン・シャーンだ。
 彼は1898年、カウナスにユダヤ人の両親のもとに生まれる。8歳で家族とともにアメリカ・ニューヨークに移住し、1930年代から60年代のアメリカを拠点に活躍した。彼の代表作の1つが連作「ラッキー・ドラゴン」。1954年にビキニ環礁で起きた第五福竜丸被曝事件をテーマにした作品だ。絵を通してアメリカの核実験への強い憤りとマグロ漁船第五福竜丸の悲劇を伝えている。
 リトアニアで生まれた1人の画家が日本人の経験した被曝の脅威を伝えるために筆をとってから約50年経った今、日本がリトアニアにお返しするのは原発であるという何という運命の皮肉。もちろん核実験と原発を一緒くたに扱うのが非常に乱暴なことは百も承知だが、それでも今こそ改めてベン・シャーンの想いを見つめ直す必要があるのではないだろうか。

 アメリカを拠点に活躍したベン・シャーンがリトアニア人にとってややマイナーな存在なのに比べて、こちらはリトアニアで最も有名な芸術家と言っても過言ではない。それがミカロユス・チュルリョーニス。
 彼は画家としても作曲家としても一流で、いわばリトアニアが誇る万能人。私の恩師がチュルリョーニスのことを知っていたのは、おそらくチュルリョーニスの展覧会が日本で開かれたことが大きいのだろう。「チュルリョーニス展:リトアニア世紀末の幻想と世紀」と銘打たれた展覧会は1992年に東京のセゾン美術館で開催された。私が生まれる前のことだから知る由もない。驚くべきはその開催年。1992年と言えばリトアニアが国連に加盟してからまだ 1年も経っていない。そんな独立初期の海外への展覧会の開催地に日本が選ばれたわけだ。そもそも一部の日本人に人気があったのか、あるいはリトアニアが日本を望んだのか、はたまた他の理由か、そのあたりは良くわからない。しかし、いずれにせよ何か繋がりを感じないわけにはいられない。
 夏にリトアニア南部の都市、ドゥルスキニンカイのチュルリョーニス記念館を訪れた。ここは若き日のチュルリョーニスが暮らした場所だ。絵画の展示数は多いというわけではないが、彼がどういった環境で育ったかを知ることができる。いかにも牧歌的な雰囲気を漂わせる庭付きの平屋だ。
 そして彼の絵画を鑑賞するために必須の場所はカウナスの国立チュルリョーニス美術館。20リタス紙幣の裏側に描かれているヴィタウタス大公博物館のすぐ隣。チュルリョーニスの絵画はもちろん、彼の生い立ちを知ることができる展示室や彼が作曲した音楽を聞くことができる音響ルームなど、チュルリョーニスを丸ごと堪能できる施設だ。
 ここからは厚顔無恥にも彼の絵画を素人眼で勝手に批評してみたい。往々にしてチュルリョーニスは自然の風景を描く。シンプルで穏やかな草原や森林、海や湖が登場し、空と大地のコントラストの中に太陽や月といった光が見て取れる。そこには自然の偉大さや荒々しさというより、包み込むような自然の豊かさや限りなさ、そしてそこから自ずとわき上がってくる悠久の時の流れがある。
 そして彼の絵を彼の絵たらしめるものはファンタジー的な独特の作風。原始や太古の地球を想起させるような幻想的な空間に彼のオリジナリティを感じる。興味深いのは、彼の絵には巨人の姿や巨人の手足の形象のようなものが直接的に、間接的に現れることがある。あるいは動物の形象と自然の形象のゆるやかな融合が見られることもある。雲や林が人の手の形や蛇の形をしていたり、涙が道、光が目となったり。
 一見、有史的で人工的な装いを持つ人間や建造物を発見することができるが、それらはおとぎ話に登場するような王様や王女様であったり、オリエンタルな宮殿であったりと、幻想的雰囲気を醸し出す絶妙な装置となっている。
 また登場するキャラクターたちはどこか神秘的なベールをまとっている。まるで自然の神の遣いであるかのような。ヨーロッパ最後の多神教国家として伝統的ペイガニズムの土着的香りを残すリトアニア。そして太古の昔から自然信仰やアニミズムの土壌を育み、八百万の神信仰へと脈々と受け継がれている日本。この自然の神性についての両者の連関性をチュルリョーニスの絵から感じるのは単なる私の妄想か。しかし、ジブリ映画の「となりのトトロ」や「もののけ姫」、「天空の城ラピュタ」の舞台というのを西洋絵画的に捉えたとき、それはまさしくチュルリョーニスの世界観と一致するのではないかと感じることがある。さらに言えば、前者が生命のいきいきとしたエネルギーを放出させるのに対し、チュルリョーニスの世界観はむしろ魂が安らかに集う死後の世界や現世を超越した宇宙空間を想像させる。
 兎にも角にも興味を持たれた方は一度ご自身の目で見て、自分なりの評価を下してほしい。チュルリョーニス展が再び日本で開催されることを願うばかりだ。



セゾン美術館で開催された展覧会のポスター




















ドゥルスキニンカイにあるチュルリョーニス記念館




















チュルリョーニスの自画像




















カウナスにある国立チュルリョーニス美術館




















1903年の作品「Serenity(静寂)」。ゴリラが水面から顔を出しているようにみえる。チュルリョーニス記念館所蔵。

backnumber
●No.1 リトアニアの3.11
●No.2 世界を知らない私と私を知ってくれている世界
●No.3 キョーゲン・イン・リトアニア
●No.4 カウナスという街
●No.5 愛しのツェペリナイ
●No.6 その人の名はスギハラ
●No.7 エラスムスの日常
●No.8 検証:リトアニアの噂 前編
●No.9 検証:リトアニアの噂 後編
●No.10 プラハで出会った哲学男
●No.11 魔女の丘、そして悪魔の館へようこそ
●No.12 お後がよろしくないようで
●No.13 ブラジルへの切符を求めてやってきたボスニアのムスリムの話 前編
●No.14 ブラジルへの切符を求めてやってきたボスニアのムスリムの話 後編
●No.15 時は今?雨が滴しるカウナス動物園
●No.16 リトアニアの第二の宗教

Topへ