Vol.788 16年1月9日 週刊あんばい一本勝負 No.780


明けましておめでとうございます

1月1日 明けましておめでとうございます。本年もよろしく、お願い申し上げます。皆様にとって今年もより良い年であることを願っています。

1月2日 「登り初め」の予定だったが雨がやまない。正月早々どしゃぶり登山も何なので、今日は中止。すっかり予定が狂ってしまった。さて何をしようか。買い物がある。カーテンのフック。アクセサリー用時計の特殊電池。ストップウオッチ(朗読練習用)の定時ブザーを止めること。カミさんから命じられた喫緊の用事だ。でも雨だし車もない。車は新入社員がスキー旅行で使用中。そのスキー場も県内はどこも雪がない。

1月3日 ご飯を食べながら観るともなくテレビを観ていたら、不思議な番組をやっていた。NHKの番組で「奇跡の色 前代未聞!85mの大窯備前の巨匠・森陶岳が古備前超えの夢に挑む」という陶芸家のドキュメンタリーだ。番組名に品がない。ネーミングに慎重さも謙虚さのかけらもない。まるで民放の芸能ワイドショーのよう。陶芸家は自分を「陶岳」と名乗り、窯の大きさを自慢し、番組はしきりに「古備前を超えた」「奇跡だ」と自画自賛。ナレーションは羽田美智子という女優で情感丸出しの演技過剰な語りは、こちらが赤面するほど。中身がまるで言葉に追い付いていない。エンドロールにNHK岡山制作とあった。お正月は名作の再放送もあるが、こうした大仰で中身のない「地方もの」でお茶を濁すこともある。NHKだからいい加減なことはしないというのは幻想だ。

1月4日 カイコという言葉は小さなころからなじみがあったが、実際に実物をみたのは大人になってからだ。農家ではなかったから、自分の身の回り存在しない「動物」だった。カイコが気になりだしたのは日本各地に旅をするようになってから。日本の近代や農家に「お金を運んでくれた特別な虫」について、知りたくなった。生物学的に見れば本来はクワコという蛾の一種だ。それを人間が絹糸を作り出すマシンに変えてしまった「人工昆虫」だ。毎日卵を産むように人間が変えてしまったニワトリと似ている。カイコもニワトリも人間がいないと生きていけない生物なのだ。そのカイコの本『蚕――絹糸を吐く虫と日本人』(晶文社)が出た。サブタイトルもいい。今年の読みはじめはこの本になりそうだ。

1月5日 青学の独走で今年の箱根駅伝は全く面白くなかった。予期せぬ波乱(腹痛、けいれん、脱水症状など)あっての箱根だ。予測不能な天国から地獄へのドラマがいつ起こるか起きるかわからない。そこがだいご味だ。イギリスでベストセラーになったアダーナン・フィン『駅伝マン――日本を走ったイギリス人』(早川書房)に面白いことが書いてあった。箱根に出場する関東の大学とそれ以外の地方大学では信じられないほど力の差がある。才能ある高校生のほとんどが箱根の出場校に青田買いされてしまうからだ。箱根と同じ時期に実業団駅伝も行われているのだが茶の間やメディアの話題になることはない。学生と違って実業団は走るプロ。肉体の訓練の度合いが違うので競技中にアクシデントや番狂わせがほとんど起きない。波乱万丈のレース展開が期待できないためTV中継も視聴率が稼げない。実際に日本に住み、ランナーとして走り、千日回峰行まで取材したこの本は「なぜ日本人はマラソンが好きなのか」をテーマにした傑作ルポルタージュ。

1月6日 「松立てず しめ飾りせず 餅つかず かかる家にも 春は来にけり」という句がある。昔の人はうまいこと言う。年賀状を出さなくなって四半世紀になる。なのに今年も少なからぬ年賀状をいただいた。その中に出版業界の方からいただいた「技術革新による産業構造の変化に立ち会うという意味で今はスリリングなとき」という印象に残る1枚があった。TTデジタル革命によって壊滅しかかっている出版業界をうまく言い当て、胸に刺さった。この不透明な時代を、もがき苦しみながら当事者として将来への展望を開き、あとに続く者たちにバトンタッチしたい。でもこれは正直なところかなりシンドい狭い道。もう後戻りはできない。やるしかない。

1月7日 昔に比べて(10年ほど前)、しめ飾りをする家や「おめでとう」とあいさつする頻度は減っている。自動車のバンパーにまでしめ飾りをつける人は絶滅危惧種。時代は急速に変化していく。人工知能(AI)の最前線の番組を観て腰を抜かしそうになるほど驚いた。最新医療や宇宙開発の現在を見聞きするたびに、空恐ろしい未来に生きる必要がない自分を逆に幸運に思うほど。入門用に作られたサイエンス番組や本が最近のお気に入りだ。昨日はカイコの絹から作る医薬品、トンボの翅の構造で劇的に変わりそうな風力発電、フナ虫の水を吸い上げるメカニズムを建物の揚水に応用する技術などを取り上げた番組を瞬きもせずに見続けてしまった。またまた理系の研究者や学者へのリスペクトが強くなってしまった。心の隅で「文系の時代は終わったなあ」とつぶやいている自分が怖い。

1月8日 年賀状も出さず、しめ飾りもなしのくせに、昨夜は恒例の「お年始」。内実は今年1年お世話になるだろうなじみの飲み屋さんにご挨拶。初呑みのことだ。わずか二軒とは言いながら帰還は午前様。一軒目の「みなみ」では大いに食べ、二軒目のラヴェールというバーではウイスキーをストレートで五杯。このバーが効いた。今日は久しぶりに二日酔い。午前中、仙台から来客予定があり、休めぬままいまだヨレヨレ。午後からはソファーに横になって本でも読もうか。新入社員とバイトのM君は外で倉庫の在庫整理。事務所は二日酔いの私ひとり。 
(あ)

No.780

ラーメンの知られざる歴史
(国書刊行会)
ジョージ・ソルト 野下祥子訳

 外国人による日本の食文化へのアプローチはここ数年ブームのようになっている。本書はその専門性から硬派の活字メディアで話題を独占した感がある。ラーメンは戦後間もなくのアメリカ占領軍による小麦物資支援が生み出した「政治的な食べ物」というのが本書の要諦だ。著者はニューヨーク大学の准教授ジョージ・ソルト。これまで機密扱いだった占領軍の文書を読み解き、その政治的背景からラーメンの歴史文化を時間軸に沿って分析する。戦前、ラーメンは主に肉体労働者や夜間労働者、兵士のものだった。戦時中は姿を消したが、占領時代、数少ないスタミナ食として復活する。高度経済成長期には若い独身労働者に働くエネルギーを提供し、自営のラーメン店は不満を抱える会社員の逃げ場にもなった。バブルの80年代には高級フレンチやイタリアンへの反感を示すものと進化し、90年代にはより政治的、象徴的な意味合いを帯びた(アニメやビデオなどと同じに)。2000年代にはスローフードという反企業的な要素がラーメンに政治的に左翼的な雰囲気を与え、日本のアイディンティティの要にまで上り詰めていく。ラーメンには日本の文化や歴史、政治状況が見事に反映されているのだ。

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