Vol.771 15年9月5日 週刊あんばい一本勝負 No.763


9月になっても忙しさは続いている

8月29日 『美酒王国秋田』という酒蔵のガイドブックがようやく校了。やれやれといったところ。ホッとして2階でTVを観だしたが、午後からは意を決して湯沢へ。今度出す予定の写真集のための取材だ。別に今日でなくてもいいのだが時間は有効に使いたい。湯沢までは高速道を使って1時間。往復で高速料金は5千円。早くなったが高速料金が高すぎだ。一つの仕事が終わってもすぐ次の仕事が待っている、というのは幸せなこと。来週からは能代市の農産物料理本の編集や取材がスタート。しばらく楽をする夢を見るのはやめよう。

8月30日 八幡平・大深岳登山の予定だったが、急きょ用事が出来、キャンセル。残念だが最近は山に行かなくて済むとホッとする自分がいる。山行きが負担になっているわけではない。あの達成感は何物にも代えがたいが、山行前日になると緊張で寝られなくなる、あのプレッシャーが嫌だ。小心なので「心理的な負担」がけっこう重いのだ。だから山がなくなると週末は妙に心が弾む。これはちょっと危険信号かも。9月になれば小さな山から少しずつ復帰する予定だが、大きい山はまだハードルが高い。1年を通して好きな山行の季節は冬。ダントツで雪山が好き。雪山は低山が多く楽、早起きしなくともいける近場の里山が多いというのもいい。

8月31日 いきなりトップギアにシフト。秋のDM送付が始まった。今週いっぱいは注文対応であたふた。追い打ちをかけるように明日からは9月、秋冬の新刊6点ほどの準備(調査、取材、執筆、編集)作業が本格化する。少ない人員で取材や調査をやりくりする。貧乏所帯のタイムスケジュール作りは大変だ。アルバイトや外注の人をフル活用するのだが人手不足は否めない。今日も朝からいろんな連絡や情報が乱れ飛び、大混乱。ついつい相手に対して対応が荒くなり、言葉遣いも乱暴になってしまう。気が立っている。こんな65歳の老人というのは醜悪以外の何物でもない。

9月1日 郷土に関する新発見や疑問が出てくると、よくFさんに相談や報告をしていた。そのFさんが亡くなってから数か月がたち喪失感は深まるばかり。でも人は消えていく。いつまでも同じ人に頼ってはいられない。今日は新入社員がカメラマンとともに1日中県内を回る仕事を任せた。ミスが怖いが、少しずつでも自分のポジションを譲っていかなければ成長は見込めない。県公文書館、農業科学館、湯沢市の個人宅などで複写撮影の仕事だが、出版の仕事で一番難しいのは企画段階の渉外だ。自前の企画を提案できるようになれば、もう一人前だ。その日は来るのだろうか。

9月2日 恥をさらすようだが「山行(さんこう」をずっと「さんぎょう」と読んでいた。まったく何の疑念も抱かずに。昨日、槇有恒の名著『山行』で「さんこう」と読むのを知った。もともと山ヤ言葉のようだ。もう一つ、セブンイレブンで私の愛する宮崎の沢庵がフツーに売っていた。特別感で宮崎から送料をかけて取り寄せていたのにものすごいショック。うれしいこともあった。毎週アルバイトに来ている秋大生M君が地元新聞社に就職内定。なんだか草むしりとか倉庫掃除とか頼みにくくなったが、明日からは2日連続で来てもらい、新入社員と2人で郷土料理の資料を作ってもらう予定。まずはよかった、M君おめでとう。

9月3日 『別離』というイラン映画を観た。2011年にアカデミー賞外国語映画賞を受賞したイランの中流家庭の家政婦をめぐる裁判を描いた物語だ。理解不能な日常にカルチャーショックを受けてしまった。女性のスカーフがシックでおしゃれなのはいいが、家庭裁判所は自己主張が強い人間が勝つ仕組みのまま。社会のシステムもほぼ日本の昭和30年代と同じ。介護の女性ヘルパーは戒律的に痴呆症の老人の肌に触れられない、というのだから驚く。すべてがイスラム優先社会なのはいいが、映画の肝心の結末もその宗教に寄り掛かったもの。でも宗教がよくわからないため裁判の結末も全く予想がつかない。異文化を理解するというのは本当に難しい。

9月4日 能代に郷土料理撮影のため出かける。前もっていろんな準備をしていたのでスムースに仕事は進行、30カット近い絵が撮れた。カメラマンや料理を作るJA婦人部の人たちとは初顔合わせだが、チームワークよくはかどったのは助手のSシェフのおかげ。事前に渡していた料理レシピから推察、作業の段取りを克明にメモ化し、その指示通りにみんなが動いたせいだ。私も下働きの一員で、調理場からできた料理を2階の臨時スタジオまで運ぶ係。何十回往復しただろうか。仕事は午前中で終わったのだが歩数計は5千歩を超えていた。いい運動になった。階段の上り下りが苦にならなかったのは山登りのせい。お昼は近くにある一八番のラーメン。どぎつさのないシンプルだけど味のしっかりしたスープがうまい。長年能代市民に愛され続けているラーメンだ。
(あ)

No.763

ロッパ随筆 苦笑風呂
(河出文庫)
古川緑波

 芸はほとんど見たことがないのに大好きな「芸人」がいる。古川ロッパだ。なぜか、この人の書く文章類が昔から大好きだ。物量的にかさばる全集物は書斎からすべて処分したが『古川ロッパ昭和日記』全4巻だけは今も手元に大事にとってある。本書はそんな彼の随想集だ。この書名のユニークさ、内容も噴き出すほどの面白さ。ふつう、「苦笑」と「風呂」が一緒になりますか、ご同輩。戦争中なので撮影所でも風呂にありつけずイライラしていたロッパが、ひょいとした拍子に1日で3度も風呂に入る羽目になった顛末を書いたエッセイだ。ロッパはチャキチャキの東京っ子で無類のグルメである。でも実はソバも寿司もダメ。和食がきらいでコッテリ洋食好きのウイスキー派なのだ。ここは年を重ねても最後までブレなかった。ロッパは1903年生まれだから、生きていれば100歳をはるかに超える。だから私たちの世代は、喜劇王としてのロッパの活躍は知る由もない。男爵家の六男に生まれ、文春の映画雑誌編集者から喜劇役者に転身、エノケンとともに一時代を築いた。なくなったのが1961年だから50代後半で鬼籍に入ったことになる。読む本がなくなると何度も読んでいるロッパの単行本を引っ張り出す。何度読んでも面白いし味がある。

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