Vol.725 14年10月18日 週刊あんばい一本勝負 No.717


平日まで山に登っている

10月11日 お米は朝ごはんのときだけしか食べない。その朝ごはんが、新米のおかげで待ち遠しい。何も言われなくても、「あっ今日から新米だ」とわかるほど、新米は味が違う。うちの新米はもう何年も到来物。買ったことがないのだ。送ってくださるのは横手の農家Mさんのお米。Mさんの「あきたこまち」がこの時期に届くとカミさんの機嫌もいい。Mさんは農家だが県内では有名なA酒造の杜氏でもある。夏田冬蔵なのである。新米と共にこの時期は日本酒が美味しくなる。1年を通じて日本酒もMさんの造ったお酒を呑む機会が多い。酒も米もMさん頼みなのだ。この酒も自分で選ぶわけではない。お酒のことは神宮寺のA酒店にお任せしている。Aさんが選んでくれたお酒を「信頼して」呑んでいるだけ。そのお酒の9割がA酒造のものなのだ。米と酒をありがたく頂ければ、これ以上の幸せなことはない。

10月12日 3連休は仕事だ。日曜日に山歩きの予定がないと、なんだか時間がたっぷりある感じ。昨日も一日パソコンの前に垂れこめていた。昔から休日に机の前に向かっていると不思議と心が落ち着く。仕事もはかどる。こんな天気がいいのに、なんてグチは出てこない。誰からも給料をもらえない、自分で稼ぐしかない職業を選んだせいだろう。人が休んでいる時こそ働いて努力すれば、「普通の暮らし」に近づける、と心底思っているのだ。その習性は一朝一夕に身体から抜けない。そんなわけで3日間、わき目も振らず仕事、仕事、仕事。モモヒキーズのメンバーは大仏岳か。ちょっぴり行きたかったけど、いやいや、うらやましくなんかない。

10月13日 事務所の外壁からようやく足場が撤去。全面的屋根ふき作業の予定だったが、職人たちがいつ来て、いつ作業したのか、ついに一度も見ることなく終了。こちらが外をほっつき歩いていたせいだ。どうやら、葺き替えと言うより「屋根のリペア再塗装」といった程度だったようだ。なんだかあっけない。まあ何はともあれ台風19号前に工事が終わったのはラッキーだ。数年前から、台風で屋根を吹き飛ばしてしまう恐怖がトラウマになっていた。周辺が田んぼで、暴風の通り道になっていた。風の「雄叫び」が尋常ではなかったのだ。この雄叫びが最近聞こえなくなった。田んぼに次々と建物が建ち、そこにさえぎられて雄叫びが大人しくなったのだ。敷地内にある2階建のプレハブ倉庫は築10年以上のボロ。この建物だけはいまも少しの風でも大げさな悲鳴を上げる。来年はこの倉庫を平屋に建て替える予定。

10月14日 台風19号は「拍子抜け」するほどあっさり秋田を通過。過剰な心配をして損をした。とはいっても各地で甚大な被害をまき散らしたようだ。これから雪の季節、私たちには「毎日台風」みたい季節がはじまる。年々、自然が凶暴さを増している現実と向き合わなければならない。去年の冬も「例年にない大雪情報」に振り回された。自然災害はなるべく思い出したくない。脳内で素早く「なかったこと」にしてしまう傾向がある。心身に刻み込むと荷が重くなるからだろう。すぐに忘れてしまうのは悪い癖だ。昨日は台風に閉じ込められてしまうことを想定し、DVD映画を五本も借りて準備万端。60年代の若大将や森繁の社長シリーズだ。映画の中の当時の暮らしのつつましやかさには、いつも驚いてしまう。70年代から80年にかけ日本人のライフスタイルは飛躍的、急激に変化した。そのことが映像からひしひしと伝わってくる。

