Vol.747 15年3月21日 週刊あんばい一本勝負 No.739


新年度が近くなってきて、あわただしい

3月14日 週末はなにも予定が入っていない。歯医者の治療も終わったし、山行もないし、出張もない。で、のんびり出来るかというと、そうでもない。本を書こうと思っていて執筆のための準備をいろいろとしなければならない。そうなのだが、なかなか重い腰が上がらない。ダラダラと録画しておいた映画などを観て、時間がつぶれてしまう。これもいい休養と思えば罪悪感もないのだろうが、本を書こうと決めてしまった今となっては、だらしない自分に腸が煮えくりかえる。ちょっと立場が違っただけで、同じ行動が天国にも地獄にもなってしまう。ここでちゃんとしなければ、いつまでたっても本は書けないだろう。厳しい。

3月15日 新入社員がコツコツとヤフオクやアマゾンに本の出品作業。昨日さっそくある本が入札された。初めての1冊。これはちょっと嬉しい。最近、新入社員は金土を休んで日曜出社。仕事上のやむを得ない事情などではない。週末に行く泊まりがけのスキー宿が土曜は満杯で取れないため1日休みを前倒しにしただけ。遊びの都合で日曜に出社しているだけだ。こちらも久しぶりに事務所に居る。何もしない青空の日曜日を満喫。鼻くそをほじりながら、ぼんやりと、未来の方向を眺めて、アクビなんぞをしている。ヒマだなあ。平和だなあ。カンテンでも作るか。カンテンは毎回3種類ほど作っている。定番の小豆にママレード、はちみつレモンで今回もまとめてみようか。

3月16日 いい年をして「春眠暁を覚えず」状態が続いている。毎日きれいに7時間は寝ている。早朝に目覚めることもない。いつも「もう30分でいい寝かせてほしい」と思いながら目覚める。だから午前中はずっと眠気と闘いながら仕事をしている。それにしても不眠や腰痛、食欲不振や様々なお薬といった、中高年病のような症状となんとか無縁に生きてこられた。この年になって何の薬も服んでいないし、医者にも通っていない。これから一挙にその反動がやってくるのだろうか。将来、いろんな病気のリスクを潜在的に抱え込んで生きていくのは間違いないのだが、何が怖いといって「眠られなくなる」ことほど怖いことはない。余計なことを考え、それを自己増殖していくタイプだ。不安や焦燥の重圧で胃が痛くなり、自分で勝手に病気の袋小路に入り込んでしまう可能性も無きにしも非ず。でもまあ、よく寝られているうちは少し安心だ。

3月17日 東洋ゴムの免震装置不適合のニュースにはビックリしたが、1400年前に建てられた法隆寺五重塔は、五重の各重が独立して重なり合っているだけ。建物を貫く構造材がまったくない。これが逆に地震に耐えられる理由なのだそうだ。五重塔の真ん中には「心柱」があり、その真下に仏舎利が埋めてある。この心柱にも一切の材は組み込まれておらず立っているだけ。この大事な心柱を雨風から守るため、三重や五重の高い建物が必要だったのだ。心柱が長くなったのは威厳や宣伝、遠くからでも敬えるという配慮からだそうだ。五重塔はいわば巨大な卒塔婆だったのだ。これは塩野米松さんが最近、雑誌に書いた「五重塔心柱の不思議」という文章で知った。東洋ゴムよりこっちのほうがよっぽどビックリ。

3月18日 仕事はまったく忙しくないのだが、その他の「雑事」が何かと慌ただしい。新年度前だからだろうか。学生は卒業就職の時期。元バイト君や縁のある若者の送別会、来舎があいついでいる。保険の書き換えや新規事業の飛び込みセールス、リフォームに関するチラシもけっこう多い。これも新学期となにか関係があるのだろうか。かててくわえて県議選挙がかまびすしい。どうみても地方選挙はそのへんのフリーターたちの就職活動だ。主義主張などあると思うのがまちがいだ。とにかく4年間、ラクして安定した収入を得たい「選挙プロパー」たちのドラフト会議だ。投票は民主主義の基本、放棄できないという固定観念にいまだに縛られているのだが、ほとんどの候補者に嫌悪を感じている。ま、そんなこんなの年度末です。

3月19日 去年出版した『一粒の米もし死なずば』という本はサンパウロにある邦字新聞「ニッケイ新聞」が執筆編集したもの。うちが制作し、日本とブラジル両国で発売した。日本で印刷製本、うち半分を地球の反対側に船便で送った。ところがその本が4か月以上届いていない、という。普通ブラジルまでは2カ月くらいで届くはずだが、かの国はこうしたことも日常茶飯事。とはいってもいくらなんでも4カ月はかかり過ぎ。不安になり昨日とりあえず航空便で10冊送った(これは5日ぐらいで届く)。送ったとたんサンパウロから「ようやく本が届きました」というメール。よかった。ずっと心の隅に引っかかっていた不安が消えホッとした。

3月20日 2日間続けて飲み会で、いささかくたびれ果てている。連続というのはもうきつい年になった。一昨日は夕食が終わった後、突然の電話で呼び出された。大学時代の先輩で「この人だけは断れない」という友人だった。ふだんなら先輩であろうと遠方の人であろうと、「仕事してますので」とやんわり拒絶するのが常なのだが、この日は「すぐ行きます」と応え、けっきょく午前様。昨日はうちのHPに連載している国際教養大のY君の就職兼送別兼誕生会。本人は終電車があるので帰ったが、主催のモモヒキーズは当たり前のように2次会。やっぱり帰ったのは午前様。ホッとしたのは今日の体重計。そうかわっていなかった。
(あ)

No.739

唱歌『ふるさと』の生態学
(ヤマケイ新書)
高槻成紀

 先日、雪山ハイク中にウサギの足跡をたくさん見た。最近は山中でウサギの足跡すら見ることがほとんどなくなった。ウサギがいなくなったのは低山に萱場(かやば)がなくなったためだそうだ。本書のサブタイトルは「ウサギはなぜいなくなったのか?」。日本人の愛唱歌から自然と動物の生態を追いかけるという発想が素晴らしい。昔、農家には必ず家畜がいた。家畜のえさを確保するには「茅場」という草原が必要だった。堆肥もこれが材料だし茅葺屋根を葺くのにも使われた。 その萱場が消えてしまったのだから、そこを生活の場にしていたウサギの数が減るのも当たり前である。水に関しても興味深い記述があった。日本人が水道水を捨ててペットボトルを買うようになった経緯についてだ。著者は現在のペットボトルブームに納得していない。川の下流が工場によって汚染され、都市も生活排水でダメになり、農地やゴルフ場が農薬で汚染されたのは疑うことのできない事実だ。しかし八〇年代以降はかなり改善され、何よりも浄水技術は飛躍的に向上した。にもかかわらず、昭和三〇年代に悪化の一途をたどった水質は「水がまずくなった」噂を燎原之火のように広げてしまった。この時期、経済的にも余裕がでだしたこともあり、初めて水をビジネスとして売ることが考えられた。「水商売」が経営的になり立つ基盤ができたのだ。その後、飛躍的に水を囲む環境は改善され、浄化技術も向上し、大都市の水道水もペットボトルの水と何の遜色もない良質なものになったのだが、人々はもう水道水に戻ることはなかった。すっかりビジネスとして定着してしまったのだ。

このページの初めに戻る↑


backnumber
●vol.743 2月21日号  ●vol.744 2月28日号  ●vol.745 3月7日号  ●vol.746 3月14日号 
上記以前の号はアドレス欄のURLの数字部分を直接ご変更下さい。

Topへ