Vol.728 14年11月8日 週刊あんばい一本勝負 No.720


11月になってしまいました

11月1日 ついに11月になってしまった。月日は飛ぶように過ぎていく。今月は朝日やさきがけに新聞広告を打つ予定だ。12月初めに冬DM通信の発行がある。月後半はその原稿作りに忙殺されそうだ。それと2冊の鉄道写真集が出る。「こまち」と「寝台列車」で、どちらもオールカラー版。昔と違って最近はカラー印刷といってもあまり抵抗がない。デジタル・データを印刷所に送ればカラー本は簡単に出来てしまう。モノクロ本との差がなくなってしまった。「こまち」の本は2000年に他社から刊行されたものの再刊。写真自体はちっとも古びていないが出版と関係のない印刷会社が造ったせいか、改訂に大変な作業を伴ってしまった。カバーにバーコードは刷ってあるのだが、これが書籍コードではなくスーパーなどで野菜などについている単商品コード。こんないい加減な仕事をしても許されてたんだから、いいよなあ。

11月2日 大石岳といっても知らない人が多い。昔の山のガイドブックには載っていない。角館の奥地にある1000m峰だ。最近、登山道もちゃんと整備され、ガイドブックにも載るようになった山らしい。この時期はナメコも豊富に採れるが、登るのはきつい山なのだ。坂上田村麻呂に由来する信仰の山でもある。雨の中、この山に登ってきた。雨は予報でわかっていた。「たまには雨の中の登山もいい」という全員の合意の上での山行だ。前日、学生たちと遅くまで飲んでしまったので、こちらは体力的にきつかった。登りに3時間弱。下りは1時間半。この数字でも登りの急勾配が想像いただけるだろう。お昼に食べた採ったばかりのナメコ汁の美味しかった。夜は9時就眠。翌朝はお昼ころまで熟睡。

11月3日 昨日の大石岳の後遺症か。12時間以上寝たのに身体の芯がまだシャンとしない。年と共に疲れが抜けにくくなってきているのだが、山行の後はリフレッシュ感のほうが勝っていた。身体がシャンとするのが常だった。年なのかなあ。認めたくない。それにしてもこの頃やけに3連休が多い。そんな気がしませんか、御同輩。 3連休になると新入社員が車でどこかに出かける。こちらは車なし。どこにも出かけられない。いや車があってもどこにも行かないのだが、ないとないなりに「残念感」が強くなる。普通の週末は、土曜は新入社員、日曜は山用に自分、と車の使用棲み分けができている。なのに3連休だとこの区分けが崩れてしまう。

11月4日 12時間も熟睡してしまった翌日。いつものようには眠られなくなる。こんな時は逆療法、夜9時には床に入り、夜長の読書タイムをたっぷり楽しむことにした。読んだ本は不動産業界の舞台裏を描いた新庄耕『狭小邸宅』(集英社)。面白かった。この業界には「かまし」なる言葉がある。営業マンが家を売るために使う最後の手段だ。紹介物件に納得しない客の落胆を見計らって営業マンのケータイが鳴る。良質物件のキャンセルが出た、という会社からの連絡だ。実はボタン一つで自動的に呼び出し音が鳴るニセ自作自演電話なのだ。これでほとんどの客が色めき立ち、その「良質物件」を見に連れだすと、あっという間に売れてしまう。これを「かまし営業」というのだそうだ。そうか、これに近い買い物経験したことあるなあ。こっちもけっこうその手に引っ掛かっているような気がしないでもない。本は悪徳不動産会社に就職してしまったエリート大学出身者の営業物語なのだが、もちろん勧善懲悪の単純な物語ではない。考えさせられる第36回すばる文学賞受賞作品。

11月5日 昔から日記本が大好きだ。最近出色だった日記本は壇蜜の「壇蜜日記」(文春文庫)。これは本当に面白かった。33歳の女性の書いた本としては驚くほど内容の濃い読み物になっている。昨夜は沢木耕太郎の1986年の数カ月を丁寧に切り取った日記エッセイ『246』(新潮文庫)を一気読み。といっても単行本で出た07年にすでに読んでいるから2度目だ。2度目でも面白かった。まったく飽きない。どこも古くなっていない。30年前の日記なんだけど。当時の国民的ヒーロー長嶋茂雄やマラソンの瀬古、植村直己などへの痛烈な批判も色あせていない。一方で獄中にいる赤軍派や殺人犯との情のある交流も赤裸々につづられている。あいもかわらず著者の懐の深さには感嘆。「深夜特急」もそうだが、過去の出来事を書いても「時間差」を感じさせない。沢木の純度の高い文学性には驚嘆するほかない。その淵源は「たやすく仕事を受けない」という姿勢にあるのはまちがいない。この日記エッセイを読むとそのことがよくわかる。沢木は仕事を断り続ける作家でもあるのだ。

