Vol.753 15年5月2日 週刊あんばい一本勝負 No.745


もう5月になってしまった

4月25日 土曜であろうといつもと同じ時間に起き、いつもと同じように出舎する。リズムを壊すと夜眠られなくなる。土曜は電話もないし来客もない。お昼にいつものリンゴと寒天の昼食をとり、早々とお天気に誘われ散歩。駅中で不在者投票をすませ、コンビニでコーヒーを買い、駅前周辺をブラブラ買い物(食料)。帰ってきて夕食は一人。野菜炒めを作り、ウイスキーを2杯ほどなめながら、事務所でナイター観戦。途中でぐっすり寝こんでしまった。最近、晩酌はもっぱらウイスキー、とくにかく酔いが早い。多く飲まなくて済むからいいのだが、まるで山登り後のように疲労で「爆睡」してしまう。やらなければならないことはいろいろあるのだが、ま、こんな土曜日もたまにはいいだろう。

4月26日 初めて登る山は緊張する。それもメンバー全員が初めてというのだからペースもつかめない。秋田市上新城にある龍馬山(りょうばさん)は標高340Mの小さな山だが、なによりもロケーションがいい。秋田市郊外とは思えない桃源郷の田園風景を残す地域だ。山と川と田園と木々の色彩、それにまばらな民家のバランスがまるで絵に描いたように美しい。映画村にしてロケーションに使えるのではと思わせる風景だ。登る人はいないという話だったが山道は歩きやすく整備されていた。かなり急峻な坂の続くハードな山にもかかわらず気持ちよく1時間余で頂上にたどりつけた。リョウマと読まず「リョウバ」という名前にもこだわりがありそうなのも好感が持てる。

4月27日 朝から何台もの車が事務所前に。今日は事務所のトイレのリフォーム工事だ。35年ぶりにトイレの内装と便器が新しくなる。ウオシュレットは嫌いなのでシンプルに、余計なもの(音声ガイドや自動開閉など)が付帯していないものを選んだ。工事はきょう1日で終わる予定だ。いや完成してくれなければ困る。今日の夜、3組のご夫婦を招いてシャチョー室宴会があるからだ。うち2組は初めての客。トイレが「使えない」ではシャレにならない。でも工事というやつ何が起きるかわからない。なにかしらのアクシデントに見舞われて(その可能性は十分ある)便所が使えなければ、近くのコンビニか隣の自宅を使ってもらうしかない。綱渡りだ。頼むぜ職人さん。階下で彼らの大声の話し声や電話音がひっきりなし。今日だけは大目に見るから、工事だけは時間内に済ませてくれ、お願いだ。

4月28日 大辞林で「初老」を引いたら「四〇歳の異称」とあった。初老とは四〇歳のことだそうだ。ほかの辞書にも似たような表記がある。ところで唐突だが、「なぜ海の水はしょっぱいのか」ご存知でしたか。私は恥ずかしながら昨日読んだ本で初めて知った。65年間、海の底には岩塩山が沈んでいて、それが融けだしてしょっぱくなると信じていた。そうではなかった。もしかして私だけが海の塩の謎を知らなかったのだろうか。友人たちに問いただしたいが「えっ、そんなことも知らなかったの」と笑われそうで言い出せない。こんなことがほかにもいっぱいある。このところもっぱら理系の初歩的な本ばかり読んでいる。そのせいか初めて知ることばかり。世界は謎に満ちている。

4月29日 ここ数年、休日は100パーセントカレンダー通りだ。当たり前の話のようだが以前は大型連休のように平日も休んで大盤振る舞いをしていた時期もある。いまそれはない。カレンダー通りの休みで、その半分は出舎する。出舎しても事務所でウダウダしているだけだが、休んでも休まなくてもたいして変わらない仕事なのだ。個人的な原稿を書いたり、調べものをしたり、それが仕事なのかといわれると微妙なことをしている。今日の「仕事」は床屋に行くこと。いや床屋は仕事ではないか。朝日県版と農業新聞の原稿を書くこと。5月から始まる仙台の私立大学の講義のレジュメを作ること。出版の目途が立たない自分の原稿の資料を読むこと……う〜ん、やっぱりどこまでが仕事なのかよくわからない。

