Vol.777 15年10月24日 週刊あんばい一本勝負 No.769


「薬石」のような 本を読みたい 秋の夕暮れ

10月17日 1週間が早い。月曜が旗日だったせいもあるが、あっという間に週末。誰かが背後で時間を操作しているにちがいない。週末といっても日曜登山がルーチンなだけで、そのほかの時間は仕事をしているだけの「退屈な人生」だ。読みたい本がずいぶん溜まっている。「読書のための時間」を確保するというモチベーションがとうに失せた自分が情けない。本は「時間つぶしに読む」という後ろ向きサイクルになりつつある。昔(40代50代)はどんなに忙しくても、いや忙しいからこそ休日を作って、どこかに閉じこもって読書の時間をとった。あれは若さゆえだったの。買い求めた本が横目で「早く読んでよ」と身をくねらせている。

10月18日 日曜登山は八幡平・焼山。雲一つない晴天。風もなく暑い。紅葉はもう末期だがアプローチの道路脇や里山の彩はまだ十分に美しく観光客も多かった。去年はこのへんでシカと遭遇。その期待も大だったが、空振り。そう簡単には会えない。下山後はこれもいわくつきの玉川温泉。去年間違えて源泉に近い風呂に飛び込み全身「傷口に塩状態」。今回は慎重に弱酸性の風呂を選び素早く入り、上がった。それでも帰りの車中、身体のいたるところがピリピリ。新しい登山靴のために靴擦れができたので、そこにしみこんだやつは強烈、寝床に入っても痛みが続いた。強酸性のお湯は苦手だ。

10月19日 山の次の日の朝は爽快。食欲も旺盛で身体に残る疲労感と充足感が、いわく言い難い贅沢な気分だ。これだから山行はやめられない。月曜から土曜日まで仕事をして、日曜日はいそいそと山に行く。山で1週間分の疲れや汚れや傷や膿を掃き出す。そして空っぽになった心身で新しい1週間を迎える。これ以上何を望むことがあろうか。願わくば、金の心配がいらぬほど本が売れ、仕事は鼻歌まじりで楽々とこなせ、いたずらで買った宝くじが当たり、暴飲暴食しても体重が増えず、散歩をすれば道に大金が落ちていて、ほしい。

10月20日 セールス営業の電話が多い。昨日はワインとNTT系と大手牛乳メーカーから3本。みんなかなりしつこい。夜8時過ぎにかけてくる無礼なやつもいる。友人と東京の店で飲んだワインがおいしかったので半ダース注文した。その店がワイン輸入販売業者の直営店だった。以来ひっきりなしに電話やはがきが届く。牛乳もひどい。「明日、家の前に無料で商品を置いていくので了承してほしい」という。しかし受け取れば電話営業攻勢が煩わしくなるのは目に見えている。「要りません」と断った。今も昔も「只より高い物はない」。それにしても電話営業というビジネスモデルはもう古いと思うのだが、オレオレ詐欺が絶えないのと同じように引っかかる人が少なくないから続いているのだろうか。うっとうしい。

10月21日 新刊が出れば何をさておいても読む作家のひとりに南木佳士がいる。彼の新刊『薬石としての本たち』を昨夜読了した。いつもと同じく、自らの来歴を身辺雑記に紛れ込ませた8篇の私小説だ。自分の身体を通過して咀嚼した言葉しか遣わない、と決めた作家の覚悟と洗練が表現ににじみ出ている。本の「前口上」に講演の話が出てくる。講演依頼は引き受けない、と決めているのだが、いろんな義理から断り切れない。「菊池」という大学時代の同級生からの講演依頼を勤務先の元院長から懇願されたのもそのひとつだ。23日、秋田市で日本農村医学学会があり、その南木さんが講演する。学会のトップは由利組合病院院長・菊地顕次さん。前口上が現実となっている。

10月22日 だいぶ前から首筋と胸部の境にかゆみがある。ポリポリ掻いているうちにかさぶたになった。大きさにして5センチほどで棒状の発疹。さして気にもならなかったのだが、これはいったい何なんだろうか。山でウルシにかぶれたとばかり思っていたのだが、それにしては治りが遅い。もしかして帯状疱疹の初期症状なのか。にしては緩いかゆみだけで痛みも悪化もない。もしかして悪くなる一歩手前でウイルスが意気消沈、勝手に沈静化してしまったのだろうか。そんなに心配なら医者に行けと言われそうだが、医者は苦手だ。医者に行くのは「安心」を買うためだが、最近の医者は「おどし」専門。一回でも多く通院してほしい、という経済が前提になっている見立てだから、不安なほうに患者を誘導する。そんな医者ばかりではないだろうが、いまだ安心できるお医者さんに出会えずいる。

10月23日 野球賭博事件が気になっている。メディアの影響で小さなころから巨人の試合しか観ていない。だから私を含め田舎の子供たちは巨人ファン以外になりようがなかった。好きというより巨人しか知らないのだ。それはともかく、その巨人の選手で「笠原」という投手が嫌いだった。とりたてて好きな選手もいないが嫌いな選手もいなかったのに、なぜ笠原投手だけは嫌いなのか、思い当たるふしがあった。ある時、応援に来ていた笠原の父親(やはり元プロ野球選手)がTVに写っていた。この父親のいで立ちがほとんどその筋系で、まともな大人に見えなかった。見た目で人を判断してはいけないが「あちゃ、こりゃダメだ」と思った。その記憶が強くインプットされていたのだ。野球賭博が報じられた時、直感的に笠原が主役だと思った。その通りになった。野球を取り上げられた彼らは、これからどんな生き方をするのだろうか。
(あ)

No.769

週末台北のち台湾一周、ときどき小籠包
(幻冬舎文庫)
吉田友和

 この9月に台湾旅行をする予定だった。京都の友人たちと2泊3日で台北と高雄の話題の中華料理を食べる、というグルメ旅行だ。私は仙台空港からの発着で、ほかの人たちは関空出発。仙台発のため私だけ日程的に4泊5日の旅になってしまった。そこえ台北近くにある「象山」という山に登ってくる個人的な予定を組み込み、楽しみにしていた。が、個人的アクシデントで中止になってしまった。本書はその台湾行きのために読んだ本なのだが、予想以上に面白かった。実は食べる以外、台湾にはさして期待をしていなかったのだ。20年近く前、ピースボートの船旅で台湾を訪れたことがあったが、ほとんど印象に残っていない。それが本書を読んで台湾に俄然興味をもった。その代表が「象山」という山だった。地下鉄で行って登れる東京の高尾山のような山だ。新幹線にも乗りたかった。いたるところで日本語が通じる便利さなど、なんだか国内旅行の延長のような親しみを覚え一挙に興味の花が咲いてしまったのだ。それなのに、ドジを踏んでしまった。帰国した友人たちからは、そのドジを笑われる羽目になったのだが、せめてもの救いは、その「ドジぶり」を直接目撃されなかったこと。出発の飛行場が違っていたことに感謝。

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