Vol.731 14年11月29日 週刊あんばい一本勝負 No.723


冬のDM発送を終えて

11月22日 本が売れなくなった理由をいろんな人たちがいろんな角度から論評している。そのどれもがもっともだし、共感も理解もできる。でも頭の中では納得しつつもいまひとつ、「でもちょっと違うなあ」と頭をひねっているのも事実だ。自分の周辺にいる友人たちの言動や日常的ふるまいからの推察にすぎないのだが、彼ら彼女らは本が好きなのに本を買わない。本が好きなことと本を買うことは別物の行為だ。好きなのに買わないという、その境目にある「スキマ」が何なのか、ずっと考えている。たぶん、そのスキマは「コピー文化」ではないだろうか。コピー文化はスキマにぴったりと重なり合うジグソーパズルのピースではないのか。今日の朝日新聞にニコニコ動画の川上量生は、本が売れなくなった理由を「コピーされやすくなったため」と指摘していた。同感だ。なぜコピーが購読の邪魔をするのか、それについての説明は省くが、コピー文化の隆盛と書店減は正確に比例している。

11月23日 少人数で仙岩峠の上にある貝吹岳に登る予定だったが、積雪で国見峠の温泉入口が通行禁止。急きょ岩手・滝沢市にある鞍掛山に変更。仙岩峠を抜けると曇天の秋田から一挙に晴天の岩手路に。鞍掛山は登山客で大賑わい。こんなに登山客に親しまれている山って秋田にはない。易しい1時間半のハイキングコースのせいか老若男女いろんな人たちが山を楽しんでいた。山頂からの岩手山は、まさに目前に迫ってくる迫力で、そうか、みんなこの威容を拝みに来るのか。真冬の貝吹岳を想定した装備なので、このコースには不似合いだったが汗をかきかき平坦な歩きやすいミズナラの森を歩いてきた。帰りは雫石の道の駅で「キノコ」と「柿」をたっぷり仕入れた。お目当ての岩手産ホウレンソウは品切れ。

11月24日 私のようなものにまで選挙になると県内のマスコミから「コメントをください」と声がかかる。「その任ではありません」と丁重にお断りするのだが、政治や社会に対して言いたいことがないわけではない。それを発信するためには職業柄、いろんな制約がある。というか自分なりの線引きをして行動を抑制している。政治に近づくと確実に火傷をする。これまでの学生運動の経験なそからその直感は揺るがない。政治は独特の既得権益を持った特殊な「業界」世界だ。業界以外の人がコミットするにはそれなりの防護準備と距離が必要になる。絵本作家・五味太郎がよく言う「政治業界に自分の幸せをゆだねるな」という意見に近い立場かもしれない。「選挙に行かない選択肢も大事」とまで過激ではないが、自分の幸せは政治の力を借りなくても何とかしますからお構いなく、という距離感だ。政治に対して、この距離感は常に保っていたいと思っている。

11月25日 沢木耕太郎の新刊『波の音が消えるまで』(新潮社)が届いた。あわせて千ページ近い上下巻の小説だ。驚いたのは本が「並製本」だったこと。出版社にとってドル箱ともいえる人気作家の新刊は上製本が常識だ。その常識を破った珍しい出版の形だと思うのだが、書店員たちはいまごろビックリしているだろうな。理由を推測するに、小説なのでいつもの沢木本ほど売れないと判断、部数と定価を抑えたのだろう。そのため製本費を削らざるをえなくなった、というあたりか。並と上ではウナギと同じくコストがかなり違ってくる。そういえば壇蜜の『壇蜜日記』も単行本でなくいきなり文春文庫から出た。中味がいいので手っ取り早く廉価本で勝負したほうがリスクを少なくできると版元は判断したのだろう。こちらはその作戦が成功し売れているようだ。数年前から人気作家たちの新刊が並製本で出版されるようになり、こうした流れは予想できたが、まさか沢木耕太郎の本までが、というのが正直な印象だ。

