Vol.355 07年6月30日 週刊あんばい一本勝負 No.351


本は着物と同じ運命をたどるのか

 夏の愛読者用DM通信を出し終わった。一年の半分も過ぎ、前半戦も一段落といったところ。このところ判で押したような規則正しい生活をしているので体調もすこぶるいい。
 週2,3回のエアロビクスに月3回ほどの近場の山歩き。夜の散歩も欠かさない。朝と夕の食事はかならずカミさんと二人でとり、外食は月に1度くらい。ほとんど出張もしないし、ほんとうに絵に描いたような健康ライフなのだが、仕事のほうは、といえばこれは心配のタネばかり。
 「出版業界の未来」のことを考えるだけで気持ちは暗く滅入ってしまうのだが、こうした出版不況は数年前から予測はしていたことである。大型書店チェーンのはでな出店競争、大手出版社のベストセラーや新書戦争などに目を奪われて、ことの核心がうまく見えないようになっているが、自分たちの現場である地方の書店や郷土出版物の、ここ数年の売れ行きの推移を見ると、かなりのスピードで出版産業の社会的ステータスが落ち続けているのがはっきりわかる。活字文化が消えてしまうということはないだろうが、出版という産業は限りなく縮小化していく運命にあるのは間違いない。ベストセラーがでたから安泰などという問題ではないのだ。
 出版のことを論じるのに一番わかりやすい例は、昭和30年代まで隆盛を誇っていた「着物(和服)産業」だろう。わずかこの2、30年で着物はすっかり社会の前面から消えてしまった。着物を着る文化が消滅したのだ。なのに、その着物文化が残っているときと同じスタンスで「どうすれば着物がもっと売れるようになるか」などという設問を立てるのはナンセンスだ。日本人がこぞって着物を着るようにならなければ、昔と同じ着物屋さんの復活はありえない。「本は着物と同じ運命をたどる」というのが小生の持論だ。無明舎はその持論にそくした将来的な準備をして入るのだが、同業者の大方はまだ楽天的で、その齟齬というか認識の溝はうまく埋まらない。
 なんだかどんどん暗い話題にスパイラルしていきそうなので、この話題はともかくここで打ち切り。折をみて続きも書きます。写真は本文とはまったく関係なしに、少し心のなごむものを。
(あ)
最上の与蔵峠を歩く
小さな白い点はお月様
もうこんなに生長した苗

No.351

食物のある風景(徳間書店)
池波志乃

 もう食べ物の本は卒業した。丸2年半、新聞に「食文化考」について連載し、いやになるほど参考資料を読んだ。題名の割にはいい加減な内容が多いのが食べ物の本の特徴で、これには閉口した。だから食べ物の本は敬遠しているのだが、実はこの本はテレビの「徹子の部屋」で紹介されたもの。たまたま観て、装丁がすばらしかったので自社本の参考にと買ったものだ。ところが読みはじめたら面白くなって止められない。著者の祖父は古今亭志ん生で父親は金原亭馬生。こうなれば書くことは決まっている。下町礼賛の「いき」で「いなせ」な江戸っ子自慢のコテコテ本。これもいささか食傷気味、と思っていたらその予断を見事に覆してくれる。なんとメーンは「沖縄」。これには不意打ちを食らった気分。一年の半分は沖縄に住み、その食文化に対する向き合い方がまことに真摯で、好感が持てる。本文に使われている夫の中尾彬の「書」も実にいい。絵を描く人だとは知っていたが、これほどうまいとはビックリ。よく考えてみれば本書は食べ物のある風景を描いたもので「食の本」ではない。小さかった頃の両親の思い出から沖縄の若いミュージシャンたちとの出会いまで、食べ物というよりも自分の人生の出会いと別れを、肩肘張らず描いた好エッセイである。

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