Vol.709 14年6月28日 週刊あんばい一本勝負 No.702


東京・山形、夏休みの旅

6月21日 「ライターズ・ネットワーク」という集団の年1回の会合が出版クラブであった。久しぶりに出席、旧交を温めてきた。出席者の半数以上の方々と昔からの知り合いなのだ。ゲスト・スピーカーは下北沢で書店「B&B」を経営する内沼晋一郎さん。前から彼の話を聴きたかったので一石2鳥だ。いろんな人と話ができ席の温まる暇がない。こんなにしゃべったのは久しぶり。夜は3次会まで。さすがにヘロヘロになったが楽しい一夜だった。印象に残った人は、ベトナムで旅行会社を経営するI女史。空影写真を専門にとっているカメラマンのYさん。この2人かな。Yさんは女性だと思っていたが、隣でおしゃべりしたら、なんと男性だった。立ちふるまいに色気があり、外見は女装なんだもの。いろんな人がいて刺激を受けた一夜だった。

6月22日 下北沢にある「B&B」という書店を訪ねてきた。本はむろんビールが飲めて家具も売っている小さな書店だ。信じられないのだが、店内では誰かしらの「講演」イベントが「毎日」ある。それをずっと続けている、というのだからすごい。この日も講演会が終わったばかりで店内はごった返していた。書店のコンセプトは目新しいものではない。とにかく「毎日講演会」というのがすごい。このあたりに未来の本屋の可能性を感じるのだが、1杯のビール(500円)で少し酔っぱらってしまった。本用汚れ落としブラシとブックスタンドを購入。下北沢の街は若者であふれかえっていた。日曜日なのでなおさらなのだろうが、過疎の国から来た者にとって何ともうらやましい光景。

6月23日 東京では2日間酒浸りだった。おしゃべり優先の楽しいお酒だったせいか二日酔いもせず、体調も維持したまま、なんとか秋田に帰ってこれた。体重はちょっぴり増えたが、まあ許容範囲だろう。みっちり仕事をして火曜日からは山形3泊4日の出張だ(夏休みなのだが仕事もする)。それにしても有効に時間を使う必要がある時に限って来客が多くなる。これは何かの法則でもあるのだろうか。昨日も今日も不意の来客。どちらもけっこう重要な案件だったので、じっくりお話をうかがった。ヒマな時より忙しい時のほうが他者に対してやさしくなれる。それにしても毎日のように「出版相談」をいただくのだが、そのうちビジネスとして成立するものは約3割。年々確率は悪くなる。

6月24日 「大人の休日」切符で安く旅行する予定だったが、購入は当日ではダメということを知らなかった。けっきょく駅でそのことを知り普通料金で旅するはめになった。先日はネット予約したとばかり思っていた京都のホテルに「予約は明日になっています」といわれパニックに。出かけた美術展の期日を1か月まちがって覚えていたり、同じ本やチケットを2度買いするケースも。なんだかボケが進んでいる予感。老化現象と笑っているうちが花か。何かもっと大きなミスを仕事上でやらかすのでは、と不安になる今日この頃。これから山形行き。まずは自分のケータイ(PHS・出張の時に持たされる)の番号をしっかり覚えなければ。

6月25日 山形・遊佐町「しらい自然館」にいる。ここの建物は天井が高く、開放感があって、木材の香りプンプン、大好きな交流体験型宿泊施設だ。近くの小学生たちの林間学校もこの施設を拠点に行われている。毎年なつはここに泊まって近くの自然散策をするのが定番になっている。今日は鳥海山の麓にある鶴間池に関西の友人たちと4人で行く。行きは下りで帰りは急登というヘンな池だ。かなり深く山中を降下していくので、森が深く、クマの気配も濃厚だ。ひとりではとても行けない場所なので、池の小屋付近には写真撮影中の老人が一人だけしかいなかった。そこからさらに深く分け入って、モリアオガエルの生育池まで足をのばし、原野をたっぷり楽しんできた。

6月26日 今日は「しらい自然館」を拠点に鳥海山・御浜小屋登山だ。好天に恵まれ、体調も良くルンルンのハイキングだった。軽いハイキングのつもりで山形に来たので軽登山靴(ローカットのハイキング用)だし、ストックも1本、ザックも一番小さなハイキング用しか持っていかなかった。それがよかったみたいで、なんだか身が軽い。下山後はいつもの中華料理屋「香雅」で打ち上げ。昨日、鶴間池で会った老人が行方不明で捜索中との気がかりなニュースも。はじめての鶴間池、と言っていたから、登り(帰り)で道に迷ったのだろうか。山は侮れない。今日の宿泊は酒田リッチ&ガーデンだ。明日の朝食(バイキングの野菜料理)が楽しみだ。

6月27日 ホテルの美味しい朝バイキングを堪能。羽越線に乗って帰ってきた。山形の新聞によると、鶴間池の老人はまだ発見されていないそうだ。私たちのリーダーは鶴間池のスペシャリスト、警察や消防からひっきりなしに連絡が入る。人生の一瞬をすれ違って会話しただけの老人だが、袖ふりあうも多生の縁。無事でいてほしい。私が鶴間池で撮った写真にはこの遭難者の顔がはっきり写っていた。特急「いなほ」の旅はあっという間に終わった。そして帰りついた仕事場には山のような残務が……。今週末は焼石岳登山の予定だったが、とても無理。まずはこの仕事の山を征服する必要がある。夏休みのツケは小さくない。
(あ)

No.702

東京自叙伝
(集英社)
奥泉光

 なんだかよく分からないが凄まじい本だ、という印象。なにせ明治維新から第2次世界大戦、バブル崩壊から地下鉄サリン事件、さらには福島第1原発事故まで、謎の一人の男(時に女やネズミ)が生まれ変わりながら、その長い時間に起きた事件のすべてを体験する物語だ。著者は山形出身の芥川賞作家。いいかげんな本を書く人ではない。郷土もの、時代ものも大丈夫という、力のある作家だ。そんな作家が、何ともハチャメチャな、東京を舞台にした長編小説を書いたのである。章だては6つに分かれ、それぞれに人名が付されている。この人名が物語の主人公になるわけだが、実はもとをただせば6名とも同じ人物の生まれ変わり。なんでこんな面倒なことをするのか、この章だてに意味があるのか、作家の意図を理解するには、本書の半分以上読み進めないと理解できなかった。著者が言いたかったこと、主人公が6人必要だったこと、このような構成が、なぜ必要だったのか、読み進めなければわからない。本書とは関係ないが、赤坂真理さんという作家が「愛と暴力の戦後とその後」という本を書き、話題になっている。自分の個人史に重ねるように、その時代に起きた事件や時代の空気、憲法から政治の問題を、等身大に引き寄せて書き下ろしたノンフィクションというか評論だ。本書はこの赤坂さんの本を、さらに長いレンジで、フィクショナルに、より過激にしたもの、と言ってもいいかもしれない。

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