Vol.867 17年7月22日 週刊あんばい一本勝負 No.859


60代は何をしていたんだろう

7月15日 スポーツノンフィクションの名作・山際淳司『江夏の21球』が角川新書から再出版された。仙台の書店で見つけ、すぐに購入。家に帰ったら、同じ本が版元から届いていた。著者の山際さんの奥様のご配慮だろう。山際さんが亡くなったのは1995年、もう20年以上が経つ。生前、能代工業バスケット部のノンフィクションを書いてくださいと依頼し、快諾してもらった。何度か秋田に取材に来てもらい、以来親しくさせていただいた。でも約束の本は書いてもらえぬまま、山際さんはこの世を去った。奥様が出された追悼本の中に「秋田の出版社と約束した原稿が書けずに心傷めていた」という一節を見つけ、涙が出た。義理堅く、飄々として、いつでも清涼な風をまとっているような清潔感のある人だった。NHKTVでスポーツキャスターを始めたので、毎週のように画面で会える様になったが、そのあまりの激やせぶりに不安も募った。そのキャスター時代、丸々3日間、山際さんは誰とも連絡がとれなくなるという「失踪事件」を起こしている。NHKの番組担当者から「居場所がわかりませんでしょうか」と今にも泣き出しそうな電話をもらった。秘密裡にがん検査入院をしていたのだ。そのことは奥さんの追悼本で知った。お別れの会では、江夏豊がずっと直立不動だったのが印象に残っている。すぐ横に日ハム監督だった大沢親分が座っていたため、椅子に座ることができず立っていた、というのがことの真相のようだ。それにしても享年46というのは、あまりに若すぎる。

7月16日 Sシェフと2人で鳥海山横の笙ケ岳に登る予定だったが、昨夜遅く「朝から雨のようなので中止」の連絡。前回の轍を踏まないよう入念に準備していたのだが……。朝からものすごい雨。朝の起床は11時。たっぷり「寝だめ」。心身ともすっきりした。山行が中止になったので、夜はSシェフとシャチョー室宴会。その準備や常備食のカンテンづくりをしながら雨の休日を過ごしている。なんだかこの頃、時間ができると本を読むよりは料理をするのが楽しくなってきた。外食をしたり、コンビニ食材で酒を呑むよりも、自分で何かをつくって飲み食いするのが、断然いい。

7月17日 寝室も事務所でも毎日たっぷりクーラーのお世話になっている。クーラーは快適な仕事と睡眠を保証してくれる必需品だ。そうなのだが、山登りの時などにはテキメンに反作用に悩まされる。夏バテしてしまうのだ。快適さのツケはどこかで払わなければならないのだ。若ければともかく、この年になるともうクーラーを我慢する気はさらさらない。時間的区切りは設けるが、使い放題状態にかわりはない。そういえば先日読んだ本にすごい記述があった。夏の夜、プ〜ンと鼻先に飛んでくる1匹の蚊。その蚊の羽ばたきの風がとても涼しかった、と書いている御仁がいたのだ。東日本大震災でほとんどの電気製品使用をやめ、ついには朝日新聞記者までやめてしまった、あのアフロヘアーの稲垣えみ子さんだ。蚊の羽ばたきの風って、彼女以外の人が言ったら、たぶん笑われてしまうだろう。彼女の本(『寂しい生活』)を読んでいると素直にそこも納得できる。

7月18日 散歩の途中にある飲食店が2軒、閉まっていた。1軒はこの地域の老舗で「おふくろの味風の居酒屋」。中高年のおやじたちのたまり場だった。流行っている印象もあったが、あっさり長い歴史に幕を閉じていた。少しクセのある店で、新規の客がつきにくいイメージもあったから、客が高齢化したせいかもしれない。もう1軒は私も何度かお邪魔したことのある大学前のおでん屋。主人は高学歴(早大卒)で話題の豊富な人だった。ある人から「最近亡くなったようだよ」と聞いたので、のぞいてみた。看板は跡形もなく店は空っぽ。このままだと手形と広面は寿司屋とラーメン屋ばかりになってしまい。この2つのジャンルはなぜつぶれないんだろう。

