Vol.739 15年1月24日 週刊あんばい一本勝負 No.731


一生一度の香港グルメ旅行

1月17日 夜10時過ぎ、家の前で派手な酔っぱらいのケンカがはじまった。どちらも闘う前から立っていられないほど酔っている。どうやら女の問題のようだ。30代と50代の、さえない男同士の罵りあいと殴り合いが続いた。30代はだんまりを決め込み、50代はその態度に激昂して殴りかかる。若い男は身をかわし、年よりは勢い余って塀に衝突。さらに怒りを爆発させる。30代もときどき手を出すが、50代男の怒声がケンカのメイン。家には私一人しかいなかった。しばらく面白がって2階から静観していたが近所の街灯がつきだし、パトカーが呼ばれそうな雰囲気になりかけたころ、2人はもつれ合いながら視野から消えた。2人に何があったのか、いろいろ想像してみる。一人の女をめぐっての愛憎劇だが、2人の年の差と関係がよくわからない。少年の頃、家が飲食街にあったのでケンカはよく見た。少年の頃のいやな思い出がわき立ってきて、眠られなくなった。

1月18日 朝10時、キャセイパシフィックで香港へ。友人の京都の料亭主人Hさんから誘われた2泊3日のグルメ旅だ。ひたすら中華料理を食べるだけが目的だ。総員12名、職業はまちまちだが料理関係者が多い。皆さんご夫婦での参加で、一人参加は肩身が狭い。4時間半で香港着。ホテルはネイサン通りのシュラトン。いいホテルだが隣がペニンシュラだ。打ち合わせやお茶は歩いて1分のペニンシュラを使うことにする。着いてすぐの夕食は話題の「名人坊」。塩も油もさらりとシンプルな京懐石のようなフルコースだった。驚いたのは紹興酒の美味さ。日本ではよくザラメを入れるが、本場の古酒は最初から甘いので、ことさら甘さをくわえる必要がない。古酒に似せるため紹興酒にザラメをくわえる習慣が生まれたのかもしれない。しょっぱなから中華料理の概念(油っこくて甘い)が吹っ飛んだ。こんがりと焼きあがった手羽先が出てきたときは、さすがに、えっ手羽先なの、とガッカリしたが、かぶりつくと中にツバメの巣が大量に詰まっていた。いやはや大満足の初日だ。

1月19日 朝は飲茶で有名な「陸羽」。飲茶では香港一と言われるレストランだが、サービスも味も荒っぽく、まったく感心できなかった。人気に胡坐をかくのは怖い。昼はタクシーで香港島に移動。シャングリラ・ホテル内にある「夏宮」で昼食。ここの飲茶セットやデザートは「陸羽」より数段美味しかった。午後からは腹ごなしに近所の海べりを散策し、芸術館(美術館のこと)で香港の現代アートを堪能した。午後のお茶はペニンシュラで「フローズンダイキリ」、これが美味いのなんの。夕飯は今回の旅のメイン、中華の最高峰と言われる「福臨門」で張徳強シェフのフルコース。フカヒレやナマコ、アワビにナポレオンフィッシュ、タイ米チャーハンから焼きそばまで、余すことなくペロリと全員が完食した。すべて初めて食べる料理だったが、これ以上書くとヒンシュクを買うのでやめる。特筆したいのは、最新のおいしい中華料理は甘くもなければ油っこくもないということ。和食のようにさらりと女性でも最後まで食べることができる料理なのだ。

1月20日 朝はお隣のペニンシュラまで出張り、軽い朝食。朝からストロベリーのフローズンダイキリも。これは病み付きになりそうだ。昼にはもう空港にはいらなければならないので、昼食は空港内の中華レストラン。ここでも紹興酒を呑みながら大宴会。まったく飽きないばかりか、中華料理の奥深さのようやく入口にたどりついた感じ。まだまだもう3日は中華三昧で行けそうだ。3時に香港を飛び立ち、関空着は夜の9時。今日は大阪の新阪急ホテル泊。ホテルについて機内食を食べていないことに気がつき、そばの食堂でラーメン。寝床に入ったら翌日になっていた。

