Vol.804 16年4月30日 週刊あんばい一本勝負 No.796


自由葬って気分がいい

4月23日 モモヒキなしでズボンをはいた記念日。今風に言えばユニクロのアンダーパンツだが、去年の秋からもう半年以上お世話になった。散歩に出るとき下半身がなんとなく心もとなかったが、歩いているうちに汗ばんできた。パジャマも冬用から春秋用のものに今日から変える。昔は本当に寒さに強かったが、今はまったくダメ。汗をかくぐらいの温かさが「常温」だ。なのに着るものは厚ぼったい冬ものが少なくなっている。薄物を重ね着する習慣ができ、着脱を苦に思わなくなったせいだ。山に登るようになったために身に付けた知恵。重ね着は本当に便利で有益な(健康にとって)生活慣習だ。季節の変わり目によく風邪をひいていたころが懐かしい。

4月24日 大仙市にある姫神山、伊豆山、神宮寺岳の通称「西山三山」登山。小さな山の連なりだがアップダウンが結構きつい。合計五時間以上の縦走になる。地元のガイドMさんが案内してくれるので安心なのだが、花の見どころも多いし、山菜(コシアブラやゼンマイ)も採り放題。先日仙台で買ったばかりの軽登山靴のお披露目もあり足元を気にしながらの山登り。

4月25日 外に出て暴飲暴食して体重が増えるのがトラウマだ。そのために外出を控えているほどだが今週あたりから積極的に外に出たいなあと思っている。長くて寒くて暗い冬の季節が終わったからだ。コチコチに凝り固まった心を解き放つ時期が来た、と思いつつも、心の片隅では「いい季節になったのだから、わざわざよそへ行かなくても」という複雑な声も聞こえてくる。外に出るのが年々おっくうになるのはホテルのベッドが窮屈なったせい。自分の寝床が一番心地いい。年をとるといろんなことが「おっくうになる」とは聞いていたが、こういうことだったのか。

4月26日 いただきもののコシアブラを湯掻いて胡麻和えに。味噌和えも作り、両方の味を堪能。天ぷらもうまいが胡麻との相性は抜群だ。数年前まで山菜好きのくせに秋田の人はコシアブラを食べなかった。山形や長野の人たちは昔から食べていたというから秋田には何か食べない理由や事情があったのだろう。あまり知られていないがコシアブラは薬用植物でもある。血圧降下作用がある。秋田県民はコシアブラを食べなかったから高血圧者が多いのかも。「天ぷらにすればタラの芽よりうまい」という風評が県外転勤族などからもたらされ、ようやく秋田の人たちも食しだした、という説もある。山菜のサバ缶鍋のルーツにも関心あるがが、まずはコシアブラをかたづけてからだ。

4月27日 義母が亡くなった。満年齢は94歳だが数えでは96歳。大往生と言っていいだろう。喪主(妻)の希望で葬儀は家族だけの自由葬。すべてを昨日で終了した。納棺から火葬、お別れの会まで僧侶なし、無宗教の、実に「すがすがしい」葬儀だった。葬儀にお坊さんが絡むことで過去に何度か妻ともども不快な思いを抱いてきた。仏教に何の恨みもないのだが、敬意を払える坊さんには久しく巡り合わなかった。でも僧侶がいなくても何の不自由もない。やってみて初めて葬儀はのびやかで自由なほうがいいと思った。息子には「オレの時もこれで頼みます」と言い聞かせたほど。

4月28日 早朝、新入社員は鳥海山へ。遊びに行ったわけではない。GW前にオープンする鳥海山5合目稲倉山荘の「無明舎特設書店」への納品だ。一度納品すると補充があっても宅配便や郵便では届けてもらえない。日本で一番遠くて手間のかかる書店と言いたいところだが、長野では北アルプスの山小屋にある書店に毎年ヘリコプターで本を納品していたそうだ。上には上がいる(その版元はもうなくなったが)。

4月29日 この2週間、書店や取次、ネット書店からの本の注文がパタリと途絶えた。まちがいなく熊本地震の影響だ。昔はこんなことはなかった。いやあったのだろうが、全体から見ると微妙なところで治まっていた。いまは直截的だ。事件と同時にドカーンときて、しばらくその状態が続く。いつの間にか元に戻っているのだが、今回のように大きな地震になるとその期間も長い。日本全体がお財布ともども「緊縮」してしまうのだ。
(あ)

No.796

漂流怪人・きだみのる
(小学館)
嵐山光三郎

書店で見かけて即購入。装丁も著者もテーマも「今すぐ読みたい」と思わせる「なにか」を持っていた。「きだみのる」その人にそんなに興味があるわけではない。その生涯にも興味はない。どちらかというと著者の「評伝」を書くこれまでの姿勢やスタイルが好きだ。そこを信用してのことだ。自分が出会って感じたことしか書かない。ノンフィクション作家が資料を駆使しながら「造形」してしまう評伝とは一味も二味も違う。それがいい。私たちの世代にとって「きだみのる」は彼が連れまわし後年、岩手の『子育てごっこ』の作家の養子になって有名になった「ミミちゃん」のほうに興味惹かれる。ミミちゃんは、きだみのるがある人妻に産ませた実娘、というのも実は本書を読むまで知らなかった。岩手との縁も、単にきだが縁もゆかりもない大船渡が、たまたま好きだったことによるらしい。本書ではミミが岩手に移ってからの(きだとは直接関係がなくなってからの)章が皮肉にも最もスリリングで面白かった。著者の評伝は徹底的に自分の好き嫌いで人物像が造形されていく。編集者として偏頗な作家と付き合い、その中から感じたことだけを骨格に、自己流に物語を編んでいく評伝である。偏っているといえばその通りだが、この偏りこそ評伝を書く際の重要な個性になる。

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