Vol.799 16年3月26日 週刊あんばい一本勝負 No.791


どうやら忙しさも去ったようだ

3月19日 毎日、電子辞書を1回は引く。電子辞書に入っているのは「大辞林」。語釈がそっけないのは電子用に編集しているからなのだろうか。佐々木健一『辞書になった男――ケンボー先生と山田先生』(文藝春秋)はたまたま読みだした本だが、これがもうムチャクチャ面白い。「昭和辞書史最大の謎が今解き明かされる」というキャッチコピーにウソはない。「三省堂国語辞典」を編んだ見坊豪紀と「新明解国語辞典」を編んだ山田忠雄。この2人の天才、奇人の交流と決裂を描いたドキュメンタリーだ。著者はNHKディレクターで同名のTV番組で名を馳せた人。その番組を観ていないのが悔しい。それにしてもこんな面白い本を見逃していたなんて。その昔、赤瀬川源平の『新解さんの謎』がベストッセラーになったが内容的には同じものだ。でも中身は「小学生と大学教師」ほどの差がある。

3月20日 毎年この時期なると登る保呂羽山は小さな山だ。でも高山にも負けない楽しみ方ができる山でもある。マンサクが咲き、山頂の裏には雪割草の群生地がある。雪割草はまだ早かったが可憐な白とピンクが蕾のまま咲く直前だった。去年比べて雪が少なく、スノーシューを履いたり脱いだりの煩わしさはあるが、それを差しいひいても魅力ある低山だ。10年ほど前、この山で初めてスノーシューを履いた。借り物だったが「なんて便利なのだろう」と驚いた。その当時のことを思い出しながら、春の息吹がいたるところに感じられるの山歩きを満喫。

3月21日 不思議な映画を観た。1936年(昭11)制作・清水宏監督・『有りがたうさん』(出演・上原謙・桑野通子)。邦画には珍しいロード・ムービーで、脚本なしのオールロケのモノクロ映画というのだから驚く。「ミスター・サンキュー」の題名でアメリカでもDVDが発売されている。八人乗りの路線バスの中で起きる運転手と乗客、そして追い抜く通行人たちとの交流を描いた淡物語だ。大きな事件は起きないし上原の演技も下手。話を無理に盛り上げたりしないところが塩味が効いている。最初から最後まで肩の力が抜けているから逆に余韻も深い。道路工事をするチマチョゴリを着た朝鮮人労働者が当たり前のように描かれていて印象に残った。日本はすでに大恐慌時代に入り、人々の暮らしは苦しく、ここから一挙に戦争へとなだれ込んでいく前夜。人々の諦観に似たため息が「暗く、湿っぽく、陰鬱に」描かれていないのがいい。

3月22日 先日、大阪に滞在した折、友人が「秋田ゆかりの場所がある」と大阪城東側の小さな神社に案内してくれた。大坂冬の陣で佐竹義宣が陣を張った神社だ。地名は城東区蒲生4丁目で、たぶん出陣しやすい場所にあったのだろう。大きな通りから小路に降り、民家がびっしり立ち並ぶ一角にあった。当時はそこから遠くにかすかに大坂城が見えたのだろう。この神社から秋田藩士たちは豊臣攻めに出陣した。寒さに耐えきれず神社内のご神木を切り、暖をとった。そのお詫びとお礼に戦が終わった後、義宣は神社に数百本の苗木を贈ったという。宮司の榊原さんは秋田からの不意の訪問客に目を白黒しながら、にこやかに対応してくれた。

3月23日 去年の暮れからずっとバタバタし通し。それも3月いっぱいで終わり。4月は静かで内省的な日々が送れそうだ。でも月末は2本の新刊ができてくる。まだ気は抜けない。新刊点数の推移をみれば明らかだが、去年暮れから今月までの4か月間でなんと9冊近い本(増刷1冊)を出している。よくもまあという感じだ。逆に4か月間で1冊しか新刊を出せない時期も去年はあった。こんな不規則で不安定なペースでこれからも本を出していくのかと考えると先が思いやられる。

3月24日 倉本聰作・演出『屋根』を観劇してきたカミさんが「秋田の観客サービスで、台詞を秋田弁でやってくれた」と感激して帰ってきた。どうやらカミさん以外にも観劇者の多くが「私たちのために秋田弁の芝居にしてくれた」と思っているようだ。いやいやそれは違います。観に行っていない私が言うのもヘンだが、あの芝居はもともと秋田をテーマにした芝居だ。他の大都市上演でも秋田弁で演じられている。秋田県民のためにわざわざ脚色した、ご当地用の芝居ではない。断言するのにはワケがある。ちょうど1年前、ある会合で隣に座ったのが倉本さんの娘さんだった。彼女は私が秋田から来たと知ると「父がいま芝居を作っていて秋田の人をテーマにしたもの。毎日、秋田弁に頭を抱えているんです」と打ち分け話をしてくれた。劇中の秋田弁は定番のセリフなのだ。ここまで説明するとカミさんも納得、芝居を観てない人間が、観た人間に講釈するというお粗末の一席でした。

3月25日 朝起きてドテンビックリ、外は白一色、雪景色。春の陽気に浮かれて冬ものをしまい込んだばかりだ。必ず一度はこうして季節に裏切られる。わかっているのだが、いくつになってもだまされてしまう。その落差が大きすぎ、口をあんぐり開けて外の景色を眺めるしかない。テレビでは桜の開花予想が盛んだ。ある人が「桜の開花時期をマスコミが騒ぎたてるようになったのは娯楽が少なくなった証ではないか」と書いていた。なるほどそういう見方もあるか。とはいえこちらの桜はTVがすっかり忘れかけた5月になって満開になる。去年はバタバタしてお花見はなし。今年は余裕でお花見がしたいものだが、ひと月先のことはわからない。今日のようなことがあるからだ。心の底から余裕で桜を楽しめる日々は、はたして自分に来るだろうか。
(あ)

No.791

今日も元気だ映画を見よう
(角川SSC新書)
芝山幹郎

 本を選ぶ作業はなんとかなる。自信というほどではないが、著者や書名や出版社名を総合的に判断すればそう外れはしない。でも映画はダメだ。選ぶ「指針」がないからだ。どうしてもテーマを優先してしまう。フランス映画の小品が好みなのだが、探し出すのが大変だ。レンタルビデオ屋ではもっぱら「ミニシアター系」専門だ。活字になった映画本でセレクトすることも多い。選ぶ映画評論家も千差万別で、信用できない人物が跋扈する世界だ。そんな中で比較的信用できるのが山田宏一と芝山幹郎。芝山の場合はとにかく文章がうまい。表現のバリエーションが素晴らしいので、観たくない映画もついつい借りてしまう。例えば本書から文章をランダムに拾うと……「この映画は余白が大きい。余韻も深い。整体師のようだ。体調の悪い時にたびたび癒されてきた」「江戸前としてしか言いようのない切り上げの良さと、柳に雪折れなしの風流があった」「爆笑や哄笑ではなく、微笑みや、くすくす笑いを誘う喜劇」「良質の甘さがある。美酒ではないが、職人技で作られたケーキの甘さだ」「「東宝特有ののんきな小市民主義。マンネリズムの奇妙なマッサージ効果」「喜劇として浮かせず、悲劇として沈めず」「映画の生ぬるさに腰が砕けた」……といった具合だ。ね、読んだだけで観たくなるでしょ。

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