Vol.705 14年5月31日 週刊あんばい一本勝負 No.698


毎日2本のDVD映画、ときどき本

5月24日 また夜のひとときDVDで映画を観るようになった。きっかけは近所のツタヤに寄ったこと。観たいと思っていた映画が「ミニシアター」コーナーに目白押し。ツタヤはレジが「フォーク並び」ではないため、不快な思いをすることが多い。そのためDVDレンタルはもっぱらネットを利用していた。やっぱり本と同じで「全体を俯瞰」できるリアル書店のほうがDVDも安全で落胆度が減少する。借りてきたのはフランス映画『クロワッサンで朝食を』。ジャンヌ・モローが意地悪ばあさん役で、パリのエストニア人の物語。家政婦役のライネ・マギが美しい。若者は出てこない映画だが、静謐さと人生の奥深さがゆるやかに流れている物語でないと最近はもう感動しなくなった。

5月25日 今日は太平山。冬の間は前岳と中岳専門だが、今日は旭又コースから奥岳の正当登山。雪が解けなければ登れないコースで、朝から駐車場はいっぱいだ。大学生や県北部からの「初めて」の人たちもいて緊張する。いくらベテランといえども太平山は難コースなので油断大敵、何が起こるか分からない。コンデションさえよければ2時間で登れる山だが、あいにくの小雨模様。雪もたっぷり残っていて、結局は登り4時間、下り3時間の悪戦苦闘、明日の筋肉痛が心配だ。登山者も多く、30人近い集団で登ってくる人たちもいた。山中、大声で怒鳴り合い、まったく統制の取れていないヘンな集団でびっくりしたが、どうやらこの集団から遭難者が出たようだ。山は怖い。他山の石もって玉を攻(おさ)むべし。

5月26日 本は新聞広告や書評、雑誌や業界紙、ネットなどから情報を得て買う。もう好きな作家は決まっているし、書名や版元、著者の名前で、どの程度の本か判断できる。しかし、今日の新聞朝刊はちょっとヤバかった。欲しい本がメジロ押し。それも高価な本ばかりだ。「菊池信義の装丁」「水のなまえ」「江戸の食文化」「塩の世界史(上下)」「愛と暴力の戦後とその後」「巨鯨の海」「思い出をレスキューせよ!」「自分を好きになる方法」「ニートの歩き方」……こんな「あたり日」もあるんだなあ。こうなれば本の値段は極力見ないように注文するしかない。

5月27日 一昨日の太平山の遭難者は自力で登り口駐車場まで戻った、と新聞が報じていた。よかった。あの集団とすれ違った時、ひとりの男性が大声で私たちに向かって、「命令ばっかりされて、頭にくる」とグループの不平を愚痴りだした。まったく見も知らぬ人だったので驚いた。グループ三十数名が通り過ぎる間も、そのおしゃべりのうるささに「少し静かに!」と2度ほど注意したのだが、カエルの顔に小便。とにかく統制のとれてない、わがままで傍若無人な集団で、「大丈夫なの、あのグループ」と仲間たちと心配したほどだった。対岸の火事ではない。ところで最近、こちrとらは山に入るたびに「キジ撃ち」が定番化。ウンチは山でするもの、と身体が勝手に反応しはじめている。人のことよりこの問題を何とかしなければ。

5月28日 久しぶりに地元新聞一面に全3段の広告。効果のほどはある程度の予測がつくので期待はしていない。広告効果というのは100%中味。新刊が少ないと効果は限定的。でも、このところちょっと思うところがあり中断していた地元紙全3広告を続けてみようかと思っている。なんとなくだが地方出版の読者の地殻変動というか世代交代のようなものが進行している感じがするからだ。20年前出したが売れなかった本がポツポツと売れだしたり、30年前の本の注文が急に入りだしたり。水面下で何かが起きているのだが予断も予測も今の段階では不可能だ。

5月29日 毎朝、「今日の出来事」を書く前、新入社員と打ち合わせ。30分以上しゃべっていることもあれば一言で終わることもある。40年間、自分のやってきた経験や知恵や技術を少しずつでも新人に伝えて置きたい、と思っているのだが、言葉足らず、うまく伝えられないもどかしさも同時に残る。自分の経験が、あるいは40年という歳月が、なにか意味あることなのだろうか、という懐疑が自分の裡に巣食っているからだろう。同時に、若い人が何を希望に未来を生きようとしているのか、いまひとつよくわからない。わからないが、自分にできるのは「経験」を「話しつづけていく」でしかないのかもしれない。彼らの未来にはたぶん何の役にも立たない知識と技術と経験だが、それでも話しつづけていくしかない。

5月30日 夜はすっかりDVD映画鑑賞。野球観戦も無視するほどのめり込んでいる。昨日は「25年目の弦楽四重奏団」と「大統領の料理人」。連日この調子で1日2本ペースなので腹いっぱいだ。時間がなくて読めない本がいたるところに積まれていて、本たちは恨めしげ。それでも寝床に入ってから30分、必ず奥泉光『東京自叙伝』(集英社)を読んでいる。明治維新から福島原発事故まで、複数の人格を持った「ひとりの主人公」が体験するという、なんだかよくわけのわからない、でも面白い小説だ。ようやく地下鉄サリン事件が終わったので、あと2日もあれば読了できるだろう。一気読みすればもっと興奮した本だったかも。
(あ)

No698

図解よくわかる単位の事典
(メディアファクトリー新書)
星田直彦

 ものの数え方に興味がある。そのため、この手の本はすぐに買ってしまう。本書はそうした本の中でもとびきり使い勝手のいい事典だ。本書で「助数詞」という言葉を知った。英語などにはない概念のようだ。数の後ろにつけ、何を数えているのかを表すための言葉だ。冊、匹、羽、枚、人、などだ。これらは単位ではない。長さや質量などのように整数で数えられないもの、数えるのが困難なものに対して使われる数詞なのだ。私の仕事である「本」についても、おもしろい発見がいくつかあった。本は1本2本とは数えない。なぜか。これはもともと本が複数の木簡をひもでつないでいた、という原型から発生した言葉「冊」をつかう。木をひもでつないでいるから冊だ。なるほど。さしづめ電子書籍は1冊2冊と数えない。電子書籍は本ではないわけだ、ナンチャッテ。「本」は見た目が棒状で長いものを数える時も使う。マッチや鉛筆、ビールにバンド、傘や木などの場合だ。実際に見えなくともイメージが長いものはやはり「本」だ。電話や手紙、メールがそうだ。電車の運行数やスキーのジャンプ、映画やドラマ、論文やレポートも「本」をつかう。これは長いもののイメージをさらに延長し、はじめと終わりのあるものは「本」で数えるからだ。

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