Vol.815 16年7月16日 週刊あんばい一本勝負 No.807


企画・キャンセル・整理整頓

7月9日 1年に2度くらいだが企画がポコポコと湧き出してくる。数本の企画を思いつき、その可能性を確認している最中だ。短期間に4,5本の企画が頭に浮かび、かなりの確率で実現するのだが、その回数が年2回ほどというのが問題だ。若いころは年中企画を思いついていた。55歳を過ぎたあたりから何も浮かんでこなくなった。いや思い付きはするのだが、ボツの確率がどんどん高くなる。20年前とは時代を取り巻く状況が激変。以前のような感性に頼って企画を立てるのは無理。売れないだろうけど後々までしぶとく残りそうな本、というあたりが企画のポイントだ。これがまたどうにも難しい。

7月10日 いつものモモヒキーズではなく有志で八塩山矢島口登山。発案者は私で、どうしてもまた行きたくなった。雨だったがカッパも苦にならない。矢島の鳥海山国際禅堂から登山道までは2,5キロの山道を走らなければならない。ここでカモシカの赤ちゃんと遭遇。やぶから突然飛び出してきて車の前を全力で走っていた。息が上がって横のやぶに戻るまで100mほども走ったろうか。やぶにそれてからも、しばらく我々の車を呆然と眺めていた。何が起きているのか自分でもよく理解できないようだ。大きさは大人のウサギほど。ほとんど「バンビちゃんと」と呼びたくなるほど愛くるしい。近くに母親がいるのは確かだが、はぐれたりしないだろうか心配だ。

7月11日 昨日の山行でだいぶリフレッシュ。山はやっぱりいい。と同時にもう修行増のような激しい山行は無理かも。ストレスが溜まりリフレッシュより不安やストレスの素になりつつあるからだ。焼石、神室、鳥海、和賀といった「覚悟」の必要な山は「敬して遠ざける」時期に来ている。朝起きてその日の気分でヒョイと登りにいけるようなハイキング程度でもう充分だ。今週もいろいろとひまそうで忙しい。仕事に目立った動きはないが、事務所の改修や家の塗装工事、銀行との面談もある。モモヒキーズの暑気払い宴会や東京から出版相談に来る方もいる。2階の書類整理も最終段階。大量の紙の資料を捨て、使わない備品類を処分。それが終わると来週は自宅の書斎の整理整頓が待っている。

7月12日 山帰りの車中で突然、永六輔さんのある印象的な話を仲間に紹介しようと思ったが気のりがせず、やめた。帰ったら永さんの訃報が流れていた。やはり何か虫の知らせのようなものがあったのかもしれない。永さんには何度かお会いしている。私の処女作である『中島のてっちゃ』の書評を「話の特集」に書いてもらったのが最初だ。尺貫法の秋田のコンサートを主催したし、秋田大学の特別講演にも来ていただいた。本の帯文を書いてもらったこともあった。ザ・ピーナツの妹さんの死もショックだったが、やはり永さんは私たちにとって特別な存在だった。永さんの「無名人語録」全三巻は死ぬほど面白くて何回も読んだ。仲間たちに話そうと思ったのは永さんの死生観。これが実にユニークでユーモラス。直接聞いた話なので機会があったら紹介したい。

7月13日 毎日食する「たくあん」は宮崎産だし、味噌汁のだしは「茅乃舎」(福岡)。お茶は熊本産で調味料のケチャップ・マヨネーズ・ポン酢にソースはすべて徳島のひかり食品。コメだけは「あきたこまち」と胸を張りたいところだが、ときどき頂いた新潟産コシヒカリをいただいている。基本的な食品は毎日食べるものなので、おいしいもの優先だ。県内産ナショナリストになるのは難しい。正直なところ西日本の食品のレヴェルは東日本より高い。地場産を称賛したいが地元の生産者は勉強不足。秋田で一番おいしい、というのは何の評価にも値しない時代がもう来ているのだ。

7月14日 久々に湯沢へ。湯沢墓地公園で父母の墓参り。お盆も命日も関係なしのロクデナシなので湯沢に行く機会があるとまずは何よりも墓参りをして帳尻合わせ。そこから羽後町仙道に出て「地蔵禅寺」というお寺を訪ねてきた。ここは受験のため夏の数週間、友人と勉強合宿した場所だ。梨木峠を越せば東由利の村で、よく登る好きな八塩山も見える場所にある。こんな山奥まで当時はどんな縁があって登ってきたのか忘れてしまった。当時私は18歳。ご住職の息子さんが同年代で、確か駒沢大学在学中で修行中の身だった。その息子さんが今は立派なご住職になり、お勤め中だったがわざわざ顔をだしてくれた。50年ぶりの感激の再会である。

7月15日 事務所内の資料や本関係の整理が終了。だいぶすっきり涼やかになった。保管庫や道楽小屋(アウトドア関係や生活不用品を置いてある)が整理整頓でスペースができると、なんだか心まで豊かになったような気分。例年なら7月8月は毎週大きな山行きがあって仕事どころではないほどプレッシャーがのしかかってくる時期だ。今年は年齢や疲労、ストレスを考え、それらの山行をすべてキャンセルすることにした。これが精神衛生上リラックスできる環境を作ってくれた。和賀や焼石、神室や鳥海には行かないが、太平山や森吉、栗駒や真昼といった1000m峰にはチャレンジする。それでも大きな山のプレッシャーとストレスとは比較にならないほど楽しめる山々だ。山行の1週間前から節制し、襲い来る不安と戦いながらその日を待つ。まるで修行か苦行そのものから解放されるだけでも、達成感はないが心は軽くなる。
(あ)

No.807

ブラジルの光、家族の風景
(サウダージ・ブック)
大原治雄写真集

すごい写真集だ。でもこの本を入手するのは困難かもしれない。高知県立美術館が16年4月9日から6月12日まで開催した大原治雄写真展の図録だからだ。市販されていない。私は美術館に電話してこの図録を買い求めた。大原はブラジル移民のアマチュア写真家だ。その美しい構図と品格のある映像のたたずまいは、あの山陰の写真家・植田正治を思い起こさせる。こんなすごい写真家がいることはブラジル移民研究家たちも長い間知らなかった。08年のブラジル日本移民100周年記念に際し、大掛かりな大原の写真展がブラジル各地を巡回し、広くその存在を知らしめることになった。この年に遺族が写真アーカイブでブラジル屈指のモレイラ・サーレス財団に、大原のネガや日記、撮影機材などすべて寄贈したことが展覧会の始まりだ。大原は1909年高知県に生まれ17歳でパラナ州ロンドリーナ市に農業移民として渡った。以後、1999年に亡くなるまで、1度も日本の土を踏むことなかった。この図録には財団から提供された180点の作品が収録されている。コンテスト用に撮った芸術写真から、身近な家族を写した私的な写真などで構成されている。移民といえば定番の悲惨で陰鬱な写真がほとんどないのも特徴だ。自然への敬意や家族への温かいまなざし、小さな幸せを宝物のように大切に記録しようとする、大原の写真家としての知的で凄みのあるまなざしが、ストレートにこちらに伝わってくる写真だ。

このページの初めに戻る↑


backnumber
●vol.811 6月18日号  ●vol.812 6月25日号  ●vol.813 7月2日号  ●vol.814 7月9日号 
上記以前の号はアドレス欄のURLの数字部分を直接ご変更下さい。

Topへ