11月26日 仕事そっちのけで沢木耕太郎の上下巻の新刊『波の音が消えるまで』を読了。今年読んだ本のベストワンは上原善広『石の虚塔』(新潮社)というのは揺るがないが、この本を読んでかなりぐらついたほど面白かった。舞台は香港返還前日のマカオでバカラ賭博の物語である。まったく興味を抱けないテーマや舞台設定にもかかわらず一気呵成に読まされた。著者の代表作である『深夜特急』と並ぶ力作といっていいかもしれない。エンターテインメント小説なので賛否両論あるだろうが、これが直木賞をとったりしたらニュースバリューは抜群だ。村上春樹並みに、斜陽産業に活気をとり戻してくれる起爆剤になるかも。昨日、この本が並製本であることを書いたが、よく見たら違っていた。正確には並より一ランク上のフランス装といわれる製本だった。訂正しておきたい。この製本はちょっと中味のおしゃれな本などに採用されることが多いが長編娯楽小説に使われるのは珍しい。作家側からの強い要望があったのだろうか。

11月27日 寒さがしみ込んでくる冬の夜の雨。雨具を着用し傘なしで散歩を決行した。身体の周辺にまとわりついた「うっとうしい、よどんだ空気」が吹き飛んだ。雨の散歩は気分がいい。そういえば先日、大学病院裏手の山を久しぶりに散歩した。昔よく歩いていた場所だがクマらしきものをみてから行かなくなった。以前より農作業小屋が乱立、賑やかになっていた。山の墓地入口前には「クマがくるので供物は持ち帰ること」という看板。やっぱりいるんだ。にわかに緊張がはしる。昔は犬や息子を連れて毎日のように歩いていた場所だが、もう一人では怖い。足早に引き返した。意気地がない。山に登るようになって自然に対する尊崇の念が強くなった。自然には自分の想像力だけでは抗えない「なにか」がある。危険だと思ったら「やめる」こと。これ以外に答えはない。

11月28日 冬DMの発送が始まった。自分たちの手を離れ郵便局にバトンタッチ。ようやくここまで来た。12月になってから出しても問題ないが「選挙」に引っかかってしまった。選挙になると注文数は激減する。読書家たちもさすがに本どころではなくなるようだ。過去の例を分析しても選挙期間中や夏の高校野球、自然災害などの後は注文がガクンと減る。その選挙戦のまっさかりにDMが届いてしまうという最悪の事態なのだ。ならば1日でも早くDMを届け、選挙の影響をできるだけ少なくしたい、という零細版元のわらにもすがる「想い」なのである。選挙後に出せば、という意見もあったが、そうなると今度は年末年始にぶつかってしまう。この時期も読者の反応は芳しくない。ヒガムわけではないが、しょせん本は必需品ではない。長い目で見れば年4回、型通り四季折々、東北の片田舎から新刊案内がちゃんと届くという「普通さ」を優先したわけである。というわけで、よろしくお願いします。
(あ)

No.723

獺祭
(西日本出版社)
勝谷誠彦

 来日したオバマ大統領が高級寿司屋で安倍首相と呑んだ酒が「獺祭」である。20年以上前から、神保町の酒屋では「獺祭」の巨大な暖簾を店頭に飾っていた。今や世界中で日本酒といえば「獺祭」のことなのだそうだ。本書で強く印象に残ったのは、酒の舞台裏に見え隠れする「町おこし」や「コンサルタント」たちへの痛烈な批判だ。彼らにリスクはないし、成功すればボーナスがある。失敗すれば逃げればいい。世界的な広告会社も同類だ。彼らこそ酒に群がるハイエナだ、と著者は弾劾する。獺祭には杜氏がいない。5万石という量の酒を四季醸造で1年間造り続けている。酒は工業製品なのだ。気温は動かせない。水も動かせない。しかし米は運べる。酒どころが東北や北陸だったのにはそうした理由があった。技術革新の進んだ現代では、それは都会人の幻想にすぎない。タンクは冷蔵技術で冬と同じ環境を作ればいい。暑い国でもうまい酒はできるのだ。驚いたのは、60リットルのもろみを入れ1時間弱、高速回転させ酒と酒粕に分離する遠心分離機の話。これは秋田の醸造試験場が開発し、最初に獺祭が購入した。これがうまさの秘密だという。ちなみに獺祭という名前は子規から取ったという説もあるが、この酒蔵のある場所、山口県周東町獺越(おそごえ)からのものだそうだ。

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