Vol.722 14年9月27日 週刊あんばい一本勝負 No.714


いつかこの壁を超えたい

9月20日 酒田市で電気自動車を見かけた。小型タクシーである。秋田市では見たことがない。そういえばスーパーのレジ袋も10年も前から酒田のスーパーでは有料だった。秋田市では最近ようやく買い物袋持参で2円を引いてくれるようになった。県が違えばこうも違うものか。それはそうと、新入社員は週末になると車でどこかに出かける。私は車なしの週末生活を余議なくされる。もともと市内は徒歩で用事を済ませるので不便はないが、週末の山歩きが困る。車がないので山仲間に送迎を頼むことになったので、ちょっと迷惑をかけているのだが、基本的には車がなくて困ることはない。バスを使うのにも慣れたがバス代ってけっこう高いのに驚いた。タクシーはめったに乗らない。必要な時に走っていないし、不快なマナーの運転手も少なくない。歩くのが一番なのだが、ルール違反の軽自動車が最近はめっぽう多い。高齢の婦人が運転しているケースが圧倒的だ。自転車がわりなのだ。その唯我独尊ぶりには本当に腹が立つが、文句を言うとヤクザ並の恫喝を受けそうで怖い。

9月21日 HPトップ写真は福島県桑折町です。奥州街道と羽州街道の追分。奥州の最終地点は青森・三厩、羽州は同じく青森の油川。秋田や庄内の武士は羽州街道を使って参勤交代をしました。奥州街道の伊達領を通るのがいやだったからと言われていますが、本当かなあ。この羽州街道を仕事の合間2年をかけて歩き通した女性がいました。友人なのですが、この写真は彼女と一緒にこの周辺を歩いた時のもの。懐かしい。昨夜は東京から来た友人夫婦と痛飲。久しぶりに大はしゃぎ、しゃべり通しで、ちょっぴり二日酔い。いい気分の日曜日です。本当は高松岳に登る予定だったのですが、この二日酔いを想定し事前キャンセル、この判断は正解だったようです。

9月22日 先日の「やぶの不快な山」真瀬岳を踏破、秋田県内の57座を全部に登った。今夜、その全踏破を祝ってもらう飲み会がある。自分が主役になる会なんてめったにない。幼少期から勉強でもスポーツでも「表彰」なんてされたことがほとんどない。出版をはじめてからもナントカ賞とはほぼ無縁の人生。だからちょっぴり晴れがましく心浮き立つ気分。ところでこの「57」という数字だが、これは山と渓谷社が出しているガイド本『秋田県の山』に掲載されている山の数だ。山のガイド本はうちでもいろいろ出しているから、他社が勝手に決めた意味のない数字なのだが、まあそんなことはいい。調子に乗って周辺の友人たちにも「祝う会」を開いてくれるよう「強要」しているのだが、ある人から「ゴルフのホールインワンは記録達成した本人がパーティーをひらいて仲間をもてなす。記録達成祝いはそれが筋」と諭された。とんだヤブヘビだった。

9月23日 真っ暗な田んぼを散歩していたら背後から立て続けに爆竹音。振り返るとはるかかなたで花火がうちあがっていた。秋の花火だ。ぬるい夏の夜の湿っぽい花火ではない。冴え冴えとした冷気の中の「凄み」さえ感じる美しい花火だった。毎年、この時期、青森の印刷所から嶽キミ(とうもろこし)が届く。今年は粒が小さく味もイマイチだった。雨が長くて生育不良だそうだ。別の品種のよく育ったほうを送ろうと思ったが、そちらはクマに食われて壊滅状態とのこと。今年はブナもドングリも不作なのでクマは所構わず仔連れで人里に出てくる。わが愛するとうもろこしにまでクマの被害が及んでいるとは知らなかった。

