Vol.800 16年4月2日 週刊あんばい一本勝負 No.792


トラブりイラつくばかりの3月が終わった!

3月26日 1週間のうちの「土曜日」が年々大きな存在感を持つようになってしまった。帳尻合わせというか、何も予定が入っていない「調整日」として、1週間のうちでもっとも重要な意味を持つ曜日に、いつのまにかなってしまったのだ。やり残した仕事、グズグズとやる気の起きないデスクワーク、無駄に時間ばかりかかる編集準備、手紙を書いたり長い原稿をまとめたり、日誌を記し手帳を整理し、切り抜きに目を通し来週の予定を確認する。みんな土曜日の仕事だ。週日はあえて手を付けないようになってしまったのだ。余裕のある、電話も来客もない土曜日がそんな仕事に最適なのだ。次の日曜はたいてい山行なので、その準備もけっこう時間がとられる。いつのまにか土曜がないと1週間が回らなくなってしまった。

3月27日 協和町道の駅前「未踏峰3山」の今日は2座目、「長者森」(323m)の初登頂。未踏峰というのは「私たちにとってのみ」という意味。3座の中では一番アプローチが長い。幸か不幸か雪はなく、やぶをかき分け蔓に身体をからめとられながらの山行。急峻な斜面を1時間20分、どうにか頂上へたどり着いた。とおもったら頂上はきれいに下刈りされ8畳ほどのきれいな盆地になっていた。登ってきたルートと反対にちゃんと整備された登山道があるではないか。先月の大森山に次いで今回の長者森をSリーダーの名前から「S2」と名付け、来月はS3に挑戦する計画だったが、なんだかちょっと拍子抜け。でも知らなかったおかげでハードな山歩きを楽しむことができた。

3月28日 新刊『マンガあきた伝統野菜』ができてきた。前日までに発送準備作業などすべて終えていた。が、なんと本にオビがかかっていない。印刷所のミスだ。すべての作業はオビ待ちで中止に。2日後、時間がぽっかり空いたので届いたばかりのオビを自分でかけることにした。4時間ほぼわき目もふらずかけ続け500部ほどやっつけた。昔からこうした単純作業は嫌いではない。いや得意なほうだ。こういう単純作業に集中すると、他のことが手つかずになる。でも「やりたい」という思いにブレーキがかけられなかった。オビをかけ終え達成感がふつふつと湧き上がってきた。ひとりビールで祝杯。

3月29日 村上春樹『海辺のカフカ』をようやく読了。途中でやめると筋が辿れなくなるから、読み始める時に前回のあらすじを頭でなぞってから読みだすように心がけた。この本の前に同じ著者の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んで村上春樹って面白いなあと目覚めてしまった。15歳の少年を主人公にしたギリシャ悲劇のような本書も過激でメルヘンな物語だ。最初は物語についていくのがやっとだったが、下巻あたりから面白くなり、読み進むのがもったいなくなった。そうか村上春樹ってこんな作家だったのか。今度、集中的に過去の作品を読んでみようか。ひとりの作家に入れあげることはめったにないのだが、その価値はありそうだ。それにしてもこんな難しい作品が何百万部も売れる理由だけは、いまもってよくわからない。

3月30日 日帰りで酒田まで行ってきた。電車は楽でいいなあ。本数が少ないのが問題だが、わずか1時間半で着いてしまう。駅に着きRホテルまで歩いてランチバイキング。野菜主体のメニューなのでムチャ食い。このホテルは朝昼夜ともバイキングがあり宿泊客以外でもにぎわっている。ランチ後、出羽大橋を越えて土門拳記念館まで歩いた。帰りは100円バスに乗り市立図書館まで戻る。ここで調べ物をして、今度出す予定の本の著者と打ち合わせ。市内郊外にあるモンベルに寄り買い物。夕方遅くに秋田着。充実した1日で歩数計は1万7千歩。ランチの食いすぎが心残りだが野菜がほとんどなので大目に見てほしい。

3月31日 ようやく3月も終わり。「ようやく」という言葉にはいろんな思いが詰まっている。ずっとトラブっていた問題の解決に丸々この3月いっぱいを費やしてしまったからだ。メールや電話で「今月で退職します」という連絡も何人かの方からいただいた。そうか年度末か。退職される方々は新聞記者や公務員、出版関係者などだが、みんな楽しそうに仕事をしていた人たちだ。突然、仕事が目の前から消え、これからは膨大な時間の壁との戦いになる。わかったようなことを言っているが当方は全く「老後の時間」の実感なし。泳ぐのをやめると酸素不足で死んでしまうマグロのまま。ひたすら泳ぎ続けることだけを考えて日々をしのいでいる。急に「泳がなくていいよ」といわれても、それは自分にとってほぼ「死ね」といわれているようなもの。けっきょく死ぬまであくせく働き続けるのだろうか。

4月1日 新年度の4月。3月は「じっと何かに耐えている」ような1か月だった。フラストレーションがたまったが新年度とともにそれも霧散した。文字通りこちらも新入生にようにフレッシュな気持ちで4月を迎えることができた。手帳で確認して驚いたのだが3月中にDVD映画を19本観ている。だいたいイラついたり腹の立つことが多いと映画に逃げこむ。ちなみに3月に観た映画のベストワンは昭和11年のモノクロ日本映画『有りがたうさん』。2番目はリオのスラム街の若者を描いた『シティ・オブ・ゴッド』、『NY眺めのいい部屋売ります』はわざわざ仙台の映画館まで観に行った価値があった。レンタルビデオはもっぱらライブドアのネットを利用しているが、月に20本観ても2千円にもならない。1冊1500円以上する本が売れないのは当たり前だよね。
(あ)

No.792

辞書になった男
(文藝春秋)
佐々木健一

 毎日1日1回は電子辞書を引く。ブログの日記を書いているからだ。職業的にみればけっして多いほうではない。電子辞書に入っている辞書はは「大辞林」。語釈がそっけないのは電子用に再編集しているからなのだろうか。本書のサブタイトルは、「ケンボー先生と山田先生」。こちらが重要な書名だ。たまたま読みだした本だが、これがもうムチャクチャ面白い。「昭和辞書史最大の謎が今解き明かされる」というキャッチコピーにウソはない。「三省堂国語辞典」を編んだ見坊豪紀と「新明解国語辞典」を編んだ山田忠雄という2人の天才なのか奇人なのかよくわからない2人の交流と決裂と確執を描いたドキュメンタリーだ。著者はNHKディレクター。同名のTV番組で名を馳せた人だというが、その番組を観ていないのが悔しい。その昔、赤瀬川源平『新解さんの謎』がベストッセラーになったが、あれと内容的には同じものだが、中身の濃さは「小学生と大学教師」ほどの差がある。辞書の編纂は大学の先生たちの特権のようなもの、と思い込んでいたが、この2人の貴人の職業は「辞書編纂家」だ。辞書の印税だけで食べている人たちなのだ。これは知らなかった。一時期、辞書の代名詞みたいな監修者の代表であった金田一京助は、国語学者というよりもアイヌ語研究者で、辞書そのものの専門家ではない、というのも初めて知った。要するに名義貸しなのである。

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