Vol.727 14年11月1日 週刊あんばい一本勝負 No.719


今年もまた健診の季節になってしまった

10月25日 決算も終わり、新刊編集もメドが立ち、あと3点ほどの本が出れば今年も無事に終わり、と油断していた。月末支払い予定表を見てずっこけてしまった。消費税などの法人税納付が10月末の締め切りだったのをすっかり忘れていた。そのために定期積み立てはしているのだが、それを屋根の葺き替え費用に当てるつもりで資金繰りしていたのだ。大失態である。工事費はともかく税金納付は最優先。8%になった意味を痛いほど知らされる額で、これにもショック。資金繰りの計画を急きょ見直し、ともかくも消費税を納付。工事費や印刷支払いは申し訳ないが減額してもらうしかない。いやぁ、たるんでいる。すっかり緊張感が失せている。昨日は半日間、『男の隠れ家』という雑誌の取材を受け、慣れないせいか疲れた。10月は年1回の大きな支払いが何件かある。このことを肝に命じなければ。

10月26日 一日中ほとんど誰ともしゃべらないで過ぎてしまう日がある。手紙を書いたりネットで通信したり、電話は嫌いなのでファックスを頻繁に利用する。こんな日は会話率ゼロだ。新入社員は一階、こちらは二階で会話はない。これは問題なので、朝一番に30分ほどミィーテングをする。が、これも週初めだけ、後半になると何も話すことはない。で、今週である。週初めから来客や打ち合わせあり、接待に宴会、取材を受けたりケンカ仲介したり、イベントにも足を運んだ。いろんな人とコミュニケーションする機会が多く珍しく会話率の高い日々が続いた。おかげで少し咽喉がかれている。こんな週があってもいいのだが、なんだか明日からの週も依然、会話率の高い日々が続きそうな予感も。声帯をすこし鍛えなければ。

10月27日 今日は健康診断ドックで不在です。年1回の恒例行事だが、月日のたつ早さを実感する(いま「こうれい」と入力したら「高齢」という単語が出てきて、気分悪い)。ドッグの一週間前から漠然と不安やいら立ち、ユーウツがまじりあったブルーな気分になる。3年前、肺に影があると診断され大学病院で再検査、「健診ではよくあるんです。何でもありません」と軽くいなされたことがあった。カメラの精度が悪いのだそうだ。でも、あの恐怖がトラウマになっている。再検査からその結果が出るまでの2週間、生きた心地がしなかった。まあ、みんな通る道なのだろう。「健診なんか無意味」と断言する医師もいるが、行って安心するのと、行かずに不安を抱えるか、では断然前者の居心地のほうがいい。行かないほうがずっと勇気がいるからだ。

10月28日 健診が終わってホッとしているが、1週間後の結果が問題なのでユーウツな日々は続く。とりあえず血圧は129の78で、まあ一安心。体重は去年より1キロ増、骨密度や肺活量は問題なし。「痩せたせいで脂肪肝が消えましたね」とほめてもらった。ここで少しふんぞり返りたくもなるが、そうは問屋がおろさない。こんな時に限って大きな地雷が埋まっている。長く生きていると、そういうこともわかってくる。健診はユーウツだが少しずつ好きになってきてもいる。バリウムを呑むのは全く抵抗がないし、視力は毎年よくなっている(!)。不得手なのは眼底検査で、こればっかしは何度もやり直しさせられる。目を酷使しているので白内障が怖い。2年前から目薬を使っているが、これでだいぶ目の疲労は軽減、目ヤニが出なくなった。リンゴを毎日食べて歯医者いらずになったのと同じような効果だ。気持はもう来年の健診ドッグに向かっている。まずはそれまで生きているかどうかが問題だが。

10月29日  「銀ブラ」は銀座をブラブラ散歩することではない。明治終わりに銀座にできた「カフェーパウリスタ」でブラジル・コーヒーを呑む、というのが本来の意味だ。喫茶店の初代オーナーの記念館がロンドリーナという街にある。そこを訪ねた時、そんな話を聞いた。数カ月前、ブラジル移民の「勝ち組事件」の小説『イッペーの花』を出版した。そして今月末、サンパウロにある邦字新聞「ニッケイ新聞」が連載した『一粒の米もし死なずば』という移民100年を記念したノンフィクションを刊行する。そんなわけで(どんなわけだ)何かしらの理由をつければブラジル出張も可能な〈環境〉は整っているのだが、行かない。行こうと思えば行けるのだが、行かない。灼熱のアマゾンよりは(ブラジルはこれから暑くなる季節)、寒風吹きすさぶ荒涼たる秋田の秋冬の山歩きのほうに魅かれてしまうからだ。

