Vol.792 16年2月6日 週刊あんばい一本勝負 No.784


未踏峰・食あたり・閉業

1月30日 久しぶりにシャチョー室宴会。総勢3名限定のSシェフ料理発表会だ。旬のカキとタラを使った料理を堪能、おいしかった。Sシェフの料理に対する姿勢と情熱はそのへんの料理屋のオヤジたちの比ではない。金や客目当てで作る料理ではない。まっすぐひたむきに旬の食材と向き合った料理だ。メインのタラやカキに添えられる副食の野菜たちにもじっくり手をかけている。朝ご飯も昨夜Sシェフが余分に作ってくれた料理。おかげでカミさんも上機嫌。友人の京都の料理人がよく言っていた。「美味しいは、心の栄養です」。

1月31日 自分の人生に「未踏峰登頂」などという単語が登場するとは思いもよらなかった。久しぶりの日曜登山はSシェフと2人だけで協和町道の駅の真向かいにそびえる「大森山(316m)」へ。登山道はないし山のガイドブックにも一切記載のない山。協和町にはこうした未踏峰(?)の山が長者森、光ヶ森と3座ある。大森山はかなり急峻の連続で一筋縄ではいかなかった。1時間半の悪戦苦闘の末山頂に立ったが、達成感はなかなかのものだった。登り口から頂上までスノーシューを履いたが平らな道は一度もなかった。これならカンジキのほうが正解だったかもしれない。それはともかく下山はわずか25分ほど。25分で降りられる道をその6倍近い時間をかけて登るわけだ。

2月1日 昨日ぶじ未踏峰登頂を果たし家に帰ったのが午後3時。夕飯には早いので、ひとり事務所で飲み始めた。未踏峰登頂祝いとそのコーフンを鎮めるためだ。ドンドン調子に乗りビールでは終わらず「どぶろく」まで手を出した。夕方5時にはすっかり出来上がった。そのへんから身体にだるさと寒気を感じた。風邪をひいたな、と直感、そのまま夕飯もとらず寝てしまった。夜中、苦しくなって起き上がるとモーレツな吐き気。10分間ほど寝室2階の窓から吐き続けた。寒気もだるさもない。ひたすらムカムカするだけだ。食あたりだ。賞味期限の切れたソーセージが悪かったのか。冷蔵庫の残り物なので犯人は正確にはわからない。水分だけはと思いポカリスエットやらペットボトルを夜中に3本からにした。カミさんに怒られながら「三光丸」という生薬を飲まされ、今日はずいぶん気分は回復。お粗末でした。

2月2日 二晩安静にしていたら嘔吐感は消えた。でもまだ地に足がついていない。フワフワした雲の上にいる感覚が残っている。昨晩も今日の朝もお粥に梅干しだけだったが五臓六腑にしみこむほどうまかった。お粥を食べたのは何年ぶりだろう。一日中ベッドの中で過ごしたい誘惑もなくはないが、この頃は毎日のように打ち合わせやら来客がある。食欲も戻っていない状態だが、今日の体重計はいつもの数字に。昨日計った時は二キロ減、二四時間でこの変動はどうなっているのか。

2月3日 半年ぐらい前から毎日「打ち合わせ」と称する仕事が増えた。朝の会議も定例会議も事後報告もほとんどしないので有名だったの、にえらい変わりようだ。2年前からデザイナーが新しい人になった。文字以外の仕事は彼女にほとんどまかっせきりで、今風に言えばリモート(在宅)勤務のようなもの。彼女は遠隔地に住んでいるので週一回の打ち合わせが必要だ。そんなこんなで打ち合わせが増えてしまった。昨夜読んだ本に面白いことが書いていた。「東京は打ち合わせばかりしていてウンザリ、高知に移住しました」という内容の本だ。で高知に移住して年収は3倍、職住環境は向上、子育ても夫婦仲も満点になった、と手放しの移住讃歌本だ。これだけ自画自賛の内容も珍しいが、イケダハヤトという著者は何冊もちゃんとした本を書いている若手ブロガー。ホームレス支援のマガジン「ビッグイシュー」のオンライン編集長も務める有名人だ。書名は『まだ東京で消耗してるの?』(幻冬舎新書)。地方の現実や常識を覆す刺激的な本だが、都会に住む若者たちは、この挑戦的な本をどう読むか、田舎のジイサンは実に興味深い。

2月4日 面白かった本や印象深い本を読むと人に教えたくなる。と同時にガックリくるほど面白くない本というのも、その数倍ある。面白くない本のことをあしざまに書くのは禁じ手だ。その禁を破るが、期待して読んだ野坂昭如『絶筆』と石原慎太郎『天才』は、どちらも最後まで読むのが辛かった。いや今日は本のことを書くつもりではなくデジカメだ。最近山行で撮ってくる写真がみんな薄暗く精彩がない。腕というよりもカメラの性能が劣化しているとしか考えられない。同行者のSシェフの写真と同じ場所で撮っているのに、圧倒的にSシェフの写真のほうが鮮明で構図もいい。これはショック。日ごろSシェフの写真はヘタでセンスがない、とこき下ろしていたのに、いつの間にか形勢は逆転。もう5年以上、酷寒、熱暑、雨雪の中で粗末に扱ってきたデジカメの祟りかもしれない。

2月5日 信州の友人から「松本のK出版が閉業」の新聞ファックス。K出版はうちとほぼ同じ時期に創業し当時よく比較された。メディアに一緒に登場する機会も少なくなかった。とはいってもK社は独特のビジネスモデルを持った「特殊な地方出版社」。全国各地で高額なその土地の写真集を作り、さっさと去っていくというパターンを企画と経営のメインにしていた。いっときはものすごい自社ビルを建て35人もの社員を抱え全国を飛び回っていた。わずか数か月で一県の文学全集を作ってしまう安易な編集手法へ批判は絶えなかったが、あれだけの社員を抱えていれば責めてばかりもいられない。この40年間で4000点の出版物を世に出してきた、というのも驚く。冷静に考えれば少なくとも出版物のなかにはロングセラーや重版本が一割ほどあるのが常識だ。もしK社が一割400点のロングセラーを持っていれば、新刊を出さなくても3,4人は十分食っていける。そのはずなのだが残念ながらそうしたロングセラーがなかったようだ。出版経営は難しい。 
(あ)

No.784

生命と記憶のパラドクス
(文春文庫)
福岡伸一

 もう古典的な名著といってもいいだろう『生物と無生物のあいだ』で、この著者のファンになった読者は少なくないだろう。一度ハマるとこの著者の呪縛からなかなか抜け出せない。分子生物学者としての確たる科学的視点と、平易な文学的表現で文系にもわかるサイエンスの魅力を伝えてくれる。これは優しそうで難しい技術だ。抒情的な文体を駆使することのできる科学者は珍しい。ひそかに「平成の寺田寅彦」と呼ぶ人もいる(私だが)。ハカセの文系度が半端ないのは「本屋さんの愉しみ」という一文を読めばわかる。この項でハカセは京都の三月書房とサンタモニカの反骨書店(9.11後もチョムスキーの本などを並べていた)、奄美大島の「あまみ庵」の三つを好きな本屋さんとして挙げている。京都の三月書房は業界では知る人ぞ知る通たちの好きな書店だ。こうしたチョイスは生半可な本好きにはできない。とはいっても著者の真骨頂はやはり生物学。本書でも「進化に目的はない」の項で「キリンの首」説に触れている。キリンの首が長いのは頑張って高い場所にある葉っぱを食べようとしたから、というラマルク説が遺伝学的に誤りであることにふれ、さらにそこから新たな福岡節を炸裂させている。

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