10月15日 出版業界からは毎日のように悲鳴のような声ばかり聞こえてくる。そんなご時世だが、手元に地方出版といわれる版元から出た「すごい本」が2冊ある。どちらも今年になって出た本で、私にとっては「希望の出版」だ。札幌・寿郎社から出た『北の想像力』はA5版790頁(!)、定価8千円。装丁は平野甲賀で、本の威圧感が半端ではない。まさに「本の中の本」という存在感。もう1冊は那覇・ボーダーインクの『島の美容室』。人口4百人の沖縄・渡名喜島の、月に10日間だけあいている美容院を撮った写真集。こちらは正反対の脱力系で、寝床で毎晩くすくす笑いながら眺めている。この写真集を映画にしたらおもしろいだろうな。超ローカルなほのぼの写真集には無限の未来を感じる。

10月16日 週末に何かと予定が入って山歩きに行けない。そのぶん、週日に休みを取り山行している。先週は火曜日に鳥海山湯ノ台コースを登った。昨日(水曜日)は鶴の湯温泉から小白森・大白森に。平日まで山歩きか、と叱られそうだが紅葉シーズンは待ってくれない。一刻をあらそうのだナンチャッテ。昨日の紅葉も、天気に恵まれ言葉も出ないほどの美しさだった。山頂の平原で雲ひとつない青空を見上げながら、しばしお昼寝。贅沢な経験だった。これからタケノコシーズン、そうなるとここは平日でも大混雑する山なのに、平日は若い女性登山者ひとりと出会ったきり。静かで燃えるような派手な山を目に焼き付けきた。今年はもう1度くらいは紅葉を拝みたいものだ。

10月17日 料理ミステリーというジャンルがある。近藤史恵著『タルト・タタンの夢』(創元推理文庫)でそのことを知った。タルト・タタンというのはリンゴを砂糖とバターで煮てオーブンで焼いたフランス菓子。本を読了後、今度はDVDで『武士の献立』という映画。こちらは加賀・前田藩の料理侍を描いたお家騒動もの。食い物関係の本や映画が好きなんです。映画を見終わってテレビをつけたら、先日台風で延期になっていたNHK『プロフェッショナルの仕事』。料理研究家・栗原はるみを取り上げていた。内容は「タルト・タタン」を誰もが簡単に作れるレシピに、と悪戦苦闘する栗原の姿を追ったもの。わたくし、この栗原さんのファン。それはともかく1日の半分をタルト・タタンという耳新しい言葉と付き合わされ身体にしみ込んでしまった。しみこんだが、なにせ高カロリー菓子、食べる機会はなさそうだ。
(あ)

No.717

浮浪児1945−
(新潮社)
石井光太

 著者は1977年生まれ(昭和52年生)。戦争を知らない子ども世代、というか彼の親ですらたぶん戦争を知らない世代である。これまで世界各国のストリートチルドリンを取材してきた経験がある人だ。注目の新人ノンフィクションライターだが、これがはじめて読む著作。「浮浪児」という切り口から東京空襲、終戦、闇市といった「戦争」を切り取ったもので、その着眼点のセンスが素晴らしい。これまで数限りない戦争もののノンフィクションが書かれてきたが、浮浪児一点にスポットをあてたものは数えるほどしかない。断言できるのは、小生も、戦後の混乱の中でアメリカ兵と日本人女性(パンパンと呼ばれた)のあいだに生れた「混血孤児」の取材を長くした経験があるからだ。著者は5年の歳月をかけ元浮浪児たちの証言を集めている。あの焼け野原の時代を描くことだけでも重労働なのに、証言者たちの現在までを結んだところが本書のすごさだ。カバーには日本人なら一度は目にしたことのある写真が使われている。坊主頭のぼろ着を着た少年が路上でタバコを吸っている写真だ。終戦直後の浮浪児の姿といえば、この写真をおいてほかはない。沢木耕太郎や佐野眞一なら、何をさておいてもこの写真の人物の所在を徹底的に追うだろう。それだけで1冊の本ができる。本書はそういう展開にはならず、真面目に証言者たちの聞き書きを積み上げていく。いわば古典的な手法で「消された歴史」に光を当てている。上野になぜ孤児たちは集中したのか。突然姿を消したのはなぜなのか。闇市、浄化作戦、列島放浪、孤児院……知らないことばかりだった。

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