Vol.726 14年10月25日 週刊あんばい一本勝負 No.718


1週間って、ホント、いろいろあるよなあ。

10月18日 食害などに苦しむ他県の人には理解できないかもしれないが、死ぬまで一度でいいから県内で野生のシカを見てみたい、と思っている。でも無理だろうな、というのも正直な心情でもあった。10年程前、「八幡平の山中で岩手から越境してきたシカらしきものを見た」という友人の目撃証言を聞いて胸高鳴った。それから300回以上山に登っている。クマにもオコジョにもマムシにも遭遇したのに、シカにだけは出遭えない。県内では絶滅して久しいから秋田県民の誰もが「見たことのない幻の動物」なのである。それが最近、白神や県内各地で目撃情報があいつぎ、ついに先月、鳥海山中島台でも県道で発見。もう疑いようはない。秋田にもかなりの数のシカが生息している。これからはシカと遭遇するのは時間の問題なのだ。温暖化で雪が少なくなり、マタギは不在、天敵オオカミは絶滅。やつらの天国だ。秋田県産のシカ肉も食べてみたい。

10月19日 八幡平・焼山登山。登山口に向かう途中、見事な紅葉に見とれていたら、先行車が突然急ブレーキ。道路脇でニホンジカと遭遇したという。あわてて森に目を凝らすが痕跡なし。先行車3人全員が目撃したというが信じたくない。口裏を合わせているのではないのか。悔しい。昨日のこの欄に書いたばかりのタイミングではないか。痛恨の失態だ。閑話休題。下山後の温泉は玉川温泉。ここは初めてはいる温泉だ。何も知らずに100%源泉の風呂に飛び込んでしまった。手足の小さな傷に塩をすり込まれたような激痛。あわてて湯船を飛び出したが遅かった。ひりひりじくじく身体が悲鳴を上げはじめ、薄めのお湯に入っても傷口はますます痛みだし着替えるのも苦痛なほど。強酸性泉が身体にしみ込んで寝るまで痛みがとれなかった。無知ゆえとはいえ痛恨の極み。いやはや。

10月20日 先日、フラリと鶴岡に行ってきた。目的は山形の画家・今井繁三郎の美術収蔵館を観るため。この収蔵館、この11月に資金難で休館する。途中の酒田で土門拳美術館の「藤田嗣治写真展」も観てきた。土門が藤田を撮っていたのは知っていたが、あのパリに旅立つ飛行機のタラップで手を振る写真が土門撮影とは知らなかった。収蔵館では今井の長女という方がいろいろとガイドしてくれた。戦争中は戦争画の縁で藤田と親交があり、西目町に疎開していた福田豊四郎とはしょっちゅう行き来する仲だったそうだ。秋田に帰るには時間があったので少し足を延ばして松ヶ岡開墾場を見学、そこからさらに庄内映画村へ。同じ鶴岡といっても遠い、遠い。映画村のオープンセットは想像していたよりもリアルでだだっ広かった。1周5キロあるセット内を1時間ほどで回ってきた。農村や漁村、宿場町のセットは、なんだか本当に時代劇の世界に迷い込んだみたいでゾクゾク。

10月21日 毎日何らかの打ち合わせや行事、接待や県内出張などが切れ目なく続く。というのはありそうで実はほとんどない。けっこうヒマなのだ田舎の出版社は。ところが今週はそんなあり得ない珍しい「週」になりそう。まずはしょっぱなは税理士から出来たばかりの決算報告を受ける。モモヒキーズの「新蕎麦の会」が事務所で開かれる。著作権をめぐって対立している人たちに仲介を頼まれ県南に出張。東京の雑誌社が「地方出版の特集」取材で来舎する。週末は友人たちとの飲み会があり、その翌日は年1回の健診ドッグだ。というわけで今週の日曜山歩きはキャンセル。いつもはヒマだから、たまにはこんな週があってもいい。

10月22日  年1回のモモヒキーズの「新蕎麦の会」は、各自自慢料理持ち込みで昨夜、無明舎2階で。メインの蕎麦はSシェフの手打ち。舎内宴会はその前後の準備が大変だが、会を重ねるうちコツのようなものがわかってきた。昨夜は持ち込まれた料理、そば、酒がきれいに完売。準備も後片付けも送迎体制も完ぺきで、笑いの絶えない満足度の高い「宴会」になった。宴会ごときで、こんなに自慢していては笑われるかもしれないが、ホストというのは準備も気遣いもけっこう大変で、ヘトヘトになる。それが昨夜は全員の満足度が高かったせいか、翌日の疲労感がほとんどない。2カ月に1回ぐらいはこんな宴会を、という声もあったが、それはちょっと無理ッス。年に3回といったあたりが妥当かな。いずれにしても料理や段取りを仕切るSシェフの気持ひとつ。私に偉そうなことは言えないのだが。

10月23日 小さくしか報じられていないので知らない人も多いと思う。本を裁断、スキャンして電子書籍化する「自炊」代行ビジネスなるものがある。これは著作権違反と浅田次郎さんら作家が訴えていた控訴審で、知財高裁は「著作権侵害」を認める判決。当然だろう。アマゾンで買ったユーズド(古本)に、この手の裁断、スキャン後のバラバラになった紙の束(もはや本とは呼べない)が送られてきたことがあった。その後、アマゾンの購入画面に「スキャン済」などと明記された本が堂々と売られるようなった。これからはこんなこともできないことになる。これまた当然だが、問題の本質はそうしたところではない。「本」もまた他のネット情報と等しく「無料化の海」に漕ぎ出すべきだ、という「見えざる社会の手(欲望)」がこの自炊行為から透けて見える。バラバラに裁断することで本は細分化された情報の「切れ端」に変化する。こんなきれっぱしなら「タダ」でもいいでしょう、という発想が怖いのだ。こういったこととも闘っていくのは正直しんどいなあ。
(あ)

No.718

目でみることば
(東京書籍)
おかべたかし・絵 山出高士・写真

 最近、新聞の出版広告を見ても「本当にこれ出したかった本なの?」と首をかしげたくなるものが多い。新聞の出版広告や書評は読みたい本を探すための大切なガイダンスだが、もうひとつ、自分の本業である出版企画の参考になりそうな本を探す目的もある。だから本書を新聞広告で発見したとき、「これは使える」と職業的な勘が働いた。普段使っている日常の言葉を、その由来を訪ね、言葉の語源となったものや風景を撮った写真集である。これはたぶん編集者が造りたくてたまらず造ってしまった本、と直感した。編集者や著者の強い意思が伝わってくる。「灯台下暗し」にはロウソク台とその台下の影が鮮明に写っていて、「海にある灯台ではありません」のコピー。「玉虫色」の玉虫の羽色も初めて見た。こんな色だったのか。「あこぎなやつ」の阿漕が地名だなんて知らなかったし、「瀬戸際」は航空写真でなければ撮影が難しく掲載を断念。「ルビコン川を渡る」も海外取材が必要なため無理でした、と正直に文章で申告している。収録した40の言葉すべてをカメラマンが現地入りして撮影している。続編も出ているようだ。掛け値なしに中学生から大人まで楽しめる「言葉の絵本」と言ってもいい。表紙は青空に羽を広げたような干しタコの写真。コピーは「私が〈引っ張りだこ〉です」。語源を探しながら、現場まで出かけ、見て、触れる。これは最近のブームのようで(本書が嚆矢?)、「地団駄は島根で踏め」(光文社新書)という本も出ている。

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