7月19日 朝から歯医者。1本の歯の治療に週一でも1カ月かかる。治療が終わると別の歯が痛くなる。けっきょく1年中、歯医者通いは止まらない。昨夜、録画しておいたTV番組「鼓童×坂東玉三郎」を観た。鼓童を追いかけるだけでもハイレヴェルなドキュメンタリーができるのに、あえて玉三郎という「異物」を注入した長期取材番組だ。鼓童ではなく玉三郎が重要、という番組コンセプトは新鮮だ。演出家・玉三郎のハイレヴェルで複雑な要求に応えようと右往左往する若者たちが初々しい。ふんどし姿に鉢巻きで太鼓をたたくのは美しいのか。そんな基本的な提案をする玉三郎は過激な演出家だ。

7月20日 東成瀬村の取材。朝一番で外国人英語教師の授業風景を取材するので5時起き。昨日、近所のスポーツクラブではじめてトレーニング。筋トレやストレッチで軽めの汗を流した。そのトレーニングの前、体力測定。身体の成分を分析して上半身と下半身の筋力や体脂肪などを自動的に算出してくれる機械がある。この分析結果がショックで夜も寝付けないほど。散歩や山歩きをしているので下半身は標準以上だが、上半身がまるでペケ。身体年齢が「71歳」と評価された。この数値を訊いた時、目の前が真っ黒になり、崩れ落ちそうになった。もうどうしようもないないところまで、わが身体は来ていた。一から鍛え直すしかない。

7月21日 体力測定ショックを引きづっている。寝ても覚めても身体をどう立て直すかばかりを考えている。もしかすると70代を目の前にして、心身とも大きな曲がり角なのかもしれない。これまでの経験からして、40代にちゃんと運動(エアロビ)していたので、50代は大きな病気もなく過ごせた。50代中盤から夢中で山に登ったおかげで、60代は老害や劣化といった退化も感じないでやりこせた。そうした過去の蓄積に甘え、この60代はちょっとダラダラ慢心、グータラの日々を過ごしてしまった。「身」はともかく「心」のほうも問題だ。常に何かテーマを見つけて取材や執筆を続けてきたのだが、60代に入ってから目標を失った。自分の執筆活動は開店休業状態になってしまった。大問題だが自分のなかから切迫感すら消えてしまった。身体のほうはジムに通いながら少しずつ解決策を模索していくしかない。心のほうは、とりあえず「東成瀬村」のルポを書くことに今は集中。とにかく前を向いて進んでいくしかない。
(あ)

No.859

作家的覚書
(岩波新書)
高村薫

 この小説家のいい読者ではない。『レディ・ジョーカ―』には驚いたが、複雑な構造を持った長編作品が多いので、「ちょい読み」ができない。こちらにある程度の覚悟(時間や余裕)がなければ手にとれない。本書は岩波書店のPR誌「図書」に連載されている時評を中心に編まれたエッセイ。生活者の視点から日々の雑感を綴ったものだが、そこには辛らつな時代を射抜く作家の目が息づいている。高橋源一郎の時評も鋭いが、この著者の観察眼の鋭さにはかなわない。日本という国に生きることの本能的な危機意識が全篇にあふれ、痛々しいほどだ。本人は還暦を過ぎたあたりから社会時評からは身を引き、「時代相の覚書を書き留めているだけ」と謙遜するのだが、そうした思いとは裏腹に「情緒と欲望の低劣な言葉が社会を席巻する時代」に、私たちは突き進んでいるのが現状だ。私たちの失ったものはあまりにも大きい。もはや取り戻すことは不可能かもしれない。でも引き返すことのできない地平までさ迷い歩いてしまった。その己の愚かさに気づかさせてくれる。最近こうした硬派の社会時評がすっかり影を潜めたなあ。

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