Vol.745 15年3月7日 週刊あんばい一本勝負 No.737


今週はずっと名古屋でした

2月28日 顔面の劣化だけではない。最近、手足からバンソウコウが消えることがない。いつもどこかにバンソウコウが貼られている。特に手の指が顕著だ。細かな作業で指を怪我するケースが増えているのだ。昨日もシャツのタグをはずそうとしてホッチキスのピンで人差し指を切ってしまった。これもやっぱり老化の影響? 若いころはバンソウコウの世話になることはめったになかった。ちょっとした怪我は放っておいてもいつの間にか治っていた。手の指にわずかな痛みや傷があるだけで、生活に重大な支障をきたす。シャツのボタンをかけるのに時間がかかり、キーボードを打つ速度が極端に落ちる。書類を捲るのが重労働になり、飯も風呂も一苦労。すべてのことが普段よりひと手間多くかかってしまう。1本の指の果たす機能や重要性に驚いてしまうが、それより前に不慮の怪我を少なくすることを真剣に考えなくちゃ。

3月1日 2月も終わった。本の注文は例年にないほど少なく、出版依頼もほとんどなかった。2月はいつもこんなもん、といいたいところだが、それにしてもちょっと静かすぎる。本の注文は取次店を通じてはいる。それが少ないということは秋田やうちだけの問題ではないのだろう。全国的な傾向のようだ。1年を通じて売り上げにばらつきがあるのは、どんな商売にもあること。しかし出版に関しては、この売り上げ減少が将来的に「固定化」していく不安があるのも事実だ。このままずっと売り上げが落ち続けていくのでは、という影に多くの出版社はおびえている。このところ青森から沖縄、来週は名古屋と、いろんなところに出かけているのだが、このあたりの不安は地域にかかわらず同じようだ。暮らしの中から「本の存在」が薄くなっていく。これは間違いない。でも、どんどん影が薄くなってすっかり本が消えてしまう、という近未来のイメージがいまひとつ思い浮かばない。それがまあ救いといえば救いなのだが。

3月2日 二十年前から手のひらに入るICレコーダーを使っている。ソニーがたまごっちに似た丸型レコーダーを出したときから10台以上は買い替えているヘビーユーザーである。用途はもっぱらメモで、散歩で思いついた用事や企画を吹き込んでおく。ずいぶん役に立っているというか外出には手放せないアイテムだ。数日前、ちょっと性能のいいソニーの長時間ICレコーダーを新調。メモではなく仕事用のインタビューに使う本格的なやつだ。ためしにある宴会のなにげない会話を録音してみたら、その音質のクリアーなことに驚いた。40時間近く録音できる性能にもビックリ。明日から名古屋行き。さっそくICレコーダーの出番がやってきた。さらに録音機を買ったせいでひとつおもしろい企画を思いついた。

3月3日 今日から名古屋。準備は万端だ。東京・名古屋と乗り継ぐ長い電車の苦痛にもだいぶ慣れた。本を読んだり、取材用の資料を読んだり、やることはいっぱい。今年は旅する機会が増えそうだとひらめいて、1月の青森行きの際、デパートに立ち寄ってキャリーバックを衝動買い。これが正解だった。3〜5泊の旅が気軽にできるようになった。パッキング技術が登山で向上したこともある。バックひとつで旅への距離感がずいぶん埋まった感じだ。収納容量が大きいので着替えも資料もたっぷり持ち運べる。少しでも荷物を減らそうと必死だった旅から、旅先でも日常と同じに過ごせるよう、いろいろ持ち込む旅へと、私にとっては劇的な変化。パジャマを持参できるようになったのもうれしい。名古屋は雨。ちょっと寒いのに驚いた。