4月30日 小山家とかいて「こやんべ}と読む。HPトップ写真は山形・天童市郊外にある小山家の小さな城のあった丘の風景。400年前にうちの先祖が住んでいたところだ。この写真を載せたのは別に意味があってのことではない。5月という季節に合った「さわやかな自然」の写真を探していたら偶然目に留まった。この場所には毎年1回訪れている。今は果樹園になっている。ところで昨日は暑かった。散歩をしながら汗だくになってしまった。今日はSシェフに指導してもらいアルバイトも動員して事務所周りの庭木の剪定と掃除作業。冬が残していった荒廃をきれいさっぱり取り除きたい。心身から冬の衣を脱いでしまいたい。

4月1日 5月になってしまった。5月はいろんなイベントや外での用事が目白押しだ。なかでも最大の「体力関門イベント」である鳥海山登山がある。これが毎年けっこうな「五月プレッシャー」になっている。祓川小屋から直登で急峻な雪道をアイゼンで登る。冬の間は低くて楽な雪山ハイキングばかりなので、本格シーズン前の、これがプレーオフだ。ゆっくり一歩一歩、滑落しないように登って山頂まで約4時間。この登山で今年1年の山行の体力を占うのだ。年々慣れてきてプレッシャーは弱くなっているが、いまも数日前から興奮で眠られなくなる。用意万端でも山頂付近で足に痙攣が起き、動けなくなったことも度々。油断はできない。その鳥海山が今年はGW3日に決まった。1週間前から節制して体調管理に努めている。5月になってしまった。時間のたつのが早い。5月はいろんなイベントや外での用事が目白押し。なかでも1年で最大の「体力関門イベント」である鳥海山登山がある。これが毎年けっこうな「五月プレッシャー」だ。祓川小屋から直登で急峻な雪道をアイゼンで登る。冬の間は低くて楽な雪山ハイキングばかりなので、本格シーズン前の、これがプレーオフのようなもの。ゆっくり一歩一歩、滑落しないように登って山頂まで約4時間。この登山で今年1年の山行の体力占いをする。今年はちゃんと1年間山に登れるだろうかを、この鳥海山で決めるのだ。年々慣れてきてプレッシャーは弱くなっているとはいっても、数日前から興奮で眠られなくなったりもする。初心者にとっては大きな関門でもある。山頂付近で足に痙攣が起き動かなくなったことも度々ある。油断はできない。その鳥海山が今年はGWしょっぱなの3日に決まった。もう1週間前から節制しながら体調管理に努めている。
(あ)

No.745

生類供養と日本人
(弦書房)
長野浩典

 生き物を供養するのは、命をいただいて生きる、その罪悪感を解消するための慣習だ。牛、馬、クジラにカイコ、鶴に犬にシカや犬、私たちの身近にある動物たちの供養塔を訪ね、人との関わりや歴史背景を読み解いた本だ。「生類」という言葉はなじみがない。せいぜい徳川将軍綱吉が出した「生類憐みの令」で人口に膾炙しているが、この令も「暴君が気まぐれで発令した民衆を苦しめる極端な動物愛護の悪法」というのが通り相場。しかし近年、歴史学者の間ではこの法令を巡ってちがった見解というか評価がなされているのだそうだ。犬や馬などの動物ばかりではなく、捨子・捨病人禁令など、人と動物を含む生類全体の命の大切を民衆に知らしめ、慈悲の志と仁心を涵養することを目的にした、すばらしい法令だった、というのだ。その証拠に綱吉亡き後も捨馬・捨子・捨病人禁令は後代に引き継がれたという。本書は九州をフィールドにした調査取材がメインだ。東北地方とはずいぶんと異なる慣習や伝聞も多くて興味深い。本書の執筆の動機が面白い。著者は大分市の神社でウミガメの墓を見つる。死を忌み嫌う神社で墓とは面妖だ。そこから高校教師である著者は再度、郷土史研究部の生徒たちとその場所を訪れ、調査を開始する。ウミガメは漁師たちに大漁を約束してくれる縁起のいい動物だった。網にかかれば出して酒を飲ませて海に放してやるし、海岸に死骸が上がれば埋葬して龍神様として祀った。産卵の場所には注連縄をはり、無事に孵化することを祈った。特別な縁起のいい動物であり、漁師にとって恵比寿神だったのだ。これをきっかけに著者は九州各地の供養塔を訪ねることになる。

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