Vol.760 15年6月20日 週刊あんばい一本勝負 No.752


パソコンが炎上した朝

6月13日 手帳をつける習慣は10年以上続いている。これがちょっぴり自慢なのだが、三日坊主にならなかったのにはコツがある。毎日食べたものを記入しているのだ。これだと何の予定がない日でも手帳を開かざるを得ない。かてて加えて体重も記入する。これは数年前から始めた。もうすっかりこうしたメモ記入の習慣は定着したのだが、最近、前の日の献立が思い出せなくなった。こっちのほうがよっぽど重大事件かも。夕食に何を食べたか思い出すまでにかなりに時間がかかってしまう。自分ながら恐ろしい。毎日こうした恐怖とも戦いながら手帳と向き合っている。

6月14日 日曜日なのに山行は休んで仕事中。モモヒキーズは県北の田代岳遠征だが、私は少し疲労がある、今回はキャンセル。身体の調子を過信している自分を戒める意味もある。来週からは大切な打ち合わせや仙台、郡山出張。週末には最もハードな山行である「神室山」が待っている。頭も体も両方リフレッシュが必要な時期なのだ。新入社員の初入札も無事落札、早速この仕事も来週からスタートする。読みたい本も枕元にうずたかく積まれている。今年の夏は例年とは違う夏になりそうな予感もする。身の回りのことで手いっぱい。非力や能力のなさを悔やみたくなる日々だ。

6月15日 ごちゃごちゃと忙しい月曜の朝、パソコンがフリーズ、うんともすんとも言わない。幸いシャチョー室以外にも自分用PCがあるので事なきを得たが、こんなとき「便利もの」は怖い。原因がわからないというのが大問題だ。なぜそうなったのか自分で推察できないのが歯がゆい、悔しい。結局は専門家に頼んで直してもらうしかないのだが、取るに足らないような原因での故障だったりすると、頼んだ人に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。うちの読者は高齢者が多い。電話注文で「IDを教えてください」といっても、IDという言葉が理解できない方も少なくない。いちいち住所や名前を書き写すことにいら立ちを覚えたこともあったが、世の中PCがすべてではない。

6月16日 パソコンの不調を報告した直後、PC背後からモクモクと煙がたちはじめた。有無を言わせず「炎上」しはじめたのだ。シャチョー室はプラスチックが焦げた臭いで充満。冷却ファンがダメになったのだろうか。何をしても手遅れのようなので東京の修理工場に送ることに決めた。1階PCを2階に移動したので仕事は継続できたが、データが消えてしまったらどうしよう、という不安は残る。落ち込んでいたら、Sシェフから「タケノコ料理でいっぱいやりませんか」というお誘い。喜んで、きな臭いシャチョー室の換気とテーブルセッテング。気分転換になった。今週は午前中ずっと打ち合わせなのでフォーマルなYシャツ姿。午後からは短パンTシャツに着替えリラックスしてデスクワーク。

6月17日 カミさんがいないので外食でもと散歩も兼ねて出かけた。駅前の高級焼肉屋に入った。なんとなくがっつり肉を食いたかった。体重が心配なので大根サラダとキムチの盛り合わせを注文したのだが、これがただならぬ量だ。がんばって馬のように残らず平らげ、その後に冷麺(ハーフ)を食べたら満腹で動けなくなった。焼き肉屋に行って肉を食べずに帰ってきた。昔、蕎麦屋で酒を呑み、蕎麦を食べ忘れたこともあった。気持的に食欲はあるのだが実物を目の前にすると、もう食べたような気になって酒ばかり飲んでしまう。食べたり、登ったり、遊んだりするのに一人では楽しめなくなってきた。若いころは集団よりも一人が断然好きだったが、今は一緒におしゃべりする相手のない食事はわびしいだけだ。難しい年齢に入ったなあ。

6月18日 うれしいことがあったので報告します。なぜか突然、企画を3つも思いつきました。ここ数年のボンクラ・オヤジにしては奇跡的な出来事と言っていいでしょう。さっそく昨日は県立図書館でその資料集め。3つとも実現すれば、まちがいなく部数も出るし話題にも事欠かない。でも拙速だけはまずい。慎重に進めるつもりです。でも何でこの時期に突然、ということも考えました。企画が湧き出してきたのには理由があるはず。キーワードらしきものには行きつきました。「忙しさ」です。この夏は企業や行政から依頼された大型出版物の編集作業で連日フーフー言っているのですが、こんな余裕のない日々が「新しいアイデアの源泉」のようです。これはかなり的を射ているような気がします。そうかアイデアは忙しさから生まれるのか、という感じです。今日から仙台で副業。ああ忙しい。

6月19日 仙台の夜は痛飲、二日酔い。吐き気を抑えながら朝早い新幹線で郡山へ。ここで広告企画会社のMさんと会う。Mさんは福島では知らない人のいない有名な女性だ。東北では数少ない尊敬できる文化人でもある。Mさんとお会いするのは何十年ぶりだが、普段から活字を通しての交流がある。老舗ホテル8階の中華料理店でランチをとる頃には二日酔いもすっかり回復していて、会話と食欲に弾みがついた。福島原発の問題について地元のMさんからご意見をうかがう、というのが会いに行った理由だ。3・11に関しては東北というエリアに住む人間としてビミョーな立場に立たされた。そのためしばらくは震災フィーバーのような出版ラッシュとは距離を置こうと決めた。そのフィーバーも4年を過ぎ、すっかり萎んだ。誰も何もやらなくなったら、東北に生きる一員として、記憶に残る仕事をしたい、と思っていた。案の定、Mさんから適切で示唆に富んだアドヴァイスとアイデアをいただいた。
(あ)

No.752

彼らの奇蹟
(新潮文庫)
玉木正之編

 こんな本が読みたかった。最近「読書力」が衰えてきた。年なのだろう。230ページ程度なら数時間で読破できたのに、今は寝床に入ったとたん、健やかに10分で鼾をかいてしまう。10分で1冊はどうあがいても無理。そんなこんなでアンソロジーが意味を持ってきた。寝る前の短時間で1本の作品を読了できる。これがアンソロジーの魅力だ。本書はその中でも特に好きなスポーツノンフィクションだから、たまらない。続編を出してほしい。本書は競馬から弓道、ヨットにバレー、大江健三郎のオリンピック開会式ルポから開高健の釣り、マラソンにラグビー、登山とヴァリエーション豊富。蹴鞠(澁澤龍彦)や吉田兼好のエッセイまである。編者のしたたかなセンスがうかがわれる。19編の作品が編まれているが沢木耕太郎(マラソン)や開高健(釣り)、山際淳司(ボート)、村上春樹(マラソン)といったあたりは単行本で既読。でも、こうもうまく並べられると、もう一度読まされてしまう。特別に好きな一篇といえば、編者の玉木が書いた「彼らの楕円球」。初出の題名が「彼らの奇蹟」で、本書はここからとられた題名だ。1991年の伝説の名勝負、神戸製鋼と三洋電機のラグビーの試合を描いたものだが伏線がある。その伏線のほうが物語の主役なのだ。観客として登場する「過去の天才ラガーマン」の半生が陰影を伴った物語にさらに深みを与える役目を果たしている。ミステリアスな結末なのでその顛末はここでは書けない。ぜひ読んでほしい。

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