プラハで出会った哲学男

 アイスブレイクとは初対面の人たちが最初打ち解けやすいように、軽いゲームを通して話しやすい環境を作ることである。
 先日のサマースクールは氷が全く溶けなかった恐ろしいアイスブレイクで幕を開けた。このときのゲームは4人1組のグループに分かれて、お互いの共通項をできるだけ早く5つ見つけるというものだった。例えば、「犬を飼っている」とか「ピーマンが嫌い」とかいう共通点をお互いに探っていく訳である。グループにはブリュッセル在住の女性とイギリス・イングランド出身の女性、そしてイギリス・スコットランド出身の男性。はじめに口を開いたのはその男だった。強烈なスコティッシュアクセントで開口一番、「ニーチェは哲学者であるが文学者ではないという意見に賛成の人は?」と言い放った。案の定、予想外の共通点の話題に場が凍った。場の雰囲気に目もくれず、彼はさらにニーチェとはなんぞやということを語りだして、最後に「それで、このグループの統一意見は賛成?反対?」とドヤ顔をかましてきた。
 その後、何度かイングランド人女性が「ハリーポッターシリーズを読破した」や「蜘蛛が嫌い」といった分かりやすい共通項を出してくれるにもかかわらず、彼は「あの、J・K・ローリングって人は・・・」と語りだすあり様。その上「レイシズムは人類として避けられないときもある」だとか「金正恩の顔は客観的に言って醜い」といった難解で複雑な話題を持ち出してくる。このときばかりはこの一癖も二癖もある男に「アイスブレイクなのに逆に空気を凍らせてどうする」とツッコミを入れたかったが、弁を述べるだけの英語力とアグレッシブさを持ち合わせておらず空しく沈黙。しかし、そこでベルギーの女性が「なぜそんなに難解に考えるの?」と彼にストレートに問いかけた。よくぞ言ってくれたと内心思いながら、男の方を向くと、男はあっさりと「だって哲学者だからね」と一言。彼をやり込めるのは不可能だった。後々分かったことだが哲学科の大学院生で、聖職者を目指す同性愛者だとのこと。「このサマースクールにはとんでもない輩がいる。このプログラム期間果たして生き抜けるのだろうか」と1日目早々不安になったものである。
 今回はリトアニアではなくチェコでの出来事のお話。前置きが長くなったが、6月29日から7月6日の8日間、私は大学の夏休みを利用してプラハ・サマースクールに参加した。このサマースクールは今回で記念すべき10周年目。世界各地から大学生、大学院生、研究者、実務者などがプラハに会して分科会ごとに分かれて見聞を広め、議論をし合うもの。私が参加した分科会は「China: A World Superpower - Myth or Reality?(世界の超大国・中国:幻想か現実か?)」というタイトルで、米中関係の研究者でカレル大学教授のヤコブ氏のもとで、超大国としての中国の虚実を多角的に考察しようというもの。参加者はイギリス人3名、ロシア人2名(うち1名はハンガリー在住)、ルーマニア人、イギリス留学中のシンガポール人と私の計8人。幸運にもこの分科会は少人数で、ほとんどが学部生だったこともあり、レベル的には自分に適合していた。
 プログラムはヤコブ教授による基礎知識レクチャーをベースに、ゲストによる特別講義、そしてフィールドトリップで構成されていた。ゲストレクチャーはロシアの対中外交の実務職員と台湾の外交主任によるもの。フィールドトリップではチェコ国会議事堂とプラハ最大のアジア・マーケットである「リトル・ハノイ」を訪れた。
 また勉学以外にも、他の分科会との垣根を越えてのプラハ観光や世界遺産であるクトナー・ホラへのエクスカーション、ヴルタヴァ(モルダウ)川のナイト・クルージングなど参加者間の交流事業も目白押しだった。ちなみに他の分科会にはヨーロッパの政治社会を考える「European Politics: Interests versus Culture(欧州の政治:利益と文化)」「The Future of Europe: Lobbying in Brussels(欧州の未来:ブリュッセルのロビー活動)」や犯罪心理学系の「Crime, Law, Psychology(犯罪・法・心理学)」があった。
 分科会では中国は未だアメリカと並ぶほどのスーパーパワーではないが、近い将来肩を並べるだろうといった意見が多かった。基本的に中国の国内政治経済問題、対米外交、台湾問題、チベット問題に重点が置かれたが、教授も他の参加者も日中間をはじめとする中国の領土問題に強い関心を示していた。新たな発見は南シナ海でフィリピンやベトナムなどが中国との間で抱える領土問題の方が、尖閣諸島問題より実際は深刻そうだということだった。例えば、最近の中国政府発行のパスポートに描かれている中国地図には、南シナ海の係争地を自国領として示しており、中国のパスポートが税関を通過するとき、然もその領土の主張を黙認したかのような外見を装わせてしまう、非常にしたたかなやり方を実施していることを知った。一方で中国に国際社会で適切な役割と責任を担わせることで、アメリカとのパワーバランスを上手く維持しながら、平和外交に貢献していくことを期待する声も多く聞かれた。
 分科会を通して、日本はロシアや韓国、東南アジア諸国などの周辺諸国と密に連携しながら、米中の狭間にありながら良い意味での緩衝地帯のキーパーソンとして米中間の高まりつつある摩擦を緩和していく意識が重要だと思われた。昨今、日本は中国を意識する時、日中の2国間関係だけを考えて、軍事大国を目指す中国に脅威を抱き、無用な国内ナショナリズムを高めているが、より広く東アジア・太平洋地域のパワーバランスの中で中国の戦略と対峙する必要性を感じた。そして日本が中国とどう付き合っていくかということはアジア諸国の対中外交方針にも少なからず影響を与えることになるので、その意味で日本の外交力が国内外から問われているのではとも感じた。
 サマースクールでの議論を通して、改めて日本を取り巻く国際問題の複雑化を認識するとともに、様々なバックグラウンドを持っている人々と交流することで広い視野を持つことの重要性を感じた。
 ちなみに哲学者の彼は同じ分科会ではなかったので、アイスブレイク以降言葉を交わさなかったが、分科会合同のゲストレクチャーの時、宗教研究家と丁々発止の議論を交わして、ひどくご満悦そうだった。それ以来、幸か不幸か彼が私にとって哲学者の強烈なイメージとなった。















ヴァルドシュテイン宮殿。現在はチェコ議会上院として利用されている














「リトル・ハノイ」内にある小さな仏教寺院














クトナー・ホラの世界遺産、聖バルバラ教会














ヴルタヴァ川から見たプラハの夜景














サマースクール参加者で記念撮影。ヴァルドシュテイン庭園にて

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●No.1 リトアニアの3.11
●No.2 世界を知らない私と私を知ってくれている世界
●No.3 キョーゲン・イン・リトアニア
●No.4 カウナスという街
●No.5 愛しのツェペリナイ
●No.6 その人の名はスギハラ
●No.7 エラスムスの日常
●No.8 検証:リトアニアの噂 前編
●No.9 検証:リトアニアの噂 後編

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