Vol.741 15年2月7日 週刊あんばい一本勝負 No.733


2月はウイスキーのみながら旅行をしたい

1月31日 さてさて1月も終わり2月ですよ、ご同輩。月日が経つのは早い、特に高齢者には。1月はブラジルからのお客さんや香港旅行で過ぎてしまった。この1週間、積極的に外に出て人に会おうと決め、実践した。この1週間で会った人は7名、けっこう人疲れしてしまったが、やっぱり得るものも多い。香港旅行でたった2泊3日だが、まったく初対面の人とたちと過ごした。これで刺激を受けたことが大きい。人と会わないとだめだなあ、と実感した。知らないこと、知ったかぶりをしていることが多すぎる。どんな仕事も原点は「ひと」。悩んだり、迷ったり、焦ったら、まずは人と会うこと。ここにしか問題解決の道はない。

2月1日 日曜登山は県北二ツ井にある七座山。見事な天然の秋田杉の巨木のある山だ。木を観るだけでも行く価値があるのだが、登山道が消えている雪山は、なかなか山頂にたどり着くことが難しい、けっこう難易度の高い山でもある。過去3度トライしたが、ことごとく道に迷い山頂にたどり着けなかった。朝から猛吹雪で「今回も途中リタイアかな……」と口にはださねど、みんなあきらめムード。ところが登り初めたら、天気予報とは裏腹に青空が広がりだした。なのだが今回も迷いに迷った。去年、目印の赤テープをつけるために先遣したSシェフの努力もあって、どうにか山頂にたどりつくことができたが、下山もまた迷った。小さな山なのに5時間たっぷり雪山を楽しませてもらった。

2月2日 中断されていた朝日新聞の池上彰氏の連載が再開されることが報じられていた。慶賀にたえないが、ちょっと引っかかることもある。池上氏は毎日のようにTV番組に登場し、出す本も売れに売れている有名人。その彼の名前に冠せられる「ジャーナリスト」という肩書は、これでいいのだろうか。少なくともジャーナリストと言うのは「現場を観てくる」ことを職業とする人のこと。個人的に池上氏は嫌いではない。好きなタレントの一人だが肩書には違和感をある。これだけ多忙な彼が論評する多くの事案の現場に立ち会っているはずはない。彼の仕事は「評論」もしくは「解説」といわれる類のものではないのか。そんなことをグチグチと考えたのは「イスラム国」に拘束・殺害された後藤健二さんの事件があったからだ。「現場に足を運ぶ」ことがジャーナリストの鉄則。彼はそれを忠実に実行した。まっとうなフリージャーナリストである。では池上氏はどうか。その視点からみれば彼はジャーナリストではありえない。取材をしなくとも、現場に足を運ばなくても、ジャーナリストと名乗れる時代になった、と言う人もいるが、それならば別の新しい言葉を考えるべきではないか。

2月3日 2月の月間スケジュールをつくっている。毎年この時期はヒマだし、無為に過ごしてしまうことの多い。でも今月は「春DM」の編集発送作業があるし、青森から沖縄まで、いろんなところに出かける可能性も出てきた。仕事というより遊びに近い遠出だが、このあたりで意識的に「息抜き」を入れて置かないと、後半のバテが心配になってきたのだ。「バテ」というのは「飽き」のことだ。集中力が切れると、まっているのは「飽き」という虚脱感だ。そうなると企画力も粘りも高揚感も一気に失われる。自分のやる気に仕事の質が綿密に連動している。そんなわけで、2月は少し息抜きしたい。

2月4日 毎朝目を覚ますたびに、「これで本当にいいのか」と強く思ってしまう。それほど雪が降らない。日課だった雪かきもしばらくしていない。新入社員に任せているせいもあるが、家族総出で厳寒の雪かきをしなければならない状態とはほど遠い。秋田市が特に雪が少ないようだ。もう2月なのに雪がない。こんなことがあっていいのだろうか。うれしさよりも防御本能のほうが自動的に作動する。いつ反動でドカ雪が来るのか。不意打ちはいや。それともこのまま春に。いや、それはありえない……とまあ堂々巡りの不安のスパイラルに陥ってしまう。雪の少ない冬は、素直にうれしい。でも弊害は春や夏にツケになってまわってくる。水不足や害虫、猛暑といった自然災害だ。それでも雪がない冬は「なんだか得した気分」。

2月5日 普段は寝付きもいいし、おしっこに起きることもなく朝まで熟睡する。ところが昨夜は珍しいことに夜中3時ころ目が覚め、眠られなくなってしまった。なんだか不吉な予感。その予感通り、歯を磨いていたらポロリと差し歯がとれてきた。ここ2年、ほとんど歯医者さんのお世話になっていない。昼のリンゴとおやつの堅焼きせんべい&スルメのおかげで、すっかり歯が丈夫になったと過信していた。やっぱり順風満帆とはいかない。でも、このぐらいで済んだのは不幸中の幸い。これから先は何があっても不思議ではない年だ。

2月6日 つくづくミーハーだなあと嘆息。このところ毎晩ウイスキーで晩酌だ。カミさんは何年も前から水割りウイスキー派、それを鼻で笑ってワインや焼酎を呑んでいたのだからバツが悪い。きっかけは香港旅行だが、その1年ほど前、京都に行ったら知り合いの和食屋さんで「これからは和食もウイスキーの時代や」と言われて驚いた。NHKの朝ドラのずっと前の話だ。その関西の和食屋さんたちが愛するウイスキーを香港まで持参していたのにも2度びっくり。そのウイスキーはカスク(木樽)買いした特別なものなので、美味いのも当然なのだが、ハイボールで呑めば、どこで売っている安い国産物でも十分美味い。どんな肴にも合う汎用性は焼酎以上だ。
(あ)

No.733

老いて男はアジアをめざす
(バジリコ)
瀬川正仁

 親しいわけではないが学生時代から何かと付き合いのある実業家の先輩がいた。その人は還暦を過ぎたあたりから、何を考えたのかタイに夢中になり、1年の半分をタイで暮らす生活をはじめた。裕福な人ではないが、ちゃんと妻子もいた。タイからもどると半年は秋田でアルバイト仕事をしながら金を稼ぎ、またいそいそとタイへ出かけていく。年金生活者であり、現役時代からは想像のできない、その豹変ぶりに驚いたが、本書を読んで疑問が氷解した。「若い女」が目当てだったのだ。本書のサブタイトルは「熟年日本人男性タイ・カンボジア移住事情」。年金にすがって生きる日本の高齢者にとって、東南アジアの国々は物価が安く、気候は温暖、そして「若い女性との出会い」が容易な国だ。60歳を過ぎた高齢者が、日本で若い女性たちに相手にされることは、ない。がタイならそれが可能なのだ。年金程度のお金で若い女性と暮らせる。それは日本の老いた男たちが見つけた「楽園」だった。本書にはそのスタディケースが豊富に綴られている。娘のような愛人と暮らす、真剣に結婚相手を探す、年金はおろか全財産を貢いだ果てに捨てらる、奇跡的に幸福な家庭生活を営む男もいるが、それはもちろんレア・ケース。東南アジアの巨大な売春地帯の多くは、ベトナム戦争当時、アメリカ兵の慰安所として栄えたところだという。

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