1月21日 大阪から新幹線で東京へ。東京の九段の定宿ホテルに着いて、ようやく夢のような香港グルメ旅が終わった、という安堵と寂寥が襲ってきた。事務所に電話を入れたら「なにも変わったことはない」と新入社員の普段通りの声。ここで一挙に現実に戻った。もう心身共に仕事モードに入っている自分がいた。でもなんだか香港前の自分とは微妙に何かが違う。機会と人間に恵まれなければ味わうことのできない「一生に一度」の体験をしたのだから、その前後で大きく何かが変わったのは間違いない。そういえば日本に帰ってから食べたものはラーメンにコンビニのサンドイッチ、駅弁といったファストフードばかり。食堂に入る気がしないのだ。

1月22日 東京から秋田へ。事務所に着いたのは午後3時。机の前に積まれた郵便物や連絡メモを読み、優先順位をつけ片っ端から処理。旅に行く前とそうたいして変ったことがないのだが、やっぱり仕事は楽しい。やるべきことがあるというのは幸せなことだ、と痛感する。仕事の処理が終わると旅の荷物の整理。洗濯物を洗濯機に入れて、ようやく夕食だ。家族に旅の報告をしながら日本酒を1合ほど。さらりとシンプルないつもの夕食だが、これはこれで大満足。うちはカミサンもそうだが「旅のお土産」は買わない、というのが暗黙のルールになっている。もらっても使わないし、喜ばないからだ。今回は香港では何も買わずに、大阪で買った「赤福」と東京駅の「笹寿司」のみ。これが夕食の1品に。お土産がないことを責められないのは、うれしい。

1月23日 今日からまた普通通り、いつもの日常。たぶん一生に一度しか経験できない「旅」をして、その余韻の去らないままだが、戻ってきた日常もまた、いわく言い難い「当たり前の幸せ」だ。毎日判で押したような日常は嫌いではない。うまく言えないが、お米のような日々。お米は美味しいと感じないぐらいがちょうどいい。副食に漬物や味噌汁があれば毎日飽きずにお米を食べることができる。そんな日常も捨てがたい。
(あ)

No.731

ペテン師と天才
(文藝春秋)
神山典士

 この事件に火をつけた本人(著者)による事件調査ノンフィクションである。週刊誌やテレビで面白おかしく報道し尽くされた観のある佐村河内事件だが、ちゃんとしたノンフィクション作品で読むとまた新鮮な驚きの連続である。事件を聞いたとき、いくつか疑問が浮かんだ。なぜ著者はこの事件(ゴーストライターの存在)に気がついたのか。著者は辻井伸行など障害を持った音楽家の取材で実績のあるライターだった。その障害を持った音楽関係者たちからの情報が佐村河内事件と出会うきっかけになったのである。もうひとつ、テレビや新聞、出版や音楽業界の人たちはなぜもたやすくだまされてしまったのか。これも様々な要因がある。意外にも佐村河内を「天才」ともてはやした端緒は五木寛之のようだ。そして最初に佐村河内を取り上げたテレビ番組は故・筑紫哲也「ニュース23」である。番組チェックが最も厳しいはずのNHKスペシャルがたやすく引っ掛かったのは、この筑紫の番組をはじめ佐村河内のTV番組は古賀というフリーランスのディレクターが「専門家」で、彼が一手に仕切っていた、という事実が明かされている。NHK職員ではなく佐村河内のために嘱託で雇われたフリーディレクターなのだそうだ。新垣氏以後も想定して用意されていた2番目のゴーストライターや、佐村河内との不可思議な関係を疑われている人物(同級生)への追跡取材などもあり、読み応え満載の1冊だ。 

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