リトアニアの第二の宗教

 「リトアニア第一の宗教はローマカトリック、では第二の宗教はなーんだ?」このクイズはリトアニアに1年留学すれば、耳にタコができるほど幾度となく耳にすることになる。世界史をかじったものは、受験時に貯金した知識をフル動員して頭をひねらせる。「旧ソ連の国だからロシア正教が答えでは?」とあるものが答えれば、「いやいや北欧スカンジナビア諸国に近いからキリスト教プロテスタントでしょ?」と返されるかもしれない。あるいは「リトアニアはヨーロッパ最後のペイガニズム国家だから土着の宗教が正解だろ?」とか「首都ヴィリニュスは北のエルサレムと称されていたからユダヤ教でしょ?」とかいった返答があるかもしれない。
 では果たして正解は?統計ではローマカトリック79パーセントという圧倒的な地位に次いで9.5パーセントを占めるのが無宗教である(CIAワールドファクトブックより)。「ここまで引っ張っておいて、そんな引っかけアリかよ」と腑に落ちない表情のあなた。残念ながら、まだまだ引っ張ります。ということで統計的な正解は無宗教だが、このクイズの正解ではない。
 カウナスをぶらり街歩きしているとよく目にする落書きがある。それは「1944」という年を表す数字。そしてリトアニア語独特のアルファベットであるジェー(Zの上にチェックマークがついたもの)が「19」と「44」の間に挟まっている。実はこれが第二の宗教のクイズを解くカギ。
 第二の宗教がリトアニアに正式に伝えられたのは1930年代。ロサンゼルスでリトアニア移民の家族の下に生まれ、アメリカで大活躍していたプラナス・ルビナス(米名、フランク・ルビン)がその「伝道師」と言われている。彼の卓越した指導の下で、リトアニアはヨーロッパのなかでも一目置かれる存在になる。しかし第二次世界大戦を通じてリトアニアがソ連に編入されてからは、その担い手たちは多くがリトアニアではなくソ連のために尽くすことを強いられる。そんなリトアニアの長い社会主義時代が始まった1944年。あるチームがカウナスで産声を上げる。それが今なおカウナスの老若男女から絶大な人気を誇るバスケットボールチーム、ジャルギリスである。
 すでに皆さんお分かりの通り、リトアニア第二の宗教とはバスケットボールのことである。名称は1410年にリトアニアがポーランドと協力してドイツ騎士団勢力の伸張を阻止したジャルギリスの戦いから。紹介した落書きは設立年とチーム名の頭文字。ちなみにリトアニア人が好む色は緑色なのだが、これはもちろん国旗の色ということもあるが、ジャルギリスのシンボルカラーが緑ということも少なからず関係していると思う(ジャルギリスの接頭部ジャリアスは緑という意味)。
 これまでのジャルギリスの試合観戦歴はカウナスでの2回。どちらも欧州バスケットボールの最強チームを決めるユーロ・リーグという大会で、ジャルギリスのホームであるジャルギリス・アリーナで開催された試合。1回目は10月18日に開かれたスペインのレアル・マドリードとの戦い。この試合は幸運にもタダ観戦。というのも観戦チケットをたまたまゲットしたスペイン人のルームメイトがバスケットボールに興味がないということでタダで譲ってくれたのだ。スペイン人から受け取ったチケットでリトアニア側を応援することへの良心の呵責が、なんてことは全く考えずにジャルギリスを応援。しかし結果は63対83でレアル・マドリードの勝利となった。帰国する前に勝ち戦も見てみたいと、自腹で観戦した2回目は11月14日、ドイツ・バンベルグのブローゼ・バスケッツとの1戦。結果は91対81で見事ジャルギリスの勝ち試合となった。
 2つの試合を通して感じたことはジャルギリスのサポーターたちのジャルギリス愛、そして祖国愛の強さである。試合は必ずリトアニア国歌の斉唱ではじまる。それもホームでの開催のためほとんどの観客が総立ちという様相。電光掲示パネルにも国歌の歌詞が流れる。
 そして試合が始まって一番驚いたのはスリーポイントシュートを伝える司会のテンションの差。レアル・マドリードやブローゼ・バスケッツがスリーポイントシュートを決めると、あっさりと「スリーポイントシュート」と伝えるのみ。一方、ジャルギリスが決めようものなら「スリィィー、ポォイントゥォ、ショォォォート」と凄まじい歓喜の叫び声である。
