Vol.749 15年4月4日 週刊あんばい一本勝負 No.741


3月はおもいっきりヒマだった

3月28日 ミーハーというか流行りのウイスキーにはまっている。でもTVの影響というのではない。数カ月前の香港旅行の「貴重なウイスキー体験」以来のことだ。晩酌は食中酒なのでハイボールだが、たまに行く川反のバーではストレートでスコッチやアイリッシュ、ジャパニーズを自然体で呑めるようになった。これはうれしい「進歩」だ。もらいもののウイスキーはほとんど飲みつくした。今はネットで買った「イチロー」と「タリスカ」をチビチビやっている。ヘタをすると昼ごろから「早くウイスキーのみたいなあ」と思ったりするから、ちょっと問題だ。カミさんは昔からウイスキー派でシーバース1点張り。ウイスキーはいいよねえ、ご同輩。

3月29日 3月は見事にヒマだった。これだけどこからも注文が少なかった月は史上初かもしれない。静かで大きな、未曽有の地殻変動がはじまっているのかも、とちょっと不安。紙の本はもう必要とされていないのだろうか。先日の報道ステーションの「放送事故」はリアル・タイムで見ていた。放送終了直後、野次馬気分でネット動画「IWJ」(インデペンデント・ウエブ・ジャーナル)にアクセスすると当の古賀氏が岩上安身氏の直撃インタビューを受けていた。このスピードに驚くやらあきれるやら。たぶん来週の週刊誌トップ記事が「事件後わずか1時間以内」にネットで報道されている時代なのである。週刊誌すら必要とされない時代が到来したといっていい。紙の本の存在価値はどこにあるのだろう。いや価値があったとしても、どうすれば素早く的確に読者に届くのだろう。ネットの一人勝ちの時代はすぐそこまで来ている。

3月30日 冬用布団にくるまって寝ているせいで寝起きに汗をかいてしまった。朝から少し寒気。マフラーを巻いて仕事中だが、おかげで寒気はおさまったようだ。山に登るようになって風邪をひかなくなった。これが自慢だったのだが、ちょっと油断するとこうだ。寒くなったら首を温める、これは効果バツグンだ。とにかく具合が悪くなったら首。もともと寝汗の元というのは二日酔いだ。一昨日、若い人たちと2次会まで酒を呑み、その酒が完全に抜けるまで丸1日かかってしまった。その流れのなかの寝汗なんぼだ。若くない、という事実はこうした現実が教えてくれる。ひとつひとつ痛い体験をしながら高齢化の学習をしていくしかない。

3月31日 録画していた『バクダット・カフェ』を観た。ドイツ人主人公のヤスマンが夫の皮の半ズボンで遊ぶシーンが出てきた。「レーダーホーデンというドイツの半ズボンだ」とアメリカ人娘に説明するのだが、まるでカウボーイのはく皮前掛けのようにゴツくて大きいのにビックリ。前にも書いたことがあるのだが、村上春樹に「レーダーホーデン」という中年夫婦の離婚物語がある。この話が村上の本では一番好きな小説だ。ドイツまで夫のために半ズボンを買いに行き、急にその半ズボンを見て夫に嫌気がさし離婚するという話。心が妙にざわつき、トゲが刺さってくる物語だ。小説を読んで「ドイツの皮の半ズボン」というものの正体というかイメージがまるでわかなかった。どんなものだろう。映画で半ズボンの実態をはっきり確認して、小説が何となく理解できた気がした。半ズボンがこんなにゴツイなんて、映画を見なきゃわからなかった。

4月1日 たとえ図書館であろうと「本を貸りて読む」のが苦手で、あたう限り買って読む。それは習慣のようなもので自慢すべきことでもない。生活(仕事)でもあるしね。だが周辺を見渡すと、「本は貸りて読む」というのが、ほぼ年齢を超え定着した慣習になっている。これじゃ出版社はもたない。読書や本の「意味」が変わってしまったのだろう。作家の黒井千次がこんなことを言っていた。本を読まないで生活するのは鏡を見ないで暮らすことだ。読まない人は鏡の存在自体を知らないから、その意味では無垢である。読んだ本が面白いか面白くないかは、鏡に映じた自分の姿に他ならない。鏡の存在を知らないよりは貸りてでも読んだほうがいい。でも「貸りた本というのは曇った鏡だ」と。うまいこというなあ。

4月2日 決まりきった日常を静かに繰り返すのが理想の暮らしだが、朝の日常が最近ちょっぴり変わった。8時半には出舎していたのが、このところ9時半過ぎになった。新入社員の出舎が早いため(8時。そのかわり退舎も早い)、あわてて朝早く出る必要がなくなった。いつもより朝に1時間、余裕ができ、その分、書斎でFM音楽を聴いてリラックスしている。部屋の掃除をしたり、その日の予定の確認し、企画の反芻をしながら、朝のひとときにこれまで感じたことのない緩やかな時間の流れを感じている。夜は酒を飲んだり映画を見たり本を読んだり、仕事をひきづらないように気分を切り替える。これは誰でもがやることだが、その「余裕」を朝でも作れるというのが、けっこう新しい発見だ。ちょっぴり朝が待ちどうしくなった。天気のいい今日のような朝の1時間は特にイイ。

4月3日 何のアポもなしに突然訪ねてくる人はけっこう多い。出版依頼やこれから書こうとする本の相談にみえる方々で、仕事柄しょうがないのかもしれない。最近は出来るだけ会って穏やかに話を聴くように心がけているが、昔は「連絡してから来てください」と帰ってもらうこともあった。昨日の不意の来客は青森から。50そこそこの男性で、なんと去年1年で沖縄から北海道まで244座の山に登ったという。その顛末を書いた原稿持参で来舎したのだ。車やテントに寝泊まりしながら1年中、47都道府県の山にひとつは確実に登りながら旅をしたというのだから、すごい。でも、そんなすごい体験をした人でも、出版となると話は別。原稿があまりにまっとう過ぎ、商業出版には難があり、と判断せざるを得なかった。仕事は難しい。
(あ)

No.741

政宗が殺せなかった男
(現代書館)
古内泰生

 伊達盛重は生涯で、米沢城、夏刈城、郷六城、千代城、小泉城、松森城、嶋崎城、柿岡城、横手城と、9つの城に住んだ。そのほとんどを城主(あるいは城代)として務めた。これだけの城を移り歩く人物も珍しいが、彼に対する記録はほとんど残っていない。遺物も墓もまったく見当たらないのだ。わずかに残るは敵となった側からの非難や批判の記録だけ。その敵側の資料をひもときながら、伊達政宗という東北の雄を視軸に据え、「秋田(横手城)の伊達さん」(これがサブタイトル)の生涯を推察した歴史読本である。盛重は伊達政宗の父輝宗の弟。政宗の前に400年間仙台平野を治めていた国分氏に入り婿になったが、その居城の松森城を従兄弟の政宗に攻められ敗走する。そして姉の嫁ぎ先である常陸の佐竹氏に亡命、嶋崎城主になる。のちには柿岡城主も務め、徳川の世の中になると移転封になった佐竹氏とともに秋田に移り、横手城代になる。まさに戦国末期の奥羽の戦国大名の盛衰がこの一人の男の中に閉じ込められている、と言っても過言ではない。史料のない人物像をよくこれだけ精緻に造形できたものだ。物語として面白くしたり時代劇風の突飛さは慎重に避けているのも好感が持てる。著者は仙台在住の歯科医師で郷土史研究家。労作である。

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