Vol.356 07年7月7日 週刊あんばい一本勝負 No.352


疲労・新刊・物置小屋

 こんなことになるだろうなぁ〜という予測はあったのですが、近所の整骨院に通っています。どこかを痛めたわけではなく身体全体が『悲鳴』をあげているような気がしたためです。痛くない、という言い方は正確ではありません。ジムに通ったり山に登ったりするたびに身体のどこかに負担がかかり(首、腰、背中、膝……)、数日でその痛みは消えるのですが、「こりゃ、身体のバランスが崩れているのにちがいない」と感じ、大事にならないうちに自発的にケアをしておこうと思ったわけです。整体やスポーツマッサージにも行ったのですが、身体の表面に圧をかけるだけの按摩的療法は、どうも適してないようで、身体の深部に刺激を与え、ゆがみを矯正する整骨師に行き着きました。ま、これも自己満足でしかありませんが。
 6月末から7月はじめにかけて「ロスタイムの生」「東北の巨樹・巨木」「南部曲り家読本」と立て続けに新刊が出ました。この中旬には岩田幸助写真集「秋田」と私自身の久しぶりの本「食文化あきた考」がでます。いつものことですが一定期間のうちに集中的に本ができてしまいます。この前後は忙しくなってしまうのですが、忙しいときほど遊びたくなります。仕事を途中で切り上げてジム(エアロビ)に行ったり、週末はすべてなげうって山に行ってしまいます。根つめて仕事をするより遊びのクッションがあったほうが、その後の集中力は増します。ですから、そう悪いことだと反省もしていません。
 これは東京の仕事仲間に話すと露骨に嫌な顔をされるのですが、自宅横に私は小さな(といっても6畳ほどの)自分専用の物置小屋をもっています。ここに遊び道具(山登りやカヌー、スキーなどスポーツ全般)や冬物の衣料などを放り込んでいます。住宅事情の悪い都会では考えられない贅沢、とよく言われますが、そうですねザマアミロ、といったところです。今週、この物置の整理をしました。不要になった遊び道具(昔の山登りのテントやザック・もらったまま使っていないゴルフ用品・子どもたちのスキー板など)を大量に捨てました。とにかく最近のスポーツギアの性能は目を見張るほどで、5年前のスポーツグッズはほとんど見向きもされません。山に登りだしてそのことを痛感しました。ですから昔の遊び道具はもう使用することはない、と判断しました。おかげで物置はすっきり。なかなか捨てられない衣料類をどうするか、まだ思案中ですが、これはひとえに太ったりダイエットしたりを繰り返す悪癖のため、いつか必ず有用になるのを知っているため、廃棄処分になかなかできません。
(あ)
秋田市内の蕎麦屋SAYの深川蕎麦
(アサリがのっている)
ゼイタク小屋の中
これ以外にもスキー板や
もろもろを捨てた

No.352

健康問答(平凡社)
五木寛之・帯津良一

 まわりで帯津先生のお世話になった友人は少なくない。ガンで余命いくばくもないと医者から宣告され、最後に行き着く先が帯津病院だ。科学としての医療から見放された人の駆け込み寺なのである。いっぽうの五木寛之は現代科学の健康妄信に異議を申し立てている急先鋒だ。ということは似たような立ち位置にいる二人の対談ということになる。その似た立ち位置が災いしてか、五木の質問に答える帯津の答えが今ひとつ煮え切らない(ように感じられる)。医師としての帯津の立場に立てば、エビデンス(科学的根拠)のない民間療法を「それはすばらしい」と手放しで礼賛して、それが活字に残るのは問題が大きい。やはり責任においてそれは作家の比ではない。牛乳は飲むべきか、やめるべきか。健康診断は意味があるのか、ないのか。風を引いたら熱は下げなくて良い。コレステロールや活性酸素に正常値はあるのか。ガンの早期発見は幸運か……興味あるテーマ(五木の疑問)に帯津はほとんどヌエ的な答えに終始している。五木が最も興味を持っているのは「ホメオパシー」という療法のようだ。ひとつの症状に対して、同じような症状を起こす毒薬を希釈して与える医術だ。帯津がめざしているのはホリステック医学で、物理的な肉体のみを対象とする西洋医学から身体や心、精神までをも一体となった「人間を丸ごと対象とする」医学が時代の必然として求められるだろう、と述べている。

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