Vol.719 14年9月6日 週刊あんばい一本勝負 No.711


なんとなく毎日、本ばかり読んでいます

8月30日 葬儀に出る機会が増えたわけでもないが、寺や就職の在り方に以前から疑問を感じていた。不信感すらある。一部のお坊さんだけなのかもしれないが、ロレックスに外車、ゴルフ話に下卑た笑い、意味のない法話にイヤイヤ読経。ほとんど漫画の世界だが、実際この手のお坊さんが身の回りに何人もいる。戒名なんてお前にだけはつけてほしくないと思う。坊主はレスペクトとは正反対の存在とまで断言する人もいる。朝山実『父の戒名をつけてみました』(中公新社)は、父の死がきっかけで親族や寺との騒動を実体験ルポした本。自分で戒名をつけようとしたところ住職から、「人のビジネスに立ちいるな」と恫喝を受け、物語はそこからはじまる。面白い本だったが、現実はもっと進んでいるような気もする。参考文献には「一言解説」までついていて便利だ。もっと宗教の勉強をしなければ。橋爪大三郎さんの本がいい感じだ。

8月31日 ついに、というか、ようやく、というか、出遭ってしまった。クマに。山歩きをはじめて10年、300回以上山行してはじめての出遭いだ。場所は八幡平から蒸ノ湯に下山途中。もうちょっとでゴールの温泉に到着する場所だった。木道を挟んで谷側でミズバショを食んでいる大型犬ほどの小熊だった。先頭Sシェフが目前5mほどで発見、2番手なので15mほどの至近距離で、木道を飛び越え山側の木に飛びついたクマをはっきり見てしまった。渓流の魚のように素早い身のこなしに驚いた。25年ほど前、息子を連れて八幡平ハイキングした折、やぶにうごめく黒い影に肝を冷やした覚えがあった。でもあれがカモシカなのかクマなのかは不明のまま。今回も同じ八幡平。ようやく出逢えた満足感と、これからの山行の不安が複雑に入り混じった気持。

9月1日 今日から9月。新しい「(会計)年度」のはじまりになる。気持も新たに仕事に向き合いたい。といっても通常の月曜日で、月初めに変わりはない。なんだか朝からバタバタ。今週いっぱい(だけ)はDM注文でテンテコマイ。今朝の新聞で作家・稲葉真弓さんの死亡記事に心ざわめく。この人の「エンドレス・ワルツ」や「半島へ」は同時代を生きた作家として共感することの多い小説だった。64歳というのは若すぎる。ご冥福を。それにしても毎朝、死亡記事を見て驚くことが多い。親交のあった作家やメディアで活躍した同時代の方々の訃報に接するたび、自分もそういう年になったことを心身に刻印する。刻印するのだが、すぐ忘れる薄情者。どんな有名人の死もその程度のインパクトしか他者にはもたらさない。それでいいのかもしれない。

9月2日 ときどき駅前金座街にあった「まんぷく食堂」を思い出す。あんな大衆食堂があったら、今も通っていただろうな。学生時代は必死で通い詰めた。食堂ではない。朝からお酒が飲める。でも居酒屋でもない。定食類がそろっている。呑み助と食事する客が何の違和感もなく混じっている。酒の飲める大衆食堂はもともと「独身の働き手の多くいる街」に自然発生した飲食業だそうだ。人口減の進む秋田では、もうほとんど見かけなくなった。人口50万以上クラスの地方都市に行かなければ巡り合えない都市型の飲食店なのだ。時たま外で酒が飲みたい、と痛烈に思うときがある。そんなとき、きまって思い浮かべるのは「まんぷく食堂」だ。大衆食堂で酒が飲みたい。もしかして、これってテレビの「酒場放浪記」の影響なのかしら。

