Vol.729 14年11月15日 週刊あんばい一本勝負 No.721


忘年会まで2キロ体重を落とすぞ

11月8日 昼から湯沢へ。両親の墓参り。同級生の喫茶店で同級会の顛末を聞き、、十文字のリンゴ園へ。ここで打ち合せを済まし高速で帰ってきた。事務仕事を片付けて、夕方からSシェフと会食。「和食みなみ」はもう20年以上通い続けている小料理屋で、白シメジの土瓶蒸しがおいしかった。家への帰途、突然、魔がさした。タクシーに乗り、「川反へ」と口走ってしまった。理由はよくわからない。理性が飛んだ。なじみのバーに顔を出し、旧知のママさんの店をを訪ね、タガがゆるんだ、じゃなくてタガが完全に外れた。結局帰宅は午前様。よく覚えていないが財布に万札が数枚入っていたはずだが、タクシー代を払うのがギリギリのお金しか残っていなかった。どこでどのように使ったのか、よく覚えていない。年に1回、こんなことがある。健康診断が終わって油断する時期が多い。普段あまり人と会話をしないので、酒場では誰彼となく話しかけ、酒の力を借り饒舌になる。自己嫌悪はまちがいなく1週間は続く。

11月9日 なにもない土曜日。結局は昨日の「泥酔の金曜日」から、こんこんと眠り続け(二日酔いで)、ベッドからはいずりだしたのは夕方近く。なにも食べず、トイレに1回起きただけで、ずっとベッドの中。苦し紛れに風呂に入るが酒は抜けない。熱いうどんをすすって、もう1度風呂に入りなおしたら少し気分がよくなってきた。昨夜は4,5軒の店をはしごした(ようだ)。呑んだお酒はほとんどウイスキー。これだけは覚えている。今日は何もする気がしない。明日は山歩き。その準備をして、起きてからまだ5時間もたっていないのに、またベッドにもぐりこむ。そして熟睡。人間の身体のメカニズムは複雑怪奇だ。前日(というか当日)あんなに寝たのに、ちゃんと睡魔が襲ってくるのだ。24時間、ほとんど寝ていたのに等しい土曜日。いやはや。

11月10日 気分よく目覚めて八郎潟町の高岳山へ。浦城跡も見学し、なべっこ遠足、野点までやる盛りだくさんの内容だ。普段はあまり食べたことのない「だまこ鍋」が新鮮で美味しかった。驚いたのは野点。掛け軸(軸もの)や花入れまで準備した本格的なもの。お茶の師範代代理補佐・F女史の並々ならぬ意気込みが感じられた。軸の色紙はなんと会津八一だ。「おほてらの まろきはしらのつきかげを つちにふみつつ ものをこそおもへ」と格調高い。まさか本物の色紙じゃないよね。本物だったら、だまこ鍋を食って「腹折だられね」などとほざいている場合ではない。いやいや、けっこうなお手前でした。抒情豊かなこの日の山行を詠んだA長老の苦(いや句です)も送られてきた。「浦城に つわものどもの 色落ち葉」。お粗末でした。

11月11日 広告業界やマーケッティングの世界でよく使われる「島宇宙」という言葉は、うまいいネーミングだ。バブル以降、日本では大きな広告(網)を打っても魚がゴッソリとれることはなくなった。興味対象が細分化し、拡散し、島のように点在化してしまった。網にかからない獲物のほうが多くなってしまった。要するに広告効果がなくなったわけだ。逆にネットなどでも実証されたように、手漕ぎ舟で魚のいそうな場所に当たりをつけて小さな網を仕掛けるほうが広告効率ははるかにいい。こうした現象を消費者の「島宇宙化」という。地元紙や大新聞に広告を打つ側としては、たしかに「島宇宙化」という現象は実感として理解できる。かといって自分で舟を漕ぎだす体力も魚群を探知する能力もない。大金をかけて広告をうっても効果がないと敗北感は半端ない。

