Vol.720 14年9月13日 週刊あんばい一本勝負 No.712


ただいま老化進行中!

9月6日 土曜日は登山準備に半日がとられてしまう。入念に準備しないと「忘れ物」をしてしまう。山での忘れ物はけっこう致命傷だ。過去には弁当や雨具、サングラスに蚊取り線香などを忘れてえらい目にあっている。最近は準備に時間をかけるので忘れ物は少なくなった。忘れ物はなくなったが、山そのものの景観やルート、地理花名などの名称は何度登っても覚えられない。すぐに忘れてしまう。正確には「覚える気がない」「覚える余裕がない」といったほうが正鵠を射ているかも。ブログ連載の「下り坂よれよれ山行記」でも、しばしばSシェフから地名やルート名のミスを指摘される。山では初心者気分で、みんなの後をダラダラとくっついて歩くだけだからだろう。同じ山に何度登っても、前のことを忘れているから、逆にいつも新鮮な気持ちでチャレンジできる、というのも事実だ。当分この欠点はなおりそうもない。

9月7日 鳥海山を登りはじめてすぐの雪渓でオコジョと遭遇。ネコ目イタチ科のリスよりも小さな動物で、実にあいくるしい。生まれて初めての対面だが、先週のクマに続いて連続の「眼福」。今日の鳥海山は登山客の少ない「康新道」ルート。通常よりも30分以上遠回りになるが、景観眺望の素晴らしさは時間に換え難いほど。40年近く前、本業で食えずテレビCM制作の仕事をやっていたことがあった。そのとき「出羽の富士」という酒CMで、祓川小屋の佐藤康さんと私が山行後タケノコ汁を囲んで酒を呑み交わす、という設定のCMを撮ったことがあった。創るだけでなく自分で出演してしまうのだからムチャだ。このCMは10年以上も流れ続けてうんざりしたが、「康新道」生みの親の康さんはもういない。祓川小屋を通るたび康さんのことを思い出すのだが、今日の主役はオコジョ。

9月8日 昨日、鳥海山からの帰り車中で観た月が印象的。「いいなあ」とつぶやいたら、明日が「中秋の名月」(旧暦8月15日)と山仲間に教えてもらった。秋の冴え冴えとコントラストや凄みのある月ではない。ボンヤリと温かみのある夏の名残りをしのばせる月。家に帰ってもう一度、下駄をはいて月を見に散歩に出た。大学病院裏手の森は真っ暗で月見に適している。薄山吹色の輪の中にウサギと臼がこれ以上ないほどくっきり見てとれた。いやはや眼福。この月を肴に一献とも考えたが、現在プチダイエット中。日本酒はてきめんに体重増加につながるので焼酎で我慢した。月にかこつけ4杯も飲んでしまったから元の黙阿弥。風流とダイエットは両立しがたい。

9月9日 花巻の豊沢川でいかだ遊びをしていた幼稚園児が川に流され死亡した。ニュースによれば、亡くなった5歳の園児は救命胴衣を着けていなかったと言う。これはほぼ殺人に近い犯罪ではないのか。川の水位が膝あたりまでしかなかったから、と関係者はいうが、水に落ちれば子どもでなくても精神的ショックで心身ともパニックに陥る。山行ではどんな小さな渡渉でもリーダーの指示を待ち、ときには念のためロープを張って安全を確保する。そのたびにいつも、大げさだなあと思ってしまうのだが、これは自然に対する基本的ルールであり、敬意でもある。救命胴衣なしに幼児を川に放り出すという行為はほぼ犯罪に近い。

9月10日 今日から庄内に2日間の旅。いつものように仕事のような遊びのような……いや、もうどっちでもいいかそんなこと。これまでほとんどすべての旅行も何かしら「仕事」であって「遊び」ではない、ともっともな理由をつけてきたが、ようするにビンボー症の零細自営業者だから「遊び」と断言するには後ろめたい。気恥かしさもある。と同時に、遊びをどこかで仕事に化学反応させなければ食っていけない状況に身を置いて生きてきた、というのも事実だ。でももうそんな気負ってもしょうがない。仕事にかこつけなければ外に出かけられなくなったのは「職業病」のようなもの。今回は何人かの人と会い、六十里越街道を歩き、庄内の美味いものを食べたい。天気だけが心配だ。

9月11日 山形県の余目という町は当方と何の関係もないのだが、いつもその地名を聴くたび、「おもしろそうな町だな」と思っていた。地名のユニークさから連想したのだろう。その余目駅前に「アルケッチャーノ」で有名な奥田シェフがプロジュースしたレストランがオープン、というので友人とランチしてきた。「やくけっちゃーの」というカジュアルな焼肉屋さんで、まあ取り立てて言うことはなにもないが、地元の野菜がうまかった。電車の時間まで2時間ほどあったので、これまた地元では有名だという「八千代」のラーメンまで食べてしまう。この町はお米の「亀の尾」発祥の地でもあった。明治維新のスター・清川八郎(庄内町)の生れ在所でもある。小1時間、町をぶらついたが、ラーメン屋さんの多い町だなあ、というぐらいの印象。またこの町にくることがあるのだろうか。車中、満腹で居眠りしているうちに「いなほ」は秋田駅に滑りついた。

9月12日 毎日6時間は確実に寝ているのだが、毎朝もうちょっと寝ていたいと痛切に思う。居酒屋の小さな文字メニューはスラスラ読めるし、いつも背筋は伸ばすように心がけている。歩けと言われれば1日20キロは楽に歩けるし、暴飲暴食はいつでもOKだ。こう言うと50代の頃と生活習慣も体力もそれほど「差」はないような気もするのだが、やはり老化は進行中。心と身体の「暗渠」に水量が乏しくなり、よどみができている。立居のたびに心の中で「ドッコイショ」とつぶやくし、寝ていても肩の冷えが堪える。身体に擦り傷は絶えないし、その傷の治りもメチャ遅い。読んだ本の内容は片っ端から忘れるし、同じ本を何度も買う。懐古趣味がないのだけが救いだが、これとて毎日の仕事が自転車操業で、それどころではないというだけの理由だ。老化はわかりにくい衣をまとって、少しずつ心身を蝕んでいく。
(あ)

No.712

紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている
(早川書房)
佐々涼子

 何度も書いているのだが「震災関連本」は出すのも読むのも、なんだか気が進まない。その理由を説明している紙枚はないが、なんとなく時流に便乗して商売することに抵抗があるのだろう。それでも断りきれず何点か新刊本を出しているのだが、読むほうは、できる限りその周辺に近付かないようにしている。それが本書にはなぜか飛びついてしまった。他の震災本をどこか違うのか。たぶん違う、と思う。あくまで個人的にだが。その理由の一つがサブタイトル「再生・日本製紙石巻工場」からも分かるように、日本の出版される紙の実に4割をつくっている会社が主役だからだ。自分たちのつくる本の紙をつくっている会社が東日本大震災で壊滅的な打撃を受けた。「この工場が死んだら、日本の出版は終わる」と考えた職人たちの奇跡の復帰物語なのだ。私自身、同じ東北にある、この工場のことをまったく知らなかった。のみならず商売の種である本文用紙がどのようにつくられているのかも、実は知らなかった。本書を読んで初めて紙の製法技術を知った、というのも恥ずかしい限りだが、なるほど、いろいろこの本は勉強になった。震災の本を出そうとするとき、何を主役にするかが、実は一番大切な部分なのだが、よくぞこうした地味な工場に目をつけてくれたと感謝するしかない。

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