Vol.789 16年1月16日 週刊あんばい一本勝負 No.781


映画と裸眼と歩数計

1月9日 今年初めて外が雪で真っ白になった。玄関雪かき初め。このくらいの冷え込みがちょうどいい。冬が来たという感じ。できればこの程度で「矛先」が治まってほしいのだが、そうはいかない。今日は出社せず(行けば仕事をしてしまう)完全休養日。電車に乗ってどこかに出かけよう。行先は決めていない。ヘタをすれば気が変わって駅でコーヒーを飲んで帰ってくる可能性も。ちゃんと冬が来ないので、気持までユラユラしている。ここでないどこかで自分を見つめなおすのも必要なのかも。こんなことを考えるのは今読んでいる辰濃和男『四国遍路』(岩波新書)の影響かな。

1月10日 電車に乗りながら2冊の本を読み続ける。着いた街でも喫茶店に入り読書。本なんかどこでも読めるだろうと言われそうだが、そうではない。読了した本は辰濃和男『四国遍路』とアダーナン・フィン『駅伝マン』。どちらも「歩く(走る)こと」を考察した、平易な哲学書のような内容だ。特にフィンの本は「ケニア人ランナーはなぜ日本人を問題にしないほど強いのか」をテーマに据えたランニング本。無意識のナショナリズムの怖さを教えてくれる。高校大学実業団にたくさんいるアフリカのランナーたちの多くが、日本の練習メニューとは別のトレーニングをしている。日本のコーチングや練習方法に疑問を持っているからだ。舗装道路と箱根駅伝に諸悪の根源がある、と著者はいう。データは豊富、最新の科学的知見も多く勉強になる。

1月11日 家事が増えた。洗濯機に風呂の残り湯を入れる仕事だ。カミさんの膝の故障でいつの間にか小生の役割に。哲学者の鷲田清一と評論家風の鷲田小彌太を「同一人物」と勘違いしていた。どちらも大阪大学、哲学、書評……と名前だけでなく共通項が多いから紛らわしい。1年前、香港の書店で数種類の習近平批判本が平積みで売られていたのを目撃した。1国2制度とはいえ中国はもうこんな言論の自由まであるんだと見直した。のだが、やはりそう甘くはなかった。香港の書店関係者5名の失踪事件報道に慄然。繁華街にある道路沿いの小さな書店だったが道路にはみ出した平台がすべて国家や共産党批判の本であることがその書名から推察できた。もしかしてあそこが「銅鑼湾書店」だったのだろうか。背筋が寒くなる。

1月12日 お正月はDVD映画ばかり観ていた。ライブドアの「ほすれん」というネット通販レンタルだ。毎回4本ずつ週2回レンタルするから毎日1本は観ている勘定だ。これはいくらなんでも多い。本を読む時間が無くなってしまう。世間では今日あたりから正月気分が抜ける。毎日映画鑑賞とはいかなくなるのは必至。しばらく映画は封印だ。若い人(新入社員とバイト)たちは2つの倉庫に眠っている在庫本整理・処分に忙殺されている。捨てても捨てても在庫は減らない。2つの倉庫を1つに減らすのが目標だが、そう簡単ではない。さらに複雑なのは新刊より既刊本のほうがアマゾンなどを通じて売れる傾向は強まる一方なのだ。

1月13日 今年になってまだ2週間。なのに「国からのアンケート調査」依頼が3通も。そのほとんどが「働き方」に関する調査で、通産省、文科省、中小企業庁など似たような内容だ。たぶん対象者のリストアップの段階で同じリスト・データを使っているから、こんなことになるのだろう。どこかの業者が勝手に作った住所リストをもとに、国は中間業者に丸投げしているだけ。その無責任さがたまらなく不快だ。真面目に答えていた時期もあったのだが、これがけっこう面倒くさい。税理士に問い直さなければならない項目や過去の記録を調べなおすような質問もある。けっきょくはコンサルタントやシンクタンクの会社を儲けさせるためなのだ。

1月14日 飲み会に誘われたとき宴席が畳か椅子なのか、気になるようになった。よく考えると家の中にも畳の部屋はいつのまにかなくなった。暮らしの中から畳が消えつつある。胡坐をかくのも苦痛になった。せっかく楽しみにしていた飲み会も畳に胡坐となるとほとんど修行だ。よく行く小料理屋「みなみ」でも畳の座敷に上がることはない。いつもカウンター。チェーン居酒屋は掘りごたつ方式がメインで安心だが、店内のあの喧騒に慣れるのが一苦労だ。いい年をしてつくづく「現代っ子」なのだ。そのくせ酒のツマミはおしんこや塩辛、家呑みなら常備菜か前夜の残り物のようなものでもう十分。畳も胡坐もNGなのに酒のアテだけは老人だ。

1月15日 散歩の歩数計の数値がここ数日いきなり増えた。いつも1万歩ちょっとが基準値なのだが1万5千歩を超える日も珍しくない。散歩コースはいつもと変わらない。歩数計の故障か電池交換時期なのか。そうではなかった。外は雪道、転ばないように知らず知らずのうちに歩幅が小さくなっていた。大股で歩くにはアイスバーンは危険すぎる。この年になると転倒は大事故につながる。臆病者のアライグマのように1歩1歩不安げに歩いていた結果だったのだ。右足のかかとも雪道とともに痛みだした。これは雪道用ブーツのせいだ。散歩中は意識的に眼鏡を取り裸眼で歩く癖がついた。転倒防止には眼鏡をかけたほうがいいのだが、もう裸眼にすっかり慣れてしまった。このおかげかわからないが、小生、まだ本格的老眼に至っていない。
(あ)

No.781

拙者は食えん!
(新潮社)
熊田忠雄

 幕末、洋食に初めて出会ったサムライたちの苦闘と感動を描いたノンフィクションだ。サブタイトルは「サムライ洋食事始」。書名とサブタイトルは文句のつけようがないほど決まっている。これ以上のものはないだろう。当時の日本人(我朝人といっている)が使節団として海を渡り、どのようなものを食べ、何を食べられなかったか、何度かの使節団の日誌などを大量に読み込み、その食事内容を克明に描いている。巻末の参考引用文献を見るだけでも楽しくなる。よくこれほどの資料を渉猟したものだ。なかでも印象的なのは、帰りの渡航船の中で醤油がなくなり冷静なサムライたちが半狂乱になる件だ。生魚も野菜も調達は可能だが醤油がないといかんともしがたい。これがサムライたち(日本人)の本音だ。塩焼はすぐにあき、どうしても醤油でなければ食事が成り立たない。「パンは気味悪く牛はさらなり。二日三日食事は一切いたさず空腹堪えがたし」というわけである。歴史をこうした断面(洋食)で切り取り、その時代背景まで知らぬまに興味の対象になっていく笑いながら読める歴史ドキュメントである。それにしても当時の遣米(欧)使節団というのはすべて相手国が全額費用を持っていた、というのは初耳だ。そういえば前回取り上げた「ラーメン本」でも戦後のアメリカの食糧援助にも日本はちゃんと対価を支払っていたのだそうだ。これもちょっと驚きだ。

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