11月12日 NHK―FMを聴いていたら「音楽遊覧飛行」のナレーターが「中川安奈でした」。ビックリ仰天。中川さんは先日若くして(49歳)亡くなったばかりの女優だ。死んだ人がどうしてデスク・ジョッキーをやるの? 再放送だった。突然の死で代役も変更も出来なかったためのようだ。いやァ、驚いた。中川安奈さんは舞台女優。その世界ではエリートというかサラブレッドというか、ちょっと信じられない経歴の持ち主だ。なにせ父方の祖父が画家・中川一政、母方の祖父が演出家の千田是也。旦那さんは日本を代表する演出家・栗山民也、ご本人も相当の美人である。美人薄命とはよく言ったものだ。しかしこんな経歴って逆に生きづらかったのではないかなあ、と余計な心配をしたくなる。ご冥福を。

11月13日 連日の雨。寒い。いよいよ来たなあ、冬。セーターが必要な季節だが、ここ数年ジャケット着用を自らに課している。フリーランスの万年シャチョーだから服装は何だっていい。誰も咎めない。失礼にあたるような来客もいない。いないのだが、こんなときこそ逆に自分を律するほうがいい。経験的にそう思う。年をとると若い時は似合っていたカジュアルな服装も、だらしなく貧相にみえる。似合っていると思っているのは自分だけ、という悲惨な状況になる。リラックスできる環境では緊張感、フォーマルな時はカジュアルに、といった程度がちょうどいい。加齢というのは思っている以上に相手にインパクトを与える。着崩すとその印象が増殖し、ほとんどみじめになる。若づくりすると悲惨さに歯止めがかからない。若づくりファッションは誰も観ていない夜の散歩だけにした。

11月14日 ジリジリと体重が増えつつある。意を決して夕食を何度か抜いた。忘年会シーズンまで2キロは体重を落としたい。太るのがそんなに怖いの、とよく訊かれる。本当に怖い。これだけはデブだったものにしかわからない感覚かもしれない。父も祖父も体格がよかった。遺伝的に太っておかしくない家系だが、弟2人はきれいにスリムだ。節制が身についているのだ。私だけが節制できず親父似のデブになった。母親が亡くなる直前、ダイエットした私を見て泣いた。父親のようにならなくてうれしい、という涙だった。太っていると日常生活でのストレスとプレッシャーは半端ない。健康はもちろんファッションもスポーツ、日常のコミュニケーションにも負担がのしかかってくる。これは体験した者にしかわからない。ダイエットしてみると、その居心地の良さ、快適さに、「負荷」の大きさを知ることになる。身が軽いというのは何にも代えがたい「宝」だ。
(あ)

No.721

写真集 島の美容室
(ボーダーインク)
福岡耕造

 沖縄の渡名喜島は人口わずか4百人の小さな島。その島に茨城県から通い続けている美容師がいる。彼は美容院のないこの島で月に10日間だけ出張美容院をあける。そこに通う島の人々を長野生まれのウチナンチュウーである写真家が撮った写真集である。島の人たちの表情がいい。それは予想していたことだが、何よりもいいのは写真のテーマというか企画コンセプトだ。美容院のない島というあたりに着目した写真家の着眼点はさすが。これだけでなによりのアドヴァンテージだ。が、ちょっと目算が狂った。島民の表情が活写されているのはいいのだが島に通うもう一人の主人公である美容師「福田さん」の存在がきわめて薄いのだ。福田さんが来るようになるまでは、わざわざ那覇まで髪をかりに行っていた島民たち。そこに突然やってきた福田さん。この交流こそが写真集の重要なテーマではないのか。その肝心の隠れ主人公・福田さんはキャプションにモノローグで登場するだけで、最後まで名前すら明らかにされていない。これはヘン。島民と美容師・福田さんの交流こそがテーマになるべきなのに、そこまで踏み込めないまま写真集は終わってしまう。テーマが素晴らしかっただけに「未消化」の恨みが残った。こんなコンセプトの本をいつが自分も作ってみたい。そう思わせるほど企画力は見事だったが、対象に踏み込む力が少し弱かったかな。

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