3月4日 名古屋2日目。3連泊のホテルは名古屋市内からかなり離れた千種にあり、交通の便が悪いうえにネット環境もダメ。イライラするが大きく深呼吸して気分転換。この場所から毎日、熱田神宮のある場所に住む取材対象者の元へ通う。名古屋は車社会、地下鉄やJR電車代がけっこう高い。2027年、リニア開通に向け、駅前開発ラッシュが続き、高層ビルがものすごい勢いで立ち並んでいた。一仕事終え、夜は名古屋の出版社Fさんに美味しいコーチンの店に連れて行ってもらった。比内地鶏はまだこのレベルまでいっていない。歴史の違いを感じてしまう。それでも駅前のビル中に比内地鶏のお店があった。

3月5日 青空がひろがっているが底冷えのような寒さが足元から這い上がってくる。モモヒキを脱げないのは意外というしかない。今日は朝から地下鉄で名古屋まで出て、そこから名鉄線で犬山へ。犬山からはJR 広見線で新可児へ。ここはもう岐阜県。2年ぶりの町だ。待ち合わせまで時間があったので、でたらめに町を歩き回る。外国人(ブラジル人やフィリッピン人)が目立つのは大手企業の工場があるせいだろう。確かソニーはもうこの町から撤退したはずだ。スタバもドットールもない。そういえば大都市名古屋も、コーヒーといえばコメダがあるせいか駅ナカにスタバがなかった。新可児で、ある女性に3時間近く話を聞き、これで今回の日程をほぼ終了。今日は名古屋駅ナカ飲み屋で一人静かに祝杯(打ち上げ)でもあげようか。疲れたけど、ハイにも落ち込みもせず、冷静に旅先で仕事をすることができた。少しは成長したのかな。

3月6日 朝9時の新幹線に乗って名古屋をたち、秋田に着いたのは午後4時。乗り継ぎに余裕がないのに、これだけかかってしまうのだから、日本はやっぱり広い。電車に長時間拘束されることに慣れてはいるのだが、ぶっ続けで6時間以上になると、さすがにきつい。旅を嫌がるのは不衛生な便所を使うこと、という人が多い。かくいう私もその一人だった。それが山に行くようになり、どんな汚い山小屋の便所でも、あるいは人が見ていようと、猛烈な便意の前には恥も外聞もない、という切羽詰まった経験をしたせいで今はどこでも用をたすことができるようになった。さらに、季節に合った服より、薄手のものを重ね着して予測不能な暑さや寒さから身を守るすべも、山から学び、旅だけでなく外出先でもこれは役立っている。基本的には春秋用の洋服さえあれば日本の四季はすべてOKなのだ。山のおかげで旅がどんどん身近になってきた。
(あ)

No.737

捏造の科学者
(文藝春秋)
須田桃子

 STAP細胞発見のニュースは、朝のワイドショーで「キャバレーの楽屋に無断侵入、ハイヒールを盗んだ男」の後だった。世界中を驚愕させる科学的大事件を、メディアは何を考えて三流ゴシップと同列で流すのか、あきれながら眺めていた覚えがある。今考えるとメディアの側もあまりに唐突な「大発見」に、社内的には大混乱に陥って、右往左往していたのだろう。そうしたメディアの科学分野の中心的な人物の一人が著者だった。毎日新聞科学環境部に所属する、科学記事では斯界でも妥協の許さない真相究明派として有名な記者である。その彼女も突然の、常軌を逸した記者会見やその論文の基本的なずさんさに、疑問をもったものの、全体的には「STAPはあるとおもっていた」と正直に言う。本書が書かれた理由も「このまま幕引きを許せば、真相は永遠に闇の中に葬りこまれる。それは日本の科学界,及び科学ジャーナリズムの敗北と言えるのではないか。末席ながら科学報道に携わる一人として、また当初、STAP細胞をすばらしい成果と信じて報じてしまった責任を果たすためにも、それだけは何としても避けたかった」ことから執筆を決意したのだという。巻末近くに20世紀最大の科学捏造事件と言われる「シェーン事件」を引き合いに出しながら、小保方晴子の犯罪の可能性を強くにおわせて本書は終わっている。

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