11月6日 この時期になると鳥海山・稲倉山荘から「本の撤収お願いします」という連絡が入る。雪で道路が閉鎖されるので山小屋も店仕舞いなのだ。運送業者もここまでは配達してくれない。だから売店で販売してもらっている本は配送から撤去まで自分たちでやる。今日、新入社員は車のタイヤをスパイクに替え、朝早くから鳥海山に向かった。本を撤収し、再度納入するのは来年5月になる。半年間、山小屋は静かな眠りにつく。稲倉山荘には一棚分の無明舎専用ブースがある。ここでの半年間の売り上げは公務員1カ月分の給料ほど。街に本屋が少なくなってしまった現在、山登りに来て、ここで本を買う人たちも少なくない。半年間しか開いていない臨時書店なのだが、貴重な読者との出会いの場でもある。

11月7日 いろんなミスが立て続けに勃発。ちょっと苛立っている。小さなミスはしょうがない。新入社員の経験不足は当たり前だし、ベテラン・シャチョーはこのところ資金繰りや多忙さと無縁で、完全に気持が緩みっぱなし。それが昨日の印刷所からのメールで「目が覚めた」。なんと月末の支払いが未入金、との連絡がやんわりとはいったのだ。ビンボー零細企業だが40年間、給料と印刷所への支払いは滞ったことがない、というのが唯一の自慢。人のせいにするわけではないが新入社員には金額の指示を出していた。自分で口座の残額チェックや支払い確認の基本を怠った監督責任があるから、人のせいばかりにもできない。細かな連絡ミスや書類の受け渡し、経理や受注のさいのミスも少なくない。年末から年明け時期はヒマになる。これが危ない要因だ。目前の危機をどうやって乗り越えるか。
(あ)

No.720

あしたから出版社
(晶文社)
島田潤一郎

 「就職しないで生きるには21」シリーズの1冊。このシリーズの著者の一人でもある装丁家・矢萩多聞さんの、独特の寸足らずカバーというか、異常に長い帯の装丁にも何冊か読むうち慣れてきた。慣れると不思議なことに違和感なく、すごいセンスのいい装丁のようにも思えてきた。本書の著者は夏葉社という出版社を経営する若者だ。恥ずかしながら、この出版社の名前を知らなかった。巻末に自社刊行本が写真入りで紹介してあり、それを見て和田誠が装丁した「レイブラントの帽子」や「本屋読本」などを出している版元だったことを知った。このシリーズの本は、なんとなく社会になじめず、世間と迎合して生きるのが苦手な若者たちを主役にしたものが多い。そんな若者たちにとって出版という職業は「門戸の開かれた自由な職業」と見えるのだろう。本書も同じシリーズで本を出した矢萩さんと似たイメージがある。通低和音のように、従兄弟の死が重大なモチーフとして本書には流れている。アルバイトや派遣社員をしながら、ひたすら小説家になろうとあがいた20代。挫折し、失恋も経験し、海外を放浪して、著者はようやく実社会に戻ってくる。そして編集の経験もないまま起業し、現在にいたる。といってもまだ5年ほどのキャリアだが、刊行図書に復刻版が多いのが特徴だ。自分の読書経験の中で心に残った本を丁寧に世の中に復権させたい、という強い思いがある。出版不況のせいでこの路線は理にかなっている。どんなインパクトのある新刊でも、よほどの宣伝費や版元の知名度がなければ、本はなかなか読者までは届かない。夏葉社の10年、15年後が楽しみだ。

このページの初めに戻る↑


backnumber
●vol.724 10月11日号  ●vol.725 10月18日号  ●vol.726 10月25日号  ●vol.727 11月1日号 
上記以前の号はアドレス欄のURLの数字部分を直接ご変更下さい。

Topへ