Vol.781 15年11月21日 週刊あんばい一本勝負 No.773


カミさん入院、男2人の暮らし始まる

11月14日 土曜日、いつものようにひとり仕事。事務所前のイチョウの落ち葉が気になりごみ袋片手に落ち葉拾い。言葉は優雅だが、一枚一枚手で拾っていくので重労働だ。こうした単純作業はやり始めると集中力がどんどん増していく。どんな小さな葉っぱも見逃したくない。お隣のさらに先まで飛んだ葉っぱまで追いかけていく。用水路に落ちた葉っぱまでつまみだしたくなる。飛散防止用ネットをかけているのだが、新入社員たちはしょせん真剣さが足りない。落ち葉のことを考えてネットを張っていないので、けっきょく落ち葉はネットからもれて外に飛び散ってしまう。頭に来るが怒るよりもだまって拾うほうが精神衛生上いい。

11月15日 昨夜来の雨。土砂降りといっていいほど。何の躊躇もなく朝5時に起き横手にある黒森山へ向かう。誰がどう考えても登山には適さない雨だがルートを変え30分で頂上に着く変則コースを選んで、合羽着用で頂上へ。何が悲しくて……と笑われそうだが、実は今日は年1回だけの「なべっこ登山」も兼ねている。せっかく準備した「だまこ鍋」を無駄にするのも忍びない。同時に年1回の「リンゴ狩り」の日でもある。山に登って温泉に入り、真人公園下にある佐々木リンゴ園でリンゴ狩り(一人平均60個)。雨だからといって中止するわけにはいかない日なのだ。というわけで雨天決行のバカ登山となった次第。汗もかいたし、六郷温泉あったか山もいい温泉だったし、リンゴも大収穫。大満足の1日。

11月16日 山からの帰り車中でA長老と世間話。「どうして人生は思い通りにいかないのか」をテーマに盛り上がる。自分よりも5年以上長く生きている人の言葉には含蓄がある。その先輩がいう「想定外のことばっかりだね人生は」という一言に深く納得。本当に人生は想定外のことばかり。昨夜は森功の新刊『日本を壊す政商』を読む。人材派遣の雄「パソナ」の南部靖之の実像に迫ったノンフィクションだ。こちらは人生を「思い通り」に生きている「成功者」の偶像を暴いたもの。南部本人と安倍首相の取材を拒否されたせいだろうか、今一つ焦点がぼやけている。佐野眞一ならどんな風に書いただろうか。そんなあれこれを考えながら、けっきょく読了。寝不足。

11月17日 カミさんが膝の人工関節の手術を受けるため入院。今日は手術日で朝早くから立ち会う。普段、目にすることの少ない若い女性たち(看護師)がきびきび働いている姿は観ているこちらも元気にさせてくれる。そういえば30年前、潰瘍の手術で入院したことがあった。個人病院だったが、いい思い出はほとんどない。今ならまったく入院にあたいしない理由で入院させられていたせいだろう。それから病院も様変わり。驚くことばかり。果物やナイフの類は持ち込めない。飲食は病院内設備のものを使用。看護師さんの対応は懇切丁寧、医師の説明も平易でわかりやすい。昔のような6人部屋はない。広い4人部屋で食事にも選択肢がある。夕食も六時からで、じっくり休養をとるにはリゾートホテルより病院のほうがいいかもしれない。しばらくは独身生活。夜は空いてます。誘ってね。

11月18日 2日間、カミさんの入院騒動で病院にいたせいか事務所に帰ってくるとグッタリ。「人疲れ」のようなものかな。とにかく体が重く動くのがしんどい。仕事する気も起きずソファーに寝転がってウトウト、ダラダラ。夕食を作る気力もない。「和食みなみ」に行き一杯やりながらひとり夕食。「みなみ」には客が一人もいなかった。いつもは事前予約しなければ入れない店。客がいないのをいいことに主人と夢中でおしゃべり。なんだかストレスもたまっているなあ。うまいものを食べれば自然に身体はしゃきっとするはず、だったが夜寝てからも身体はどんよりと重苦しい。

11月19日 静かな日が続く。パリの銃声もここまでは届いてこない。本の注文もなければ出版依頼の声も聞こえない。現在進行中の4冊の本の編集をゆっくりと穏やかに進めるのが毎日の仕事。朝ごはんの準備から洗濯、掃除、買い物、夕食まで、カミさん不在の中、新入社員と2人の生活も今のところは問題ない(まだ3日目だが)。1日の生活の基本は「睡眠」。何があろうと定時に起き1日のスタートを切る。これが基本だ。定時に起きるためには速やかに眠りにつく。ちゃんと眠られていれば人生は何とかなる。

11月20日 小さなころからずっと魚肉ソーセージを食べ続けてきた。プライパンで炒めてしょうゆをかけたものだ。朝の定番大好物で今も週に1回は食卓に上る。昔と違ってソーセージは魚肉ではなく八幡平ポークになったが。先日ある「道の駅」で昔ながらの毒々しい包装の魚肉ソーセージを発見。懐かしくて買って食べてみた。臭みがあってとても食べられたものではなかった。ドイツではそのソーセージの発がん性が問題になっている。昨夜はSシェフに中華の「薬膳火鍋」をごちそうになった。土崎の中華料理店まで出かけて食べたのだがおいしかった。辛い料理は苦手だが、この野菜鍋はスルスルと食べることができた。年をとって味覚の幅は狭くなっているが、逆に美味しさに対してはそれなりに学習ができてきたのかも。長くない人生なのだから、一度でも多く美味しいものを食べたい。今日は午後から遊学舎でモモヒキーズの第2回料理教室。小生は作るほうではなく「食べる専門」で出場予定。
(あ)

No.773

薬石としての本たち
(文藝春秋)
南木佳士

 毎度おなじみ大好きな著者の新刊。書名から受けた印象は、少し長めの本をテーマにした随想集というものだったが、実はこれも本に触れながら自らの来歴をかたる「短編小説集」。この著者クラスになると随筆と小説の境界はない、といっていい。これは小説といえば小説になってしまう世界だ。その「前口上」に、「嫌いな」講演依頼をめぐって上司とのやり取りが出てくる。大学時代の同級生「菊地」なる人物が大きな学会の長になるので記念講演を頼まれる。講演嫌いも何度か出てくる著者の定番メニューだが、この本を読んでいた9月、秋田市で日本農村医学会が開催され記念講演を著者がやった。長年のファンなのでノコノコ出かけて行ったのだが、学会会長の名前は「菊地」だった。本の前口上通りだ。小説とは言いながら、そのフィクションに登場する名前は実名である。これはちょっと驚いた。それにしても、この人の本はいつも同じようなことを書いているのだが、何度読んでも、面白い。味がある。おまけに感動してしまう。なぜなのかよくわからない。開高健が好きと著者は広言していたが、あまりに豊富で流麗な語彙の洪水に「本当に自分の体を濾過して生み出された言葉だろうか」と本書では疑問を呈している。芥川龍之介に関しても、池内紀さんの新刊と比べ、「池内さんのほうが文章に無駄がない」と述べるくだりがあり、この辺の変化も興味深い。

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