9月3日 ひゃ〜ぁ、今年度感動ベストワンはこの本かも。上原善広『石の虚塔』(新潮社)のサブタイトルは「発見と捏造、考古学に憑かれた男たち」。相沢忠洋、芹沢長介、藤村新一の3人の人生にスポットを当てたノンフィクション。久々にコーフンと感動で読後金縛り状態になってしまった。てっきり藤村が主役の本と思って読みはじめたのだが違った。「神の手」藤村はこの世界ではピエロにもなれない端役にすぎなかった。「世紀のペテン師」といわれた藤村が「幼稚園児」に見えるほど、考古学の世界は悪鬼妖怪、魑魅魍魎の跋扈する世界なのだ。佐野眞一なきあとノンフィクションの未来を案ずる向きもあったが、この上原善広が「ノンフィクションの巨人」の座にジワジワとよじ登りはじめている。

9月4日 絶滅危惧言語といわれるトルコ北東地方のラズ語を保存するため辞書の刊行を計画している「ヘンな日本人」がいる。小島剛一さん、フランス在住の秋田県人だ。彼の著書『トルコのもう一つの顔』(中公新書)は面白かった。その彼が来週13日(土)、秋田市の生涯学習センターで講演会をする。それもただの講演会ではない。辞書を刊行するための賛同支援カンパを目的としたものだ。主催するのは彼の著作を出版している東京の「ひつじ書房」。言語学の専門出版社で、代表のMさんは小生の友人だ。講演会に駆けつけカンパしてくるつもり。いまからお話を聴くのが楽しみだ。余談だが、このカンパって言葉、学生時代から大嫌い。なんかほかにいい言葉ないかしら。

9月5日 スムースに決算書類はそろったようだ。「ようだ」というのは新入社員にまかせているので詳細は分からない。税理士からいろんな問題点が指摘される可能性もあるが、まずは無事、今期も終了。おもえば1年前は「ひとりぼっちの戦争」の真っ最中だった。あの頃の焦燥と孤独と不安を思えば、今はまるで王様のようなもの。裸だけど。決算も終わったし、去年より数字はいいし(去年が最悪だったので当然なのだが)、新入社員も仕事をこなせるようになった。老兵は外で羽を伸ばしても何の問題もないのだが、外出意欲はまったくのゼロ。以前は旅の楽しみだった暴飲暴食と宿泊が逆に足かせになって怖い。美食への警戒(太るので)とホテルのベッドの寝心地の悪さに、二の足を踏んでいる。ルーチンのいつものライフスタイルで、少しのんびり目の日常を繰り返す。それのほうが今は魅力的だ。これもやっぱり老化かなあ。
(あ)

No.711

くう・ねる・のぐそ
(ヤマケイ文庫)
伊沢正名

 これは名著だ、と思う。文庫本になるまでその存在は知らなかった不明を恥じている。なんだか、あの名著『金沢城のヒキガエル』(奥野良之助・平凡社ライブラリー)を彷彿とさせる。著者は高校中退後、自然保護運動などを経て1994年から突然野糞に目覚める。以来、何はあっても毎日野糞に励み、この「美しき日陰者」に神々しいまでの光を与えることに労苦をいとわない。実を言うと、小生も野糞とは薄からぬ縁がある。登山中に便意を催す機会が多いのだ。この頃は3度に一度は「キジ撃ち」をする。悪習慣である。理由は朝の早起きだ。毎朝決まった時間に排便する習慣があるのだが、山行時は早起きをするためリズムが狂う。決まって排便の時間が登山時までずれこんで、キジ撃ちを余儀なくさせるのだ。著者は「便意はコントロールできる」という。そうなれば楽なんだけどなあ。内容が内容の本なのに、そこに不まじめさや斜に構えたてらい、捨て鉢さを感じさせないのがすごい。インド流野糞法を編み出してみたり、大真面目で1000日間続けて野糞をする「千日行」を成し遂げたりする。さらに「野糞跡掘り返し調査」を敢行、克明な記録を残している。本来は日本を代表するキノコ写真家である。業界でも名の通った人なのだが、野糞に魅せられ、その世界にすっぽりとはまってしまった。まじめで誠実な抱腹絶倒の、なんだか不思議な味わいのある本である。

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