Vol.707 14年6月14日 週刊あんばい一本勝負 No.700


雨が降り続いている

6月7日 寝ていると右足首のあたりに違和感あり。何度か目を覚ました。痛風の前期症状のような感じだ。いろいろ考えてみたが思い当たることがない。痛風もほとんど完治している。たぶん寝返りをうった際に、捻ったか打ったかしたのだろう。そのうち足全体に猛烈なケイレンが襲ってきた。しばらく息もできなかった。今日は森吉登山で朝5時起き。結局、F校長に電話。行けない旨を伝える。昼を過ぎた今も、ふくらはぎが痛い。いったい身体のなかで何が起きたのだろう。じっくり身体を休めてメンテナンスの必要がある。

6月8日 山なしの週末は珍しい。土日ともおとなしく仕事場でパソコンに向かっている。酒を飲めば太るし、DVD映画鑑賞も飽きてきた。最後はけっきょく「究極のヒマつぶし=読書」に帰っていく。こんなことを何十年と繰り返してきた。これだけはわかっていても、どうしようもない。一通りの儀式を経てでないと「わが故郷=本」まで一巡できないなのだ。気になる新聞記事がひとつあった。高齢者の要介護リスクは「太った人より痩せた人のほうが二倍も高い」のだそうだ。ガタイのいい人は何となく長生きしているイメージがあったが、やっぱり根拠はあったんだ。ちなみに認知症の危険は、喫煙者が禁煙者の二倍の発生率。どちらも日本老年医学会が発表したものだ。

6月9日 また月曜日がやってきた。1週間で何かと用事の多い曜日。この日ばかりは朝から電話がひっきりなし。他の会社も同じような事情で月曜からせっせと動き出しているのだろう。こういう限定的な忙しさは嫌いではない。でも毎日こんなふうだと、とても身が持たない。新入社員が戦力になってくれれば、何もかも解決すると思っていたが、この2カ月、逆に彼の教育でてんやわや。解決どころではない。毎日が何かと心せわしい日々を送るはめになってしまった。彼が戦力になったとしても、この月曜日の、心地よい緊張と忙しさまで奪われるのは、なんとなく無念。月曜日だけ出社してあとは休日、なんて選択もありかな。まあいずれにしても老兵は消え去るのみ。

6月10日 「健康オタク」のくせに健康食品とか健康本にまったく興味はない。ばかりか内心かなり軽蔑している。なのに、つい出来心で『長生きしたけりゃふくらはぎをもみなさい』という身も蓋もない書名の本を買ってしまった。山では平気なのに家で寝ていると足がつる。山のアクシデントならわかるが平時というのが解せない。そこでこの本となったわけだが、要するに血液の70パーセントは下半身に集まっている。その血液をもみだして全身に回してやれば「すべての病気が予防できる」というもの。医者から見れば「トンデモ本」の類だろう。でも、ふくらはぎをもめ、としか書いていないから実害はない。器具を買えとか、何かを服め、とかどこにも書いていない。で、毎日入浴後、せっせとふくらはぎをマッサージ。効果のほどは、まだ分からない。また報告します。

6月11日 ミーハーなので本や映画の影響をもろに受けてしまう。先日観た映画「25年目の四重奏団」の、物語の伏線のようなベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番(作品131)にはまって毎日聴いている。演奏しているのは映画と似通ったメンバーの「スメタナ四重奏団」。演奏の良しあしまでわかるわけはないが、もう身体に曲がしみ込みつつあるほど飽きずに聴いている。曲全体は7つの楽章からできている。それが区切りなく演奏される。厳粛さ、愛嬌、華やかさから荘厳、美しさへの祈りまで、静かにリズミカルに奏でられる。曲の流れに浸っていると心地よさから眠くなってくる。音楽っていいですね。

6月12日 自慢になるがブラジルに関しては一般的な日本人より、ちょっと詳しい。何度も行ってるし、それなりに勉強もした。出版物も10冊近く出しているし、来月も「勝ち組事件」の本が出る予定。で、Wカップ開催である。何かとかまびすしいが、あのブラジル人がサッカー反対のデモをしている映像はさすが衝撃を受けた。心配なのは日本からのサポーターたち。たぶんこのうち半数は「泥棒」の洗礼を受け、意気消沈帰国するだろう。旅慣れしている奴ほど危ない。泥棒のレヴェルが日本とはまるで違うのだ。泥棒はブラジルではサッカーと同じくポピュラーな「職種」。「ブラジルの日常」といっていい。これと遭遇しないのは奇跡に近い。何十年も彼の地に暮らす日系人たちですら「一度も泥棒にあったことがない」などと断言する人に会ったことがない。日本の若者など赤子の手をひねるようなもの。奴らは手ぐすね引いて待っている。サポーターたちが餌食になる日が刻々と近づいている。心配だ。

6月13日 午前中であらかた仕事は済んだので、新入社員に後を託し市郊外にあるショッピングセンターへ。買わなければならないものがいろいろあるので、リストをつくってまとめ買いだ。まずはめったに行かないセンター横にある登山専門店で登山靴のヒモとバーゲンのシャツ2枚。中高年の事故が増えたこともあり、そろそろ登山に「ヘルメット着用」義務が生じるかも、というのはかなり信憑性のある噂のようだ。その後、センター百均売り場でいろんな小物をまとめ買い。ユニクロで靴下と夏用シャツ、マツキヨで日用雑貨、エスニック食品店でブラジルのフェジョアーダ(豆と肉をドロドロに煮込んだもの)を発見。大好物なので即ゲット。帰りには洋服のチェーン店に寄り、夏用ジャケットを買い、クリーニング屋で洗濯物を回収し帰ってきたのは夕方4時半。しばらくは買い物の必要はなくなった。なんだかストレスも軽減。夜は家族3人、外でお食事。ずっと雨が降り続いている。
(あ)

No.700

ポエムに万歳!
(新潮社)
小田嶋隆

 斎藤環の「ヤンキ―文化」に目覚めてから、ずっとこの手の本を読み続けている。斎藤の言うように「日本人は好き嫌いにかかわらずヤンキ―化の一途をたどっている」という説は実に説得力がある。その最たるものが相田みつおに代表される「中学生の作文のような」抒情に溢れすぎた日本語の氾濫だ。本書のテーマは「鳥肌もののポエムであふれている日本」を分析することだ。詩とポエムはどう違うのか。著者は言う。詩であれ散文であれ、とにかく何かを書こうとして、その何かになりきれなかったところのものがポエムだ、と。難解な現代詩ブームというのも何十年か前にあったが、その詩という文藝の衰退を受け、逆に活性化しつつある不定形な感情の受け皿が「ポエム」なるシロモノだ。エグザイルやJポップは、何ら恥じることなく中学生の卒業文集のような湿った抒情を大声で歌い上げる。日本のポエム化のはじまりは東日本大震災直後、金子みすずの「こだまでしょうか」のCMあたりから。Jポップの歌詞がもてはやされるのは文芸としての詩が滅びたことと入れ替わりだ。さらに中田英寿引退騒動以来、大の男が公衆の面前でポエムをかますことについてのハードルが俄然低下したのだそうだ。

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