Vol.353 07年6月16日 週刊あんばい一本勝負 No.349


ずっと行きたかった場所「金山町」

 最上盆地と庄内平野を結ぶ、古代の重要な山越えの官道である「与蔵峠」を歩いてきた。好天に恵まれきれいなブナ林の中を歩くのは気持ちがいい。途中にまぼろしの滝群やひっそりと湖沼などもあり、ほとんど登りのないピクニック気分の山歩きは楽でいい。帰りは山形・金山町にある谷口・四季の学校で「谷口がっこそば」を食べた。前から噂には聞いていたのだが、山中の廃校になった小学校で近所の主婦たちがおいしい板蕎麦を食べさせてくれる。山中にあるその場所についたときの最初の印象は「あれ、この場所、知ってる」という既知感だった。
与蔵沼を横に見て
ブナ林が気持ちいい
 もちろん初めてなのだが、この風景は確かに見たことがある。そうだ、10数年前、仙台の民俗研究家・結城登美雄さんが「この廃校を利用して、面白い町おこしを考えてるんだ」といって見せてくれたスライドの、あの場所ではないか。調理しているお母さんに、結城さんの名前を出してみると案の定、その通り。ここをつくるときのアドバイザーが結城さんだった、という。そのころから「金山はいい町だよ、一回行ってみた方がいい」と結城さんだけでなく何人もの人に言われていたこともあり、今回は秋田市に帰る山仲間を見送って、私一人、金山町の「シューネスハイム金山」に宿泊した。翌日、半日かけてじっくり町を歩いてきた。昼は町の真ん中にある「草々」という蕎麦屋さんで、またしても板蕎麦。イザベラ・バードの碑があることで知られているが、公文書の情報公開を全国に先駆けて条例化した町でもある。鉄道は通っていないから帰りはバスで新庄まで出、そこから各駅列車に乗ってゴトゴト秋田市までのんびり帰ってきた。また行きたい町だ。
(あ)
廃校を利用した蕎麦屋さん
地方自治体で最も早い情報公開を
記念するモニュメント

No.349

観光の哀しみ(新潮文庫)
酒井順子

 この本には考えさせられたなあ。たとえば旅を「何も考えない、荷物の重い旅=梅宮アンナ派」と「物を考える、荷物の軽い旅=沢木耕太郎派」の二手にわけて論を張っている項がある。わたしは耕太郎派なのだが、この耕太郎派を思いっきりおちょくっている。その揶揄ぶりはかなりのもので、インドでガンジャをすったことを自慢する耕太郎派は、ゆくゆくは一部上場企業の会社員になり、けっきょくはバカ女と軽蔑していたアンナ派と結婚し……と、なんともたくましい妄想を膨らませて、茶化していく。これってかなり当たっている、と我ながら思う。著者は言う。一人で貧乏な辺境旅をするのは構わない。でも「アンタがしている旅は立派なのがわかったから、自慢しないで黙って旅していてね。私は観光旅行で十分だから」。ここまで言われると、読みながらもこちらはシュンとするしかない。だって思い当たる節がいろんなところにあるからだ。旅というのは呼ばれてもいないのにノコノコそこに出かけていく行為だ。目的に辿りついたときの、なんともいえない寂寥感や、旅先で誰もが感じながら口には出さない「虚しさ」の正体をこの本は見事に暴き出している。かなりの毒があるから、楽しい旅行前に読むのはやめたほうがいい。

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