Vol.714 14年8月2日 週刊あんばい一本勝負 No.707


8月は忙しくなってほしい

7月26日 このところ土曜日の過ごし方が変わった。起床するのはいつもの通りだが、朝から翌日の登山の準備に時間を充てるようになった。登山装備をそろえ、食料品を整理し、足らない買い物をする。午後からはいつも通りに散歩に行き、入念にストレッチする。最も変化が大きいのは土曜日だけは昼夜ともカレー、めん類、パスタや中華料理といった、普段できるだけ避けている炭水化物系をとってもいい日、と決めたことだ。翌日のためにグリコーゲンをたっぷり溜めこんでおこうという算段だ。ちょっと油断するとテキメンに体重が増加する体質なので、これはけっこう「勇気ある決断」だ。山行後、体重は当然減っているはずなのに、時には食べすぎで増えていたりするから、困ったものだ。消費エネルギーと蓄積エネルギーの差配はけっこう難しい。新入社員はSシェフと鮎釣り。熱中症に気をつけてくれよな。

7月27日 昨夜、リーダーから登山中止の連絡。豪雨が予想されるため。夜9時、体調管理のため酒も飲まず床についた途端の連絡だった。ガックリきてやけ酒。今日は焼石岳の予定だったのだが、そんなわけで、なし。朝起きたのは12時近く。ふて寝だ。ブランチは今日の山用の非常食。この1週間、体調を整えるために酒や炭水化物を控え、体重も1キロ落としたばかりなのに、これで元の黙阿弥。いやダメだ、何を書いても愚痴になってしまう。1週間で日曜登山の占める位置は限りなく大きいことをあらためて認識した。私の1週間は日曜登山を基軸にまわっている。

7月28日 前日12時間も熟睡したせいか、さすがに昨夜は眠りが浅かった。夢を見た。空港で買ったお土産品を忘れて焦る夢だ。忘れ物系が多いのが最近の特徴だ。それでもちゃんと8時間は寝ているから太平楽。今日から月末だ。月日のたつのは早い。もう決算期を迎えるわけだ。いま、ある事情で遠出ができないのだが、8月はいろんなところに出かけたい。といいながら基本的に事務所にいるのが好きで、どこにも行かない。この年になると遠出した先のスケジュールの想像がつく。電車で本を読み、見知らぬ街をほっつき歩き、居酒屋で酒を呑み、窮屈な宿のベッドで眠りにつく。それ以上でも以下でもない。だったら、家のほうがいい、となってしまう。

7月29日 朝夕とも「だし料理」。夏にはピッタシの山形の郷土料理。夏野菜や香味野菜を細かく刻み昆布や醤油で和えるネバネバの「野菜で作った納豆」のような食べものだ。冷ややっこやソーメン、白飯にぶっかけて食う。これをなぜか秋田県北部出身のSシェフが作って持ってきてくれた。シェフの料理のセンスはひとえにこの意外性にある。仕事(印刷)の関係で毎月のように若いころは山形に出張っていたから「だし」の存在は知っていた。でもこんなに美味しいとは。もともとマイナーな郷土食だったが山形弁を話す外国人タレントがTVで広めたらしい。秋田でも夏のユニークな食べものに「あさづけ」(米粉を使った酢の物)がある。これは以前「笑っていいとも」に「秋田の夏の郷土食」として推薦したことがあり、紹介された。がヒットするまではいかなかった。山形のだしを食べながら秋田のあさづけの不遇に思いをはせた。

7月30日 久しぶりに河辺の「ユフォーレ」にS&S。S&Sとは私の造語で「ストレッチ&スパ(温泉)」。その「ユフォーレ」の入口で、すさまじい数のドクガか乱舞していて、ビックリ仰天した。自動ドアが手動になっていて、体育館の窓もガでびっしり。露天風呂は閉鎖中だった。施設の社長も「こんなのは初めて」とあきれ顔。ヒッチコックの「鳥」を思い出してしまった。S&S後、心配になり近くにある「山の学校」に顔を出すと、あら不思議、学校には全くガがいなかった。街灯もなく夜は真っ暗になる山の中だからだろうか。新聞では県南地方で「異常大発生」と書かれていたが、秋田市近郊も危険地帯だ。とりあえずは大量の水で洗い流すしか駆除の方法はない。秋田市内に「侵入」してくる日は近いのだろうか。怖いなあ。

7月31日 ヒマでなんとなくむしゃくしゃする日々。本にも飽きてしまった。積ん読状態の本も片っ端から読んで、もう在庫がなくなりそう。スカッとした気分になりたい。そこでハリウッド映画「ダイ・ハード――ラストディ」を観た。舞台はチェルノブイリ、ひたすら人を殺しまくり、車を何百台も潰しまくるアクション映画。その舞台が原発事故で廃村になったチェルノブイリというのだから念がいっている。人を殺し、車をぶち壊すことに映画のエネルギーのすべてを注ぎこんでいる。こうまで簡単に人が死ぬと原発やウランといった単語にすら反応がマヒしてしまう。たまに観るとそれでも十分に楽しいのだが、こんなのばかり観ていたら、湾岸戦争や9・11を現実とは思わない「人種」が出てくるのもわかる。そういう意味では怪談に似た納涼効果はある映画だ。まあ、ほとんどお化け屋敷の世界だ、ハリウッドは。

8月1日 この2日間、失くしたケータイ電話(PHS)を探しているが見つからない。ケータイといっても普段はその辺にぶんなげて、電池切れのときに充電するぐらいだ。かけないし、かかってこない。出張に行く時にもたされる程度で、PHSなので肝心のときに圏外という情けないシロモノだ。だから、なくなっても別段困らないと油断していたのだが、電話帳がケータイにはいっていることを失念していた。固定電話で連絡をとろうにも電話帳がないから番号がわからない。これは想定外。必死で探しているのだが、ふだん使っていないので、どこでなくしたかも皆目見当がつかない。ダイヤルして場所を確認しようにもマナーモードだし、そろそろ電池も切れる頃。位置確認装置が付いていればいいのだが。
(あ)

No.707

八月の六日間
(角川書店)
北村薫

 四〇歳を目前にした大手文藝誌・副編集長の「わたし」が主人公。物語の後半には編集長に昇進するのだが、そのあたりもさらりと触れるだけ。独身で美人(?)、仕事もできる。会社も私生活も大過なく淡々と過ぎていく。いや、いやなことや不調や不満はあるのだが声高にそれを叫ばない。知性も理性もある。ただ小さな出来事にも大きな問題にも、いちいち嘆息したり過剰に反応しないだけ。高給取りだが、お金に関する記述はどこにも見当たらない。このへんが山と女史をテーマにしたこの小説の「新しい」ところか。経済的には何不自由のない主人公だが、やはり何かが「欠けている」。その欠け落ちた「何か」を拾いに山に行く。それも一人で。数か月に一度、自分の力量にあった山に好きな行動食を詰めて出かける。山への過剰な期待や賛辞もない。淡々と山に行き、一期一会の出会いや四季折々の山の美しさに、息を吐き出すように静かにゆっくり感動する。そうか、こんな山小説を読みたかったんだ、と思った。「勝ち組女子」を主人公にした山登りの話だが、どこにも自慢も傲慢もない。そこがすごいのだが、これだけは読んでそのニュアンスを理解してもらうしかない。昔、一緒に住んでいたカメラマンの男もいた。その男も一つまみの調味料のようにしか小説には登場しない。抑制の効いた物語は、余韻が深い。

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