Vol.736 15年1月3日 週刊あんばい一本勝負 No.728


明けましておめでとうございます

12月27日 久しぶりの東京。抜けるような青空に新鮮な感動、人の多さにビックリした。外国に来たような異邦人の気分である。若いころ、東京は「もう一つの仕事場」ぐらいの意識しかなかった。それ以上でも以下でもない。それが年をとるごとに、自分の住む秋田の田舎度の「深刻さ」をいやがおうにも意識させられる敵になっていく。どっちが本当の「日本」なの? という感じ。同じ国の住人なのに何もかもが大きな格差の中にある。この格差を年々強く意識する。東京はあまりに過剰すぎ、秋田は何もかもが不足している。いずれ将来的には少子高齢化の流れの中、「東京の秋田化」という形で埋まっていくのだろうが。

12月28日 三つの飲み会をこなし、東京二泊三日の旅を無事終了。一年に一回しか会わない人たちと「来年またね」と別れたが、ほんとうに来年も会えるだろうか。いやいや、それは冗談。旅がいいのは電車でたっぷり読書タイムがとれること。今回も佐野眞一『ノンフィクションは死なない』、瀬戸内寂聴『死に支度』、矢貫隆『東京タクシー運転手』、橋本健二『居酒屋ほろ酔い考現学』の四冊をまとめ読み。復路の新幹線チケットを紛失するというアクシデントもあった。あわてて再購入したが、何せこの時期、空席があるのか心配だったが、「こまち」最終便に一席だけ空き。ラッキーだった。帰還したのは深夜。

12月29日 どこもお正月休みに入ったようだが、うちはまだ営業中。小生も新入社員も、隣の家にいるより事務所で仕事をしているほうが、なにかと都合(?)がいい。なんとなく事務所でボソボソと仕事のふりだ。夜は今年最後の忘年会。中学教師のS君と年末の恒例男2人飲み会。これが終わるとお正月休みという段取りだ。昨日までの東京出張ではどうにか体重は1キロ増以下で抑えた。年末年始でどこまで現状維持できるか不安だ。そういえば東京では2日間で3組のキスをするカップルを目撃した。ホホチューではなくクチビルチュ―の本格キッスである。車中、コーヒー店、駅中でだ。3組とも顔つきから判断するに日本人のようだった。自分の知らないところで地球はまわっているのだろうか。

12月30日 今日から来月4日までが「お正月休み」。一昨日に突然そう決めた。休みといってもほぼ一日中事務所に居るから、どこが休日なのか自分でもよくわからない。事務所のソファーに寝転んで読書、飽きれば私用を片付け、気が向けば外出。まあこんな感じだ。年をとるごとに恒例の行事よりも日常のルーチンを優先する傾向にある。年越しそばやお屠蘇は食べるが、そのほかのことは一切いつもと同じ。年賀状も出さなければ神社に行ったりもしない。新年といっても気持があらたまったり希望に燃えたりもしない。この辺はちょっと悲しい気もしないでもないのだが、年をとるってこんなことなんだろうな、たぶん。

12月31日 手帳の入れ替え作業(造語です)で気がついたことがある。2014年はメチャ「やきとり屋」に通っているのだ。市内にある「あべや」という比内地鶏屋がお得意先で、先の東京でも神保町の「蘭奢侍(らんじゃたい)という比内地鶏屋だった。一昨日の今年最後の忘年会も「あべや」。昔からやきとり屋は好きだったが、どちらかというと鳥よりも豚の臓物「やきとん」が好みだった。「やきとん」も「やきとり」と表記する店が多いのは、鳥に高級感のあった時代に「臓物を偉そうに見せるため」に、豚なのに「やきとり」とミエをはったためだそうだ。ホルモン焼きが関西の「放るもん」が語源と言うのは真っ赤なウソだが、こちらはどうやら本当のようだ。比内地鶏のやきとりは、うまいね。よいお年を。

1月1日 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。

1月2日 年末年始は落ち込んでしまった。普通に仕事をしていないと、この手のメランコリーは不意打ちで来る。正月休みで弛緩した心の中にはいりこんで居座ってしまう。仕事で不意打ちを紛れさせてしまうことができないため引きずってしまうのだ。今日、箱根駅伝を観ていたら、その暗い被膜がスーッとはがれた。駅伝と言うより手帳に新しい予定と目標を書き連ねているうちに心に青空が少しずつ広がりはじめた、というほうが正確だ。今年の目標は謙虚に「リバウンドしないこと」。これ1点のみ。太らなければ1年を通じて仕事ができる。大過なく健康に過ごせればいうことはない。健康オタクと笑われそうだが、才能のないカメが、才能のあるウサギに勝つには、コツコツと持続して歩き続けるしかない。
(あ)

No.728

ぼくは眠れない
(新潮新書)
椎名誠

 著者は豪快なアウトドア生活を活字にする人気作家、というイメージが強い。それが作家生活をはじめてから35年ずっと不眠に悩まされているのだそうだ。本書には精神科受診や、手放せない睡眠薬、ストーカー事件によるトラウマのことなど、赤裸々につづられている。比べるほどのことでもないが小生も不眠に関しては最近ずっと悩まされている。毎週、日曜登山の前夜になると眠られなくなるのだ。いや寝ているのかもしれないが眠りが浅く、ひっきりなしに目が覚める。楽しみな山行のはずなのに不安や興奮が先に立つのは気が弱いせいかも。本書によれば、もともと睡眠は「生命を維持し、ひいては種族を維持するための必須の重要な機能」として生体にプログラムされているという。睡眠はある意味、適応のための重要な技術で、筋肉を緩ませ、意識レベルを下げ、栄養補給を断つ。そのため危険を伴う命がけの行為だった。だから睡眠中の安全が確保できる条件を整えてからでなければ眠るわけにいかなかった。これが生き物としての鉄則だったのだ。カンボジアのポル・ポトの拷問の中でも最も残酷なのが、一定の間隔で頭の1か所に水滴を落とし続け刺激を与えて眠られなくする、というものだそうだ。これを3日続けると人間は間違いなく死ぬのだそうだ。著者らしく参考文献や自身のエピソードが豊富で、読んで面白い役立ち本だ。

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