 そしてジャルギリスの応援団やチアガールだけでなく普通の観客たちの応援熱も半端ではない。ゲームが佳境に入ってくると、みんな一丸となっての「ジャルギーリス!」と「リエトゥーヴァ!」(リトアニア語でリトアニア)の大声援。判官贔屓という日本人の美徳からするとリトアニアの大人げないまでの熱狂ぶりにやや当惑することもあるが、そんな雰囲気を出そうものなら観客席からつまみ上げられそうだ。まあ、これは誇張が過ぎるだろうが、実際に写真を撮ろうと何度も立ち上がろうと試みたが、後ろに座る何十何百というサポーターのおぞましいまでの熱い視線を想像すると、とてもじゃないが数秒でも彼らの前を遮るなんてことはできなかった。まさにリトアニアでは冗談ではなく本気でバスケットボールを「信仰」しているのだ。
 なぜリトアニアの人々はここまでバスケットボールに熱狂するのか?その1つの答えは1992年に開催されたバルセロナ・オリンピックにあるだろう。このオリンピックはソ連から独立を果たして初めてリトアニアのナショナルチームとして参戦できた記念すべき大会だった。ソ連時代にリトアニア人は国際的にはソ連のチームとしてしか活躍できなかった。それでもリトアニア人はバスケットボールの素地があったようで、例えば1980年代のソ連のナショナルチームのメンバーの半数はリトアニア人で構成されていたという。
 独立国家としてソ連のくびきから解放されたリトアニアにとって、バルセロナ・オリンピックは国際社会へ向かう輝かしい舞台だった。この大会でリトアニアは三位決定戦の舞台まで勝ち進む。この銅メダルをかけた最後の戦いの相手は奇しくもロシアに他ならなかった。まさに運命の巡り合わせ。しかもトーナメント戦に入る前にリーグ戦で両者が一戦を交えた時は80対92でリトアニアが敗退していた。それもあって尚のことリトアニアにとっては絶対に負けられない三位決定戦。まさしくソ連の悪夢を真に打ち破れるかどうかを懸けたような象徴的な激突となった。
 そして結果は、82対78。4点という僅差でリトアニアが勝利を収めた。再独立した新生リトアニアにとって、この勝利はたかが1スポーツの歓喜では決してなく、国の誇りを取り戻した歴史的出来事であった。だからこそ私はこの勝利がバスケットボールをリトアニアという国のアイデンティティの大きな1つの柱にしたといっても過言ではないと思うわけなのである。




















カウナスの日本食レストラン「ボートの小屋」付近にある落書き




















リトアニアの国歌斉唱




















バルト3国の中でも最大規模を誇るジャルギリス・アリーナ




















ジャルギリス専属応援団。彼らは疲れることを知らない




















対ブローゼ・バスケッツ戦。もちろん緑色のユニフォームがジャルギリス

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●No.1 リトアニアの3.11
●No.2 世界を知らない私と私を知ってくれている世界
●No.3 キョーゲン・イン・リトアニア
●No.4 カウナスという街
●No.5 愛しのツェペリナイ
●No.6 その人の名はスギハラ
●No.7 エラスムスの日常
●No.8 検証:リトアニアの噂 前編
●No.9 検証:リトアニアの噂 後編
●No.10 プラハで出会った哲学男
●No.11 魔女の丘、そして悪魔の館へようこそ
●No.12 お後がよろしくないようで
●No.13 ブラジルへの切符を求めてやってきたボスニアのムスリムの話 前編
●No.14 ブラジルへの切符を求めてやってきたボスニアのムスリムの話 後編
●No.15 時は今?雨が滴しるカウナス動物園

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