Vol.752 15年4月25日 週刊あんばい一本勝負 No.744


イノシシ・夕張・お花見会

4月18日 Eテレ「ニューヨーク白熱教室」は面白い。「最先端物理学者が語る驚異の未来」というサブタイトルだけでもゾクゾク。講演者はNY市立大学ミチオ・カク教授。物理学者から見た未来なので説得力がある。カク教授は言う。老化はDNAのコピーミスに過ぎない。いずれ是正可能だ。車は自動運転になり交通事故という言葉はなくなるだろう。身体やトイレに直接ICチップが埋め込まれ、がんの発生率は劇的に低くなり、腫瘍という言葉も消える。医療機器MRIは携帯電話程度の大きさで済み内視鏡はすべてカプセルだ。ナノテクノロジーが常態になると人間の寿命は驚異的に延びることになる。そのくせ、今の科学ではワニやクジラの寿命も確かなことは分かっていないのだそうだ。こんな授業なら毎日でも受けたい。

4月19日 札幌に来ている。ホテルも酒場選びも事前にリサーチしたので、どちらも成功。とくにホテルは最近お気に入りの「ダイワロイネット」。チェーンホテルの中では快適さが群を抜いている。酒場はすすき野。20代の男女が一緒なので店選びは難しかった。結局、地元出版社の方から紹介してもらった店でどんぴしゃりだった。ホテルも飲食店も行き当たりばったりでは「はずれ」が多くなってしまったので、ご当地に知り合いがいるのはアドヴァンテージ。今日はレンタカーを借りて夕張まで足を延ばす予定だが、札幌は晴れ曇り。ビミョーな空模様だ。夕方までには札幌に戻ってこなければならないので、そろそろ出発だ。楽しんでこよう。

4月20日 夕張の町は予想以上に荒廃していてショックを受けてしまった。赤字債権団体になるというのはこういうことなのか。日曜日の市長選後の閑散とした駅前や市役所、閉まったままの石炭博物館や生キャラメル工場、人のいない屋台やスキー場を回りながら声を失った。実は秋田県も昭和30年代初頭、赤字債権団体に落ち自治省の管理下に置かれていた時期があった。その悪夢から秋田国体と八郎潟干拓で立ち直り、2年前倒して借金を返し終えた過去がある。その頃のことを覚えている人はほとんどいない。かろうじて歴史に残っているのは、その時の辣腕知事の力量が評価され、以後24年にわたって知事の座に君臨することになった、という歴史的事実のみである。夕張の繁華街は見る影もなかったが、隣町には人影が散見された。町中に目立つ観光の目玉「映画の手書き看板」が寂寥感を増幅させていた。そういえば先日亡くなった青森の泡沫候補も最後は夕張市長選で善戦していたなあ。

4月21日 石橋毅史『口笛を吹きながら本を売る』を一気読み。出版業界関連本はほとんど興味ないのだが、この本は構成や語り口の巧妙さに唸ってしまった。本の主人公である岩波ブックセンターの柴田信さんは自他ともに認める「まったく普通、平凡であることに自信を持っている」85歳の現役書店人。そんな人をどのような切り口で本に仕立て上げるのか。なるほどこう来たか。う〜んとうなりながら3時間ほどで読了。うまいなあ、すごいなあ、できるなあ、この石橋さんという人、「新文化」という業界紙の編集者だった人で今はフリーランスライターだ。会ったことはないが、主人公の柴田さんは友人(大先輩だが)だ。融通の利かないNHKのアナウンサー(著者)が、口八丁手八丁のお笑い芸人(柴田さん)にボケ質問をして突っ込まれる掛け合いの演出が見事。