9月24日 1泊2日の庄内旅行。いろんな目的があったが、その一つが羽黒町にある『今井繁三郎美術収蔵館』に行くこと。以前も訪ねたことがあったのだが、ここは親族が維持管理している「民営」の美術館なので祝・休日のみの開館、入れなかった。今回は事前に電話してから行こうと思い、ホテルで山形新聞をひらいたら、「25年の歴史に幕」という当の収蔵館閉館がトップ記事。オイオイ、いくらなんでも訪ねた当日の新聞に休館の記事って、そんなタイミングあるの。 ガックリきて、禁断のやけ食いに走ってしまった。夜は「こう勢」で寿司と「香雅」の広東麺、翌朝はホテルの野菜バイキング、昼は大松庵の蕎麦、といった具合だ。もう一つの目的であった酒田市立資料館の「吉野弘追悼展」(詩人です)はじっくりと観てきた。来月からは土門拳記念館で藤田嗣治を撮った土門の写真展もある。また行かなくっちゃ。庄内の文化度はかなり高い。勉強になる企画展がいつもいっぱいで、うらやましい。

9月25日 HP用の面白い企画を思いついた。難しそうなプログラムが必要になるのでシステム管理をしてもらっている弟に連絡すると、「前回と同じようなものなら大丈夫」と言う返事。前回と同じ? 前回も同じような企画をやっていたってこと? 履歴で確認すると確かに同じような企画をすでにやっていた。が、その記憶がない。履歴を見ても何の記憶もないのだから、これは重症だ。しぶしぶ前回の企画をかなりバージョンアップすることにした。いい訳をさせてもらえば当時は時期が早すぎた。そのためうまく機能せず読者からの反応もイマイチで、記憶に残ることもなく消えた。今回は違う。機が熟している。絶対に大丈夫と自分に言い聞かせるのだが、前回もこんなことを考えながら企画をアップしたような……もうどうでもいい。

9月25日 懐古趣味はまったくないが、この頃、ボンヤリとこれまで生きてきた半生を振り返ることが多くなった。仕事のモチベーションは「難しいことを易しく 易しいことを難しく」に尽きるのだが、これが人生となると、もうまるで藪の中。よくわからない。ましてや言葉にあらわすのは難しい。まあ人に誇れるような半生でないのは確かだが、むげに卑下しても虚しさが残るばかり。そもそもなぜ今、過去を振り返ろうとするのか。冷静に考えるに、昔のように企画がポンポンと出てこなくなったことに原因がありそうだ。これはある程度経験を積むと誰でも未来予想がたやすくなる。目新しいものが少なくなり、未知の領域に対してリスクヘッジも含めたシミュレーションが出来るようになる。この経験がネックになるのだ。そこを突破していかなければ新しいものは何も生まれない。わかっているのだが、これがなかなかハードな壁。ここを超えたいと切実に思っている。
(あ)

No.714

一路(上下巻)
(中央公論新社)
浅田次郎

 ずっと参勤交代のことが知りたいと思っていた。何冊か専門図書のようなものにも手を出したのだが、読み通すのが難しかった。たぶん歴史の基礎的な素養がこちらにないからだろう。やさしい言葉で書かれた参勤交代の本を探していたら、この長編小説に出合った。戊辰戦争も、東北の大凶作も、戦争中の暮らしも、中世の東北の山村の物語も、まずはそれをテーマにした小説を入門書にして、ゆっくりその世界に分け入っていく。これが最も手っ取り早い歴史の勉強法だ、とかたく思っている。本書は7500石の西美濃を領地に持つ小さな貧乏旗本が江戸に参勤道中をする物語だ。約2週間の路上での出来事が微に入り際に入り、エンターテインメントとして波乱万丈に展開する。主人公は小野寺一路。19歳。この道中の御供頭である。これに藩内の御家騒動が複雑に絡まってくる。いわば映画の「ロードムービー」の小説版だ。本書のはあくまで当時の参勤交代の実態を下敷きにしているので、おおいに勉強になった。ありがたい。それにしても旗本が参勤交代をする、というのは意外な事実だった。これは交代寄合と呼ばれる格式の高い旗本だけに許されるしきたりだった。先祖代々伝わる「あるべき参勤交代の姿」を記した文献をもとに、参勤交代は行軍である、という結論に達した若い一路の頑迷さが、本書の骨格を形成している。

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