10月30日 紅葉の季節に毎年、秋田のローカル線に乗る。鳥海山ろく線、五能線、内陸線などだが、去年はひとりで悪戦苦闘していた時期と重なり、のんびりローカル線旅はかなわなかった。昨日、2年ぶりに鳥海山ろく線に乗ってきた。羽後本荘市では学生時代から知り合いの喫茶店を訪ね、好きな矢島の町もじっくり散策してきた。矢島ではいたるところに辻原登文化講演会のポスターが貼ってあった。彼の「遊動亭円木」という小説は矢島が舞台だったことを思い出した。なんだか急に車中で読みたくなり、町のいたるところで本を探したが見つからなかった。本屋さんでもないのだから、講演会を聴きに行く人たちは本を読まずに行くつもりなのだろうか。旅先で急に本が読みたくなっても都合よく在庫のある本屋さんなんてない。賛否あろうともアマゾンの力の偉大さを実感。帰ってアマゾンをチェックしたら文春文庫は絶版、ユーズドで在庫があった。

10月31日 Sシェフから「男鹿でタコを採った」との連絡。急きょ事務所宴会。A長老も参戦し、タコぶつにタコメシを堪能。数時間前に生きていたタコを、塩でぬめりを取り、ほうじ茶で煮て、とびっきり新鮮なうちに食べるのだからまずいわけはない。米もこまちの新米。酒はA酒店から「めったに手に入らないので」と送られてきた新政「やまユ」。ほとんどワインのようでスルスルと泡のように消えてしまった。次は刈穂の「ヤマト」で、これもなんだか似たような名前で紛らわしいが、こちらの1升ビンも秋の夜長にグングンと減り続けた。事務所宴会の鉄則は後片付けも自分たちでやること。だからベロベロまで酔う人はいない。「来たときよりもきれいに」が合言葉だ。宴会の気配をすっかり消し、お開きになる。宴会をひらけば開くほど事務所はきれいになっていく、という仕掛けだ。いや、これは本当の話です。
(あ)

No.719

徳川家に伝わる徳川四百年の内緒話
(文春文庫)
徳川宗英

 駅のキヨスクで売っているような文庫本である。事実、旅先のキヨスクで買ったものだ。書名もサラリーマンたちを相手にしたビジネス本の類だし、流行りの江戸のうんちく話と勘違いして読みはじめた。読んでみると確かにうんちく話満載本だが、内容が上滑りのない、骨のある話が多い。それも当然、著者自身が徳川御三卿・田安徳川家の第十一代当主である。徳川家の恥ずかしいエピソード、ひどい先祖たちの話もちゃんと裏付けをとりながら、おもしろおかしく記述している。歴史の本にして親類たちの随想集でもある。本書の基底の部分には、「徳川って、そんな大したもんじゃない」という、近親者としての距離感があるのだ。御三家というのは御存知のように初代・家康が子どもたちのために封じた大名のことである。では御三卿とは何なのか。本書を読むまで知らなかったのだが、八代将軍・吉宗が自分の権力保持のためにだけつくりだした権力機構だ。この時代から突然、清水家、一橋家、田安家という徳川譜代の大名が登場することになったのである。もちろん御三家、御三卿に参勤交代はない。本書の一番のびっくりは、徳川の本来の名前は旧字の「コ川」だということだろう。本のカバーの著名も、ちゃんとこの旧字になっている。新字の徳に横棒が一本入るのが正しいのだ。といっても著者は旧字にこだわっているわけではない。どっちでもいい、というのだからおおらかだ。もともと元祖・家康の本名は「松平元信」。それが三河守護職を朝廷に願い出たとき「松平などという胡散臭い奴」といわれて「徳川」に改めた経緯がある。このあたりの親族への嘆き節が、本書にいい味を出している。

このページの初めに戻る↑


backnumber
●vol.723 10月4日号  ●vol.724 10月11日号  ●vol.725 10月18日号  ●vol.726 10月25日号 
上記以前の号はアドレス欄のURLの数字部分を直接ご変更下さい。

Topへ