お後がよろしくないようで

 付け焼き刃は剥げやすい。にわか仕込みの技術や知識だけではすぐにアラが出るというたとえである。古典落語「青菜」の枕によく登場することわざだ。あらすじは、ある植木屋の男がお屋敷の主人から小粋な隠し言葉を教えてもらう。自分も使ってみたいと、覚えたその日に自宅で使おうとするが大失敗してしまうというお話。人間国宝・柳家小さんの十八番である。遠く異国の地に来てから、日本語に恋しくなるときがある。そんな時よくiPodに入れてある落語を聞くのだが、この小さんの「青菜」はよく聞く演目の1つ。付け焼き刃は剥げやすい。この小さんのアドバイスを軽んじたしっぺ返しは痛かった。
 リトアニアの首都ヴィリニュスでは毎年日本のポップ・カルチャーを紹介するイベントが開催される。その名は「nowJapan」。読んで字のごとく日本の現代文化をこよなく愛する人々のためのお祭りである。イベントの起こりは2008年に開催されたコスプレ大会。それ以後、日本大使館のバックアップも受けながら「nowJapan」は今年で記念すべき5回目の開催となる。年々規模が大きくなっており、参加者はバルト3国からだけでなくウクライナやロシア、ポーランド、ベラルーシ、ドイツ、イギリスからもはるばるやってくるという。
 夏休みが終盤に差し掛かった8月初旬、当然「nowJapan」の主催者の1人からコンタクトを受けた。それは「イベントで落語を披露してみないか」という提案だった。そういえば夏休み前に、あるリトアニア人の友人に国際教養大学で落語サークルに所属していたことを話したっけ。おそらくその友人が「nowJapan」の主催者に声をかけてくれたに違いない。兎にも角にも私はそのありがたい提案を二つ返事で引き受け、すぐさま打ち合わせのためヴィリニュスへ向かった。
 主催者との打ち合わせで、まず開口一番、落語が全くもって「now」なポップ・カルチャーではないことを告げた。「nowJapan」の趣旨に反するのではないかというのが気がかりだったからだ。しかし、主催者側としては全く問題ないとのこと。コスプレ大会から始まったイベントではあるが、日本の伝統文化への人気も根強いらしい。たしかに外国人からすれば日本の伝統文化も現代文化も初めて出会うという点で真新しさ、斬新さを双方から感じるのだろう。 
 そして、主催者に一通り落語の概要を説明して、言語に関する相談をした。それは英語落語で参加者は理解できるかという心配だった。むろん日本語でできないのは百も承知だったが、イベント参加者の使用言語が気にかかっていた。しかし、またも主催者側としては問題ないとのこと。ほぼ参加者は英語が分かるということらしい。たしかに考えてみれば、日本のアニメを楽しむためには、英語字幕が理解できるのが当たり前と言えば当たり前なのだ。
 余談になるが、国の大きさと国民の外国語能力は反比例しているように感じる。つまり誤解を恐れず単純化すれば、日本やアメリカ・イギリスなどは自国語をベースにした文化が巨大なため、それらを消費するだけで一生満足することができるが、リトアニアなどは自国語ベースの文化だけではすぐに満足できなくなるのだと思う。日本人は英語ができないとい嘆くが、1億人を越す話者がいる日本語という言語を喋れるおかげで、多くの人が生涯然したる問題もなく、日本語で十分に仕事ができ、文化活動にいそしむことができる。だから逆に言えば、皮肉にも、日本人が英語ができるようになる時代というのは、日本語だけではろくに仕事もできないし、文化も十分に楽しめないという時代なのかもしれない。もうじきそんな時代がやってくるかもしれないが。
 打ち合わせから本番の9月14日まではおおよそ1ヶ月ほどあった。ただ8月の後半の2週間は夏休み最後の旅行を計画していたので、実際準備期間は限られていた。その上、人生初の英語落語でもある。そこで、選んだ演目は「時そば」。比較的短い話で、登場人物も限られ、サゲも万国共通の理解が得られる演目である。実際「時そば」を選んだ一番の理由は日本で購入した英語落語の本に立川志の輔の「時そば」の全文英語のスクリプトが記載されていたから。文字起しして英訳する手間が省けるという実に浅はかな理由だ。