4月22日 テレビ番組「マッサン」はちょうど朝ごはん時なので見たり見なかったりだったが、ニッカウヰスキーの話というのは知っていた。そのドラマの中で、イノシシが獲れたので「シシ鍋を食おう」というシーンがあった。このシーンは地元の北海道ではずいぶん話題というか問題になったらしい。イノシシは北海道にいない。北海道の人たちはイノシシなど見たこともないのだ。「マッサン」は大阪の制作局担当。西日本同様に北海道でも山中では当たり前にイノシシを食べるものと疑わなかったのだろう。残念ながらイノシシはブランキストン線を渡れなかった動物だ。この脚本ミスに他のスタッフも誰一人気が付かないというのもすごい話だ。北国で「シシ」といえばカモシカのこと。そのカモシカもシカではなく牛の仲間。秋田ではイノシシ同様、カモシカもしょっちゅうシカの仲間として誤って報道される。マスコミもかなりいい加減だ。

4月23日 吉田昭治さんが亡くなった。秋田の明治維新史の研究家だ。個人的にも尊敬する野の賢者で、小舎でも何冊か本を書いていただいた。秋田戊辰戦争史の決定版を書いてください、とお願いしてから10年。その夢がとん挫してしまった。この間、ずっと体調は思わしくなかったようだ。秋田市内で小さな印刷所を経営しながら、そのへんの大学教授など足元にも及ばぬ郷土史研究に成果を上げてきた。享年85、仕事半ばにしての死は無念だったに違いない。吉田さんの書くものは全国の研究者にも注目されていた。「吉田さんが書いたものなら信頼できる」という声を一度ならず聞いたことがある。ここ数年は「明治維新を考える会」を主宰、年1回の会報を出し、律儀に送ってくださった。ちゃんとした人ほど早く逝く、というのは本当だ。また一人、気骨のある人物が去ってしまった。合掌。

4月24日 一昨日のことになるのだが千秋公園でお花見をしてきた。夜6時、モモヒキーズの仲間たちとアトリオン前で待ち合わせ。近くのコンビニでワンカップ(酒)を買い、モモヒキーズ流お花見スタート。屋台の出ている、ごった返すメイン会場を避け上へ上へと登り(登るのは得意な人ばかり)、人もまばらな東屋に陣取って小宴。人がいないぶん桜の妖艶さが提灯の明りに映えていた。小1時間で小宴をお開き、ブラブラ歩きながら駅前の行きつけの「さかなや本舗」で本格的な宴会とあいなった。外でのお花見は寒さがこたえる。早々と切り上げ近くの居酒屋で本格的な花見宴会をしよう、という老獪な戦術である。みんないい年なので夜のお花見は冷えから体調を崩すケースが少なくないことを経験値で知っているのだ。
(あ)

No.744

京都〈トカイナカ〉暮らし
(集英社インターナショナル)
グレゴリ青山

 企画の参考にするために読みはじめた「コミック・エッセイ」にすっかりはまってしまった。しかし、マンガにはいまだに抵抗がある。「マンガを読むと馬鹿になる。本を読みなさい」と親や教師から言われ続けてきた少年時代のトラウマがあるからだろうか。普通の本であれば、中身など確かめず気軽に買えるのにマンガ本は金を払ってまで買う気がしないのは困ったもの。、コミック・エッセイの登場でそのハードルはだいぶ低くなった。本書は、京都のガイドブックの漫画版といったレベルではない。何重にも物語に伏線が張り巡らされていて読み物としても完結している。そのひとつが趣味だという「養蜂」だ。養蜂に関してかなり詳しい情報や失敗談がガイドの骨子になっている。ともすれば味気ないガイドブックだが、こうした伏線が深みや彩りを添えている。もちろんガイドブックとしての機能も文句なしだ。デープで穴場的なお店やユニークな友人関係、小さな書店の主人たちとの交流が、脇役としていい味を出している。コミック・エッセイでは定番のようになりつつある生写真や地図も豊富でわかりやすい。著者はもともと京都生まれの街っ子。大人になってその京都の近くの、田舎と都会の中間点である「トカイナカ」に住む。そこから生れ故郷を見つめ直すという視点が面白い。この視点があるからガイダンスに信憑性が持てる。著者は京都を舞台にした作品を多く描いている女性だが、「グレゴリ」というペンネームは何か意味があるのだろうか。本書だけではわからない。

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