Vol.358 07年7月21日 週刊あんばい一本勝負 No.354


仕事と遊びの区別がつかなくなる

 山に登ると、その日は下山した町に泊まり、翌日ゆっくり町をぶらついてから帰ってくる。意識的に山だけでなく町歩きもセットにして「行きたい!」というモチベーションを高めている。
 先日は山形の笙ケ岳(地元の人は西鳥海とか古鳥海という)に登った。登りは楽勝だったが、下山はうんざりするほど長く往生した。高さ1660メートルほどの山なのだが700メートル付近まで下りたとき、クマと遭遇した。出会ったトップの2人が山のベテランだったので、あわてることなく大声で威嚇、ことなきを得たのだが、後日、このへんをフィールドにする友人に訊くと「あのへんはクマの通り道」なのだそうだ。この日は酒田市で1泊。美味しいものを食べ、友人夫婦と旧交を温めてきた。その夫婦に連れて行ってもらった「こい勢」という鮨屋さんで「しんこ」を食べた。コハダの幼魚で、東京でもこれはめったに食べられない初夏の珍味。
 翌日の昼は、これも久しぶりに酒田市郊外にある蕎麦屋「大松屋」で昼から一杯。あいかわらず美しい女将さんと話をしていたら「うちのダンナが若い頃アンバイさんと遊んだことがある」といわれビックリ。調理場から出てきたオヤジさんの言うことには30数年前、鶴岡に拠点にした暗黒舞踏のビショップ山田の道場開き(土方巽や麿赤児も来ていたなあ)のパーティで、会っているという。そうか、あれも無明舎がプロジュースしたイベントだったよなあ。
 調子に乗って少し昼酒を飲みすぎたので、日和山公園の林の中で昼寝、けっきょく秋田の事務所に帰ってきたのは夜の8時だった。
 毎週山に登って遊んでいい身分だといわれそうだが、仕事とも不思議と縁がある。先週岩手の薬師岳に登って帰ってきたら、この辺をフィールドにする一関市の人から「70歳からできる東北の山歩き」という原稿が届いていた。奇遇だなあ、と思っていたら、笙ケ岳登山の後も、鳥海山写真集刊行の話がとんとん拍子にまとまった。山の仲間たちは来週から飯豊を歩く予定だが、小生の力量では無理なので断念したのだが、飯豊をフィールドにしているNさんというアウトドアライターから、山形のある昆虫学者の伝記出版の依頼がきた。これも奇遇といえば奇遇だ。来週は、仙台で英国の「フットパス」を、知的障害を持った子どもを連れて毎年歩いているという家族の記録を出版できないか、打診に行く予定。それも、わざわざ仙台に行くのではなく、週末に予定している「種山ケ原(物見山)ハイキング――宮沢賢治の足跡を訪ねる遠足」の後に、いつものように一泊、会って来る予定である。ますます仕事と遊びの区別がつかなくなるいっぽうだ。
(あ)
雨の笙ケ岳をゆく
酒田のホテルから見える鳥海山。画面の山頂左側3つのでこぼこが笙ケ岳
この鮨屋はすごい
昔の農家のつくりを生かした蕎麦屋・大松屋

No.354

銀しゃり(小学館)
山本一力

 寝る前に本を読む。たいがいは30分以内に眠くなり朝までぐっすり。たまに本があまりに面白く、徹夜で読み通してしまうことがある。年に2,3度しかないことだが、実はこの本も徹夜した1冊。でも残念ながら、本が面白かったから、というわけではない。読書中いろんな考え事が脳裏を去来しはじめたためだ。眠られなくなると、やむを得ずまた本を読む。時間をそうしてうっちゃるしかない。目が冴えたまま長い夜を過ごすのはつらい。
 本書は450ページにも及ぶ長編、眠られぬ夜にはちょうどいい。江戸の鮨職人の人情物語というのも「別世界」で、現実の悩み事とクロスしないのがいい。が著者の作り出す世界へ、うまく入っていけないまま読了。面白くなければ途中で放り出すのが常なのだが、長い眠られぬ夜のせいで読み通してしまったというわけである。長屋で暮らす江戸の鮨職人の物語、という状況設定の巧みさにもかかわらず、こちらの琴線に触れてこないのは、たぶん作者の感性と、読者としてのこちらの感性が微妙にずれているから。江戸・深川の長屋に住む鮨職人が主人公、と聞いただけで、興味引かれるが内容は別に鮨屋でも長屋でも桶屋でも魚屋なくてもいい物語である。さいごまで物語の世界に入り込めなかったのはそのへんに理由がありそうだ。

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