 「時そば」は「饅頭怖い」や「寿限無」と並んで最も世に知られている落語の演目である。そばの勘定を1文ごまかす詐欺のやり方を目撃した粗忽者が、同じことを試みるようとするが、上手く行かず逆に余計に多く支払うという滑稽話。これもまさに「付け焼き刃は剥げやすい」がテーマの演目だ。
 旅行からリトアニアに帰国したあと、「時そば」の暗唱や仕草の練習をするとともに、枕を推敲していた。枕とは落語の本筋の話に入る前のプロローグ的なおしゃべりの部分である。まず落語を全く知らない人たちに落語とは何なのかという解説しなければならない。そしてその後、常套手段として軽い小咄を挟んで場を温めようと思った。そこで、ふと思い立った。「リトアニア語で小咄をやろう」。以前からリトアニア語で何かできないかと思っていたが、何ぶん自分のリトアニア語のレベルは底辺中の底辺。しかしこの時「小咄ぐらいなら」と思った。後から思えば「魔が差した」と言った方が適切なのだが。
 本番2週間前、リトアニア人の友人に訳してもらったリトアニア語の小咄にひたすらカタカナでルビを振っていた。たかが2つの小咄で、それぞれ4分程度の短いものである。されど未知なる言語を侮るなかれ。全然頭に入ってこない。そんなこんなで時は矢のごとく過ぎ去るのだった。
 nowJapan本番当日。日本大使によるイベント開会の挨拶やその他の日本のイベントには目もくれず、1人待合室で練習をしていた。あまり緊張しない性格だが、突貫工事で片付けたリトアニア語の小咄のこともあり、不安が残る。そして午後4時頃いざ舞台へ。
 落語をやっているとき、正直意識がない。気づけば落語が終わって、目の前に拍手してくれる観客のみなさんがいるということ。この日もまったくそういった状態だった。つまり万事上手くいったということ。今回の場合、ただ1つを除けば。それはリトアニア語の付け焼き刃がいとも容易く剥げてしまったということだ。公演中、ふとリトアニア語の小咄でつっかえてしまったのだ。頭の中が真っ白になる感覚である。なんとか誤摩化してその場を取り繕ったが、ありがたいことに観客は笑ってくれていた。とりあえず観客は日本人がリトアニア語を喋るおかしさと温かいおもいやりで笑ってくれたのだろう。
 落語はnowJapan始まって以来、初めての試みらしい。近年、世界中でたくさんのひとが英語落語に挑戦しているが、リトアニア語で落語をやったものは未だにいないのではないだろうか。もう少しで「世界で初めてリトアニア語で落語を披露した男」になるところだったが、あえなく「世界で初めてリトアニア語で落語を試みたが、失敗した男」ということになった。よって初のリトアニア語落語の栄冠はまだ見ぬ次のチャレンジャーに譲りたい。















nowJapanのロゴ。おそらく日の丸にゴジラを象ったものだろう




















コスプレ大会参加者の様子(nowJapan公式Facebookページより引用)




















落語の実演。座布団は巨大ビーズクッションで代用(nowJapan公式Facebookページより引用)















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●No.1 リトアニアの3.11
●No.2 世界を知らない私と私を知ってくれている世界
●No.3 キョーゲン・イン・リトアニア
●No.4 カウナスという街
●No.5 愛しのツェペリナイ
●No.6 その人の名はスギハラ
●No.7 エラスムスの日常
●No.8 検証:リトアニアの噂 前編
●No.9 検証:リトアニアの噂 後編
●No.10 プラハで出会った哲学男
●No.11 魔女の丘、そして悪魔の館へようこそ

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