Vol.361 07年8月11日 週刊あんばい一本勝負 No.357


ラジオ体操から感じたこと

 梅雨が明けてから、雨ばっかりの日々。田んぼにとっては恵みの慈雨、懸念されていた水不足への不安解消にもなるし、まずは喜ばしいことといっておこう。
 8月は山のサークルが県外の難易度の高い山々に遠征するので、私のような初心者はスケジュールは真っ白。それではちょっぴりさびしいので7月末には鳥海山の鶴間池、先週は栗駒山に一人で登ってきた。栗駒は土曜日に登る予定が台風で中止、いったん一関市側に下りて、前から行きたかった奥州市水沢の「高野長英」「後藤新平」「齋藤實」の記念館を見学、一泊。翌朝早く再度栗駒に挑戦した。風が強く登山者は少なかったが、どうにか一人で頂上に立つことができた。うれしい。

 先週のニュースに唐突にラジオ体操の画像を入れましたが、「夏休みといえばラジオ体操」という単純な発想から、近所の神社に取材に行ったものです。取材といえば格好いいですが、少々夏バテ気味だったので、子どもたちから元気をもらおうというもくろみもありました。朝早く起きて、行って、見て、驚きました。子どもたちはまるでやる気がなく、おまけにラジオのチューニングがうまくいかず、はじまって5分で体操は終了。父兄も3,4人来ていましたが、イニシアチィブをとる人物が皆無。とにかくダラダラしているだけなのです。子どもや大人のリーダーがいないのがすべての原因です。早起きしたのにガッカリ、神社に車で送り迎えする母親もいたのには驚きました。リーダーって大事なんですねえ。余計なおせっかい焼きみたいに思われている大人のフォローも、大きな意味があることに気がつきました。今の親は自分の子どもは猫ッかわいがりなのに、他人の子どもはどんなことをしても見て見ぬフリ、という現実も目の当たりにしました。元気をもらうつもりが、逆に日本のいびつな教育の断面を突きつけられたようで、けっこう疲れてしまいました。
(あ)
ロケーションは理想的なラジオ体操だけど
高野長英が診察に使った駕籠です
昭和湖の水も少ない栗駒

No.357

んだら、な(文芸社)
小田嶋忠宏

著者は1957年生まれで秋田県大曲市出身。極貧暮らしを綴った私小説で、版元名から察するに、自費出版本だろう。若い頃、秋田でミニコミ誌を出していたらしいが、私はまったく記憶にない。それはともかく本の題名が、いい。このネーミングのセンスには感心した。このタイトルだけで読んでみたい、という気になる。「んだら、な」というのは秋田弁で別れるときの常套句だ。今風に言えば「じゃあ、ね」ぐらいのニュアンスである。著者は今年ガンで亡くなった。その事実とあわせて連想してしまうからか、遺作としてはでき過ぎの題名だ。収録されている7つの貧乏物語の1篇にこのタイトルが使われている。自分自身ではなく友人や父の死、自分の妻へ別離の言葉として著者はこの言葉を使っている。中身は一言で言えばヘタな失敗私小説である。物語に一番大切な「わかりやすい単純さ」がない。タイトルになった短編でも、けっきょくこの言葉を誰のために使いたかったのか、よくわからない。エピソードを詰め込みすぎて、物語を複雑にし、全体が散漫、冗漫なものになっている。テーマは面白いのに、ことごとく著者の冗漫さが物語の芯をフニャフニャにしてしまう。レベルの高い厳しい編集者でもそばにいれば徹底的に書き直させて、面白い物語が出来上がったような気もするが、作家になるということは、そういう編集者にめぐり合うこともふくめての「才能」である。

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