Vol.724 14年10月11日 週刊あんばい一本勝負 No.716


本の斜陽化は加速している

10月4日 旅から帰ってきたとたん、鼻水が止まらない。頭もボーっとしている。風邪をひいたようだ。東京は残暑が厳しく、ホテルではクーラーをつけっぱなしで寝てしまった。あれが悪かったのだろうか。3日後には大阪の友人たちと鳥海山に登る約束をしている。いまのままではピンチだ。栄養剤を呑んで安静にしているほかない。夜の8時には寝床に。大量の寝汗をかくが眠られない。旅先のキヨスクで買った小手鞠るい『望月青果店』を読みはじめたら、やめられなくなった。バリバリの恋愛小説。結局おもしろく読了。読み終わったら身体が火照っていた。これは風邪のため、それとも読後のコ―フン状態、よくわからない。いやいや、こんなことをしている場合ではない。早く治さなくちゃ。

10月5日 2日間ずっと安静にしていたおかげか、どうやら「普通」の体調にまで戻った。「普通」と言いきっていいかどうかは、まだ数日様子を見ないとわからない。こんな状態だが、明後日は鳥海山に登る予定。どうにかキャンセルする事態は免れた。鳥海山には大阪から2組の夫婦が遊びに来て一緒に登るのだが、いつものメンバーと違った人と登る山もこれがなかなか面白い。知らなかったことと出合えたり、地域的風習の違いを痛感したり、あり得ない価値観が衝突したり、いつも新鮮な驚きがいっぱいだ。この人たちと3日間行動を共にする。昔はこう見えて、けっこう人見知りだった。最近は積極的に知らない人たちと交流するのが楽しくなってきた。年の功というやつだろう。余計な自意識が抜けてきたのかもしれない。まずは今日1日、じっくり休養して「本物の普通」に体調を戻すことだ。

10月6日 歯医者に罹らなくなったのはダイエットのせい、と先日書いたばかりだが、これはどうやら違っていた。ダイエットのため昼は炭水化物をやめリンゴを食べているのだが、このリンゴが歯の健康にいいらしいのだ。リンゴは「歯磨きいらず・医者いらず」とまで言われている。確かにリンゴを食べはじめてから歯医者に行っていないから、説得力がある。食用リンゴのルーツがアメリカ移住のメイフラワー号というのも初めて知った。リンゴはバラ科の果実。イチゴやスイカは野菜だ。本来、木に成るのが果物、草からできるのが野菜。だからトマトも野菜だ。「桃栗三年、柿八年、ゆずの大馬鹿一五年」という格言もある。これらはすべて小手鞠るい『望月青果店』という小説からの受け売り。イチゴの実は、あの表面についている小さなツブツブで、赤い美味しい部分は花の付け根が太ったもの。そうか花の付け根をかじってたんだ,。

10月7日 鳥海山の湯ノ台道(滝ノ小屋登山口)から七高山へ。山形県遊佐町側から見る鳥海山南面は、秋田県側から見るいつもの鳥海山とはまるで違っていた。荒々しく、景観は雄大で、庄内平野や日本海が一望でき、紅葉がまっ盛りだった。朝8時という遅いスタートだったので山頂までの4時間、ほとんど休みを取らずに登り切った。そして暗くなる前の夕方5時、やっとのことで下山した。危ないところだった。ずっと石の道なので行きはよいよい帰りは恐い。特に下山時の足腰への負担はかなりのもの。まあ、いつどんなコースを登っても「楽な」鳥海山というのは、ありえない。近辺の山では最もきつくてしんどく難しい山なのだが、年間で最も多く登る山でもある。懐が深く、自然が複雑で、山の楽しみと苦しみをたっぷり味わわせてくれる魅力があるからだ。今年になってからでも鳥海山は6回登っている。「好き」と言えるようなレヴェルの登山者ではないが、やはり年に数回はいろんなコースからこの山に登らないと消化不要をおこしてしまう。

10月8日 昨日の鳥海山に続いて今日は月山のトレッキングを計画していたのだがキャンセル。左足親指の爪の下に内出血があり昨日の下山途中から痛みだした。今日は1日ホテルで休むことに。酒田のR&Gホテルは常宿。フロントで不慮の事故で山がキャンセルになった旨を説明すると、朝9時前なのににチャックインをOKしてくれた。そんなわけで昼に近くの「香雅」でワンタンメンを食べただけで、夜の「打ち上げ飲み会」まで、ずっとホテルで1日を過ごした。常宿を持っていて本当に助かった。ビジネスホテルだとこうはいかなかったろう。ここのホテルは朝昼夜の3食ともバイキング。その気になれば3食ともホテルで取ることが可能だ。すべての部屋には、今回一緒に山に行ってくれた酒田在住のSカメラマンの鳥海山ろくの作品が壁に飾られている。これも気分がいい。月山は行けなかったが、思わずいい休日を過ごせた気分だ。 

10月9日 皆既月食は酒田の街でホテルの周辺を散歩しながら、たっぷり堪能。お月さんをこんなにじっくり見たのは実は生まれてはじめてだ。酒田の土門拳美術館では「藤田嗣治写真展」を開催中なのだが、これは時間がなくて行けなかった。残念。最近は自動車でなく電車で秋田―酒田間を移動することが多い。「いなほ」に乗ればあっという間に着いてしまうから、車時代よりも酒田は近くなった印象だ。いや個人的にはもう自分の県(圏)内という意識のほうが強い。今年はもう数回、酒田行きを予定している。

10月10日 このところずっと東京や仙台、酒田など旅行ばかり。言い訳するわけではないが、ヒマなわけではない。今月は3点ほどの新刊が出るのだが、実はさまざまな理由で遅れている。イライラしながら待つよりは、と外に出て精神の安定をはかっている。で、外に出ると足はどうしても書店や印刷関係者、取次など仕事先に向かう。そこで感じるのは、ここにきてものすごい勢いで「本の斜陽化」が加速している、という他人事のような印象だ。本棚の荒れ具合や、現場で働く人たちの活気のなさ。人材も枯渇寸前のようで、魅力的なコンテンツ(本)はどこを見回しても出てこない。ちょっと断末魔に似た空気さえ現場からは漂っている。本気でやばいなあこれはと思っているのだが、私にできることなど限られている。こんな時代に家賃や人件費を払い、印刷所や銀行に借金を抱え、本を作っていくのは不可能に近いのではないだろうか。……気分転換のつもりで外に出て、けっきょくは暗澹たる現実に打ちひしがれて帰ってくる。
(あ)

No.716

父の戒名をつけてみました
(中央公論新社)
朝山実

 あれ、最近なんだか中央公論新社の本を読む機会が増えているなあ。そうか中公新書って名著が多いもんなあ。この新書のイメージもあるからかなあ。本書は亡くなった父親の死去に伴って生じた親族や住職とのトラブルを実体験ルポしたもの。著者の名前は週刊誌などの人物ルポでよく見かける人だ。年をとったからと言って葬儀に出る機会が増えた、というわけでもない。何やかや理由をつけては葬儀は欠礼してしまうのだが、静かになってからよく線香をあげに行く。好き嫌いで判断すべきことではないが、寺や就職の在り方に以前から疑問を感じていた。不信感といってもいい。一部のお坊さんだけなのかもしれないがロレックスに外車、ゴルフ話に下卑た笑い、意味のない法話にイヤイヤ読経という、ほとんど漫画のような世界だを実際に何人も見てきた。身の回りに本当に何人もこんな坊主がいるのである。戒名なんてお前にだけはつけてほしくない。著者は父の戒名を自分で勉強してつけようとする。そこから物語は動き出す。住職から「人のビジネスに立ちいるな」と恫喝を受けるのである。面白い本だったが、現実はもっと進んでいるような気もする。参考文献には「一言解説」までついていて便利だ。もっと宗教の勉強をしなければ。橋爪大三郎さんの